• ベストアンサー

歴史

平安時代諸国の土地は荘園と公領からなる新しい制度へと変わっていきましたとありますが例えば武士が新しく開墾して自分の土地にしたら 荘園でも公領でもないんじゃないですか? あと公領で米作りはできるんですか?

noname#24187
noname#24187

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#113190
noname#113190
回答No.1

自分で開墾しても、一般人の武士は税金を支払わなければいけません。 そんな高額な税金を支払うより、開墾した土地を都の有力貴族に寄進して貴族の荘園に組み入れ、開墾した武士はその土地の管理人にしてもらいます。 寄進した土地は貴族の荘園ですから「不輸不入の権」により、免税の上、国司など役人の立ち入りを断れますから、管理者の武士は自由気ままに暮らすことが可能になります。 寄進を受けた貴族は、武士たちが取り立てた土地代の内から一部分を受け取り、残りは管理料として武士が自由に使うことを許したので、双方が得をすることになります。 当然、国家は税金が減りますから貧しくなります。 http://www.tamagawa.ac.jp/SISETU/kyouken/kamakura/syouen/kantan.html

関連するQ&A

  • 歴史

    平安時代 荘園領主の特権、、朝廷に税を納めなくてよい権利 荘園が増加したことで朝廷の収入が減った(荘園領主は不輸の権を行使した)とあるんですがこれって何の税なんですか? 荘園にはなんか税がきめられてたんですか? もう1つ質問なんですが国司は、荘園以外の土地を公領として経営するようになったとあるんですがもともとはなんの土地だったんですか?

  • 日本史 平安後期の荘園公領制

    平安後期の荘園公領制においてはそれまでの制度から転換がはかられて、その中で税制も転換が行われたとの事ですが ちょっとごっちゃになっちゃって それまでの租調庸などから 公領では 官物、臨時雑役 荘園では 年貢、公事、夫役 になったとカテゴライズしてみたのですが これって正しいですか?

  • 古代の中央と地方の税負担

    公地公民制の時は租庸調が祖が地方、庸調が中央だったきがするのですが。 荘園公領時代はどのような税配分だったのでしょうか? 荘園は領主に群がる識の人たちがマージンをとって最終的に高級貴族や貴族武士にいくとして、公領などの国衙領から上がった税はどうなるのでしょうか? くわしいかた、やさしくご教授していただけると助かります。 間違っているところがあれば正していただけると助かります。

  • 鎌倉初期の西国武士の勢力

    ある歴史の本を読みましたが、そこには承久の乱以前の西国では荘園領主(いわゆる皇室、公家、社寺)の力が強かったので武士の土地支配は未熟だった旨の記述がありました。  そこで質問します。なぜ、またどのくらい荘園領主の力が強かったのでしょうか。相変わらず在地地主(実際に荘園を管理している現地の有力者の意味)は荘園領主に搾取されていたのでしょうか。西国に幕府の力が及んでいなかったとはいえ、在地地主は武力を持っていたし、平安時代に比べ荘園領主からかなり取り分を奪っていたと思うのですが。げんに東国では武士が自分たちによる土地所有、収益権を実現しています。  自分では以下のように推理したのですが、この件に詳しい方がいらっしゃれば、誤りの指摘も含めてご教授願います。 (1) 西国武士も自身による土地支配を望んでいたが、彼らの権利を保障して くれるであろう鎌倉幕府の傘下に入る気がしなかった。これは西国武士と 源氏の主従関係が希薄であったためである。 (2) 西国では、在地地主は荘園領主に抵抗できるほど武装化していなかっ  た。

  • 歴史

    源頼朝が政治制度を整えたときに将軍は配下の武士の領地を保護するとあったんですが保護するってなんですか? あと武士のほとんどは貴族に土地を寄進して自分の土地は持ってないんじゃないんですか? あと承久の乱のあと上皇側についた武士や貴族の領地をとりあげ、地頭に東国の御家人を任命したとあるんですが、領地をすべてとりあげたんですか? そうするとその人たちはどこに住むんですか? あととりあげた領地はだれが米を作るんですか?あと取り上げた領地には荘官はいなくて地頭だけで支配するんですよね?

  • 荘園制について

    世界史の中国についての質問です。 南北朝時代では屯田制や均田制が用いられてましたよね それって兵士に開墾させその土地を国民に貸し収穫の一部を国に納め一定期間後にその土地を返す、 つまり国家の土地と税収の確保のための制度ですよね? 次から質問です。 この均田制、唐の第6代皇帝玄宗以後に崩壊し荘園制になったと教科書には書いてあります。 上にも書いたとおり均田制が土地と税収の確保のための制度なら荘園制にしても税収の確保をできるのでしょうか? いまいち荘園制ってのがわからないので均田制との違いを含め、説明してくれないでしょうか??

  • 日本史 日本の土地制度について

    日本の土地の制度の歴史についてわかりやすく教えてください。  3.墾田永年私財法     (1)開墾地というのが初期荘園で墾田地系荘園と呼ばれるものでしょうか?     (2)寄進地系荘園は平民が不輸不入の権を獲得する為のものだと思うのですが      寺社が寄進してもらう利点はどのようなものがあるのですか?      平民が土地を手放さない理由は何ですか?   (3)この後に出てくる惣領制と言うのはその荘園制度の管理を惣領がまとめる制度の事ですか?   (4)その惣領の土地を分割相続制というのは細分化して相続されるという事なのでしょうか?    同じ時代にある、地頭請、下地中分が管理する土地とはまた別物なのでしょうか?   (5)荘園と知行国の違いがいまひとつわかりません。      たくさん質問しましたが、近々テストなので何となく雰囲気がつかめると助かります。    解りやすく教えてください。よろしくお願いします。  

  • 山川出版社『詳説日本史』の第4章「延久の荘園整理令と荘園公領制」には、

    山川出版社『詳説日本史』の第4章「延久の荘園整理令と荘園公領制」には、「在庁官人らは、公領を彼らの共同の領地のように管理したり、荘園領主に寄進したりしたため~」と書いてあります。 ようするに、公領にたいする私的支配権を強めた在庁官人は、(荘園の寄進がよく行われたのとおなじく)国衙の公領すらも上級貴族に寄進していた。 っていうことですよね? その場合、一つの土地に対して、その国の国衙(≒そこに派遣された国司)と、寄進をうけた上級貴族との、二つの所有者が存在することになるのですか?

  • 歴史がわかんなくて困ってます・・

    歴史の問題が解けなくて困ってます。 中学校1年生レベルのはずです。 1、960年ごろ儒教の一派として生まれた学問は? 2、宋の3大発明は火薬・羅針盤とあと一つは何? 3、自分の土地を貴族・寺社・院の荘園に加えてもらうことを? 4、自分の土地に税を課させない権利のことを? 5、国司の使者を入らせない権利のことを? 6、鎌倉時代に朝廷で政治をした王族や貴族の呼び名は? 7、鎌倉時代に幕府で政治をした武士の呼び名は? 8、京都と鎌倉を結ぶ街道の名は? 9、街道にできた旅館を中心にした町を? 今のところこれくらいです。また、ついかするかもしれませんが、1つでも答えれるものがありましたら回答をいただけると幸いです。

  • 歴史

    武士は貴族とかに荘園を寄進して自分は荘官になって勢力を築いたとあるんですが荘官になると具体的にどのようなことをするんですか、あと荘官になるとどういう利益がありますか?できればわかりやすく教えてくださいよろしくお願いします