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信じること

daisy_00000の回答

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回答No.10

『信じる』 まことと思う。正しいとして疑わない。 『信じる』って、言葉では簡単だけど、現実にはむずかしいですね。 他人との関わりの中でとてもリスクのある行為ですよね。 > 『信じる』ことに対して怯えている私が怯えない力を求めての > 質問ですので、何でもアリです。 信じる行為に踏み切れないのか、信じていた人が信じられなくなったのかは 分かりませんが、これは結構、相手ではなく自分自身の問題だと思うのです。 あなたに力を与えてあげられるかどうかは分からないけど、自分の気持ちを確認する意味で目の止まった質問だったかも。 まず第一に、人間は、育った環境の違いなどで自分に百パーセントの居心地を提供してくれる人はいないと言うこと。 ある人に興味や敬意や愛情を持ち、その人のことをもっと知りたいと思い 受け入れられて、幸せが絶頂だったとしても、 知りすぎてしまったら、居心地のいい部分は当たり前になり、いやなところが鼻に付き出したりするのです。 ところで『相手を信じてる』と思うとき!一般に、未来ではなく“今、自分が知っている限りの相手を信じてる”と言うことですよね。   しん【信】  欺かないこと。言をたがえないこと。まこと。「―義」「忠―」  思い込み疑わないこと。「―をおく」「―用」「―頼」 言い換えれば相手に妄想を抱いて疑わないのです。 思いこみだから、現実を見るにつけ崩れゆくんでしょうね。 考えすぎると、怯えます。 『信じてたのに』となったとき、そのときの状況をどう克服していくか、又初心に返って『信じる』事を続けるかどうかは、お互いが、経験を積んで思いやりを持たないと・・・楽な方に・・・つまり分かれて同じ事を繰り返す事になるだろうと思うのです。 おたがいの仲に亀裂が入るようなことを繰り返すであろう・・・・ いわゆる人間の原罪みたいな物を、乗り越えてこそ『信じ合う』二人に変わっていくのだと思うのです。 努力していく決心のような物が『信じる』の言葉の裏にあるのではないでしょうか。 聞き慣れすぎて素通りしていたあの言葉・・・   “健やかなるときも、病めるときも、互いを信じ、愛し合う・・・・” 心が病めるときも信じていることの意味と難しさを、見過ごしていたことに気づいたのは、ずっとたってからでした。    愛する能力は、経験によって育つと、誰かが言ってました。 結果ではなく、何を経験して学ぶかと言うことの方が、豊かな人生だと 思えます。 又反省なくして成長もない。 おそれずに、信じる自分の喜びを、堪能できれば、たとえ傷ついても、形にならなくても心豊かに、愛しい思い出になっていくのではないでしょうか・・・・・

MoCoCo
質問者

お礼

再び回答をくださってありがとうございました。 私は人と一緒にいることが好きなのに、苦手で逃げてしまうことが多いんです。 人と無意味にでも一緒にいる時間が好きなのに、その一緒にいる人の内心は 私と一緒には居たくないのでは?その人の時間を私が貰っていいのかな? とか・・・重く考えてしまうんです。 もっと相手の「いいよ」という言葉を信じてみればいいのに、その「いいよ」の 裏を考えてしまったり・・・。 お陰で“一人でも平気人間”に周りからは思われています。 付き合っている人が「電話してよ」って言ってくれても、「今は寝ているかも。」 「今は友達と一緒にいる時間帯だな。」とか考えてしまって、結局電話を かけることなく・・・1日が終わる。 それが彼にとっては嫌だったみたいです。 「いつも俺から電話してる・・・。俺と話すの嫌か?」と聞かれても素直に 電話をかけれない理由を話せなくて、嘘の理由を言っちゃう。 (約2年前の出来事です) だから、今では誰に対してもこっちから電話をかける場合は「何時頃ならかけても 平気かな?」と聞いてから電話します。 私が気軽に電話できる相手は、家族と親友だけです。 もっと深く考えずに人と接することが出来ればどんなに楽だろうと思います。 どうして私が深く考えてしまうのか?・・・ それは相手を信じていないからかな?心を開いていないからかな? って自分なりに答えを出したんです。 なら、信じることを怯えない人間を目指したい。 まずは友人に対してもっと心を開いて信じてみようって思ってます。

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