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不謹慎ですが

 不謹慎な質問ですがご了承を。 このサイトに限らず「自殺」や「死刑」を論題とした議論はかなりの盛り上がりを見せることが多いようです。また中には必ずといってよいほどに冷静さを失っている意見を見かけます。 ”永遠のテ-マ”だからというのもひとつの理由でしょうがそれならば他にも色々あります。他にどういった理由があってそれほどに盛り上がるのでしょうか?? ”死”というものが共通しているのでそれも何か関係あるのかな、と思ったりしているのですがよろしくお願いします。

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  • ベストアンサー
  • DoubleJJ
  • ベストアンサー率34% (127/367)
回答No.5

私の私見ですが、おそらく「議論しやすいから」だと思います。 たとえば環境問題について考えよう、だとかアメリカのイラク問題について考えようだとか、法律のある問題について・・・社会問題化している~問題について・・などはある程度毎日ニュース番組を真剣に見ていないとやり過ごしてしまいそうな問題ばかりですので、議論しようと思っても議論できない。しかも議論したとしてもあまり実益があるとも思えない。 しかし死刑や自殺、等はテレビを真剣に見なくても誰にでもわかる問題ですし、議論の門戸が大きく開かれていますね。そして議論の行方は自分達の今日明日の問題に関わってきうる。それが死の問題について盛りあがりがある原因だと思います。 みなさん心底議論したいしたいと思っているのだと思います。しかし専門的な知識がないため問題について議論に参加できない。しかし手頃な問題については自分も知っているから参加する。議論することに実益があるから参加する。それが死についての問題なのではないかなと思っています。

kinnkinn
質問者

お礼

>議論の門戸が大きく開かれていますね 仰るとおり多くの場合議論するということは、そのことにたいして多大な専門的な知識を要求します。しかしこういった問題はある意味誰でもふと考えることがあるでしょうし、また誰もがいづれ迎える死が根本になっていることで、人それぞれがそれなりに考えをもっているのでしょうね。 ありがとうございました。

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その他の回答 (4)

  • DASS
  • ベストアンサー率38% (116/304)
回答No.4

 おそらく・・・死ぬと言うことが、取り返しのつかないことだから・・・ではないでしょうか。  たいていのこと、例えば、パソコンの設定だったり、恋愛だったり、借金だったりについては、やり直す事ができますよね。 もちろん、やり直すにしても、データの消失や失恋の痛み、金融関係への信用を無くすなど、無傷でやり直すことはできません。  しかし、死んでしまったら、やり直すことも、名誉挽回も、被害者への償いも、ここに質問することも、ここで答えることも、何もできなくなってしまうのです。  そんなことは当然わかっている・・・しかし、死ななければならないほど苦しんでいる人がいること、死んで欲しいと願われている人がいることも事実なのでしょう。 そういう人にとって、死ぬ方がいいのか、死なない方がいいのか、結局は誰にもわからない事だと思います。それぞれの事情もあるでしょうし、個別に考えていくしかないのでは、と思います。  それが「永遠のテーマ」といわれる理由なのではないでしょうか。

kinnkinn
質問者

お礼

>死ぬと言うことが、取り返しのつかないことだから 世の中に”絶対はない”と言われて育ってきましたが、これは絶対にそうですね。 故にその境界線にいる人を見ると無意識に助言をしたくなるという作用が働くのかもしれませんね。 ありがとうございました。

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  • kaname_s
  • ベストアンサー率19% (143/740)
回答No.3

こんばんは。 偏見かもしれませんが、自殺に関しては基本的に、あんまり熱く語る人は「自惚れのカタマリ」だと思っています。そんな風に、死を望んでいるorそんな人を救いたい、とういう自分が大好きだっ!だからみんな聞いてっ!…というオーラを少なからず感じますです。 死刑に関しても、あんまり難しい話を持ち出す人はそうなんじゃないかなあ…と、あくまで個人的には思っています。 でも、死刑に関しての話は、自殺に関しての話よりも好意的…というか、嫌ではないです。 このへん、微妙なのですが…やっぱり、「ただの死にたがり」と、「死ぬべきなのにそうされない悪人」が対象なので、方向が違うのかなと思います。 文章が下手ですみません(汗)

kinnkinn
質問者

お礼

>あんまり熱く語る人は「自惚れのカタマリ」だと思っています 一部ですが、そういった人は私の周りにもいました。挙句に実践した人も。とは言え裏を返せばそれだけの持論があるということとも言えます。それだけ人を惹きつける何かがあるのでしょうね。 >でも、死刑に関しての話は、自殺に関しての話よりも好意的…というか、嫌ではないです。 仰りたいこと、よく分かります。 ありがとうございました。

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  • acacia7
  • ベストアンサー率26% (381/1447)
回答No.2

基本は、宗教観の問題だというところにあるのじゃないかと・・ つまり、宗教観は人の思考のかなーり深いところにあり、 思考の基本であるため、妥協の対象にほとんどなりません。 ということは、そこで食い違う意見には猛烈な反発を見せることになります。 それでは、宗教となると然程盛り上がらないのは・・ 当然にぶつかり合うことが分ってしまうためじゃないかと思います。 そこで、宗教観の一番要である「死」をテーマにしており、 それでいて「宗教」と直接銘打ってないテーマが盛り上がるのでは・・ なんて思ったりします(^^;

kinnkinn
質問者

お礼

>宗教観の問題・・・・・そこで食い違う意見には猛烈な反発を見せることになります 確かにそういわれるとそうですね。もし日本人の全てが同じ宗教を強く信仰したならば、こういった議題そのものが成り立たないのかもしれません。 ありがとうございました。

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noname#4242
noname#4242
回答No.1

男女差別でしょう。

kinnkinn
質問者

お礼

?? 「この質問が」ということでしょうか?

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