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『こころ』の「上七」2

hakobuluの回答

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  • hakobulu
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回答No.2

1.「座敷で同座する」とはどんなことを指すのでしょうか。 :直訳すると「同じ場所(座敷)に座る」という意味になります。 『ひとつの座敷(部屋)で一緒になる』ということです。 先生と同郷の学生も先生をたまに訪問していたが、訪問する時間帯が私と偶然重なり、お互いひとつの座敷で顔を合わせる結果となって歓談する場合もあった、ということです。 それで、彼らの先生に対する姿勢を知ることができたわけです。 2.「そりゃまたなぜです」 「そりゃ」は、直前の、 「だからあなたの来て下さる事を喜んでいます。だからなぜそうたびたび来るのかといって聞いたのです」 を全て受けている言葉です。 来てくれるのを喜んでいるのであれば、「なぜそうたびたび来るのか」などと聞く必要はないはずです。 つまり、 「そりゃまたなぜです」は、 『私が来るのを喜んでいるのであれば、なぜ先生は、「なぜそうたびたび来るのか」と私に聞くのか』という意味になります。 【先生の言っていることは辻褄が合いませんが、なぜそういう質問をするのですか。】 という意味にもなるでしょう。 3. (1)「底まで押さず」とはどんな感情でしょうか。 :『深いところまで追求しないで』『心底から納得できる理由を確かめないで』という意味です。 (2)「しかも」を「そして」に替えたら、ニュアンスは微妙に違うでしょうか。 a.「しかも」は、「その上に」という意味で使われる場合が殆んどですが、 原文では「それでも/然るに/だが」という意味で使われています。 この場面の「しかも」には、 『先生との問答に釈然としないまま帰った私ではあったが、それを気にして再訪しづらい気持ちがあったわけではない』というニュアンスがあると思います。 b.単独の構文的には「そして」でも不自然ではありませんが、おっしゃるように意味は微妙に違ってきます。 『前回は不得要領の問答を放置したまま帰ったが、今日こそはっきりした理由を先生に聞いて納得したい』というニュアンスになると思います。 「私」にはそのような意図が無かったことは後半の文から明らかですから、小説上でのは置き換えは無理でしょう。 4.「座敷へ出る」はどういう意味でしょうか。 :座敷は畳敷きの客間のことです。 お客さんが来ると座敷まで案内してそこで待ってもらい、(普通は、ここで奥さんや使用人がお茶などを出します)後から主人が座敷に現われます。 『座敷に姿を現す』という意味です。 ただ、単独で「座敷に出る」と言えば、 芸者さんや舞妓さんが(歌や踊りや三味線、あるいはおしゃべりで)お客さんをもてなすために、お客さんのいる客室(基本的には畳の部屋)に入ることを指します。 5.「私は淋しくっても年を取っているから、動かずにいられるが、若いあなたはそうは行かないのでしょう。動けるだけ動きたいのでしょう。動いて何かに打(ぶ)つかりたいのでしょう……」 :「若い人は元気だし、エネルギーが溢れているから、何か淋しさを感じると、返ってくる反応を期待して他者に働きかけようとする。 積極的に友達を作ったり、自分の意見を遠慮なく言ったりして、自分の淋しさからの突破口を探そうとするのでしょう。」 といったような意味でしょう。 【動く】は、『対外的に働きかける』という意味に捉えてよいと思います。  

awayuki_ch
質問者

お礼

 いつもお世話になります。ご回答ありがとうございます。「座敷」について詳しく紹介していただき助かりました。和室、芸者さんや舞妓さんに興味を持っています。漢字に影響されたせいか、中国人は「舞妓」の二番目の漢字で誤解しやすいおそれがあります。本当にありがとうございました。大変参考になりました。

awayuki_ch
質問者

補足

1. >お客さんが来ると座敷まで案内してそこで待ってもらい、(普通は、ここで奥さんや使用人がお茶などを出します)後から主人が座敷に現われます。 座敷でお茶を飲むでしょうか。そうしたら、No.1さんがおっしゃった「居間(当時は「茶の間」と呼ぶこと多し)」は何でしょうか。そこでもお茶を飲むような気がします。 2. >「私」にはそのような意図が無かったことは後半の文から明らかですから、小説上でのは置き換えは無理でしょう。 申し訳ありませんが、この文の意味がよくわかりません。 3. >「若い人は元気だし、エネルギーが溢れているから、何か淋しさを感じると、返ってくる反応を期待して他者に働きかけようとする。 積極的に友達を作ったり、自分の意見を遠慮なく言ったりして、自分の淋しさからの突破口を探そうとするのでしょう。」 といったような意味でしょう。 何か淋しさを感じると、なぜ「返ってくる反応を期待して」のようなことをするのでしょうか。「他者に働きかけようとする」もよくわかりません。「自分の淋しさからの突破口を探そうとする」の「突破口」もよく理解できていないと思います。もう一度説明していただけませんか。

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