• ベストアンサー

中仙道は、なぜ中山道に変わっているのでしょうか?

zawayoshiの回答

  • zawayoshi
  • ベストアンサー率31% (302/946)
回答No.3

 逆に、わざわざ「正しくは中山道」といっているところで、あまり使われてなかったと推測できそうな気が…^^;  他の文献見つからないですし、推測ですけどね^^;

kokiriko
質問者

お礼

2度目のお答えありがとう御座いました。 私なりに東山道の一部ということなので、そちらから調べてみました。 その結果、東山道は中仙道とは、かなり違うルートを通っており、東山道が中仙道の一部というのは無理があるように思えます。 元々律令制度で制定された東山道ですから、道としては地ならしをした上に側溝まで備えていたものではありましたが、遺跡発掘の際にかなり深いところから出てくることを考えれば、江戸時代初期には既に使われていなかったのかも知れませんね。そうなると、やはり中仙道が正しいような気がします。

関連するQ&A

  • 中山道。

    中山道でお聞きします。【なかせんどう】ですが、当方子供の頃、【なかせんどう】は【中仙道】と書くと思っていたのか?習ったのか?気のせいでしょうか?

  • 中山道と旧中山道

    中山道は地図に表示されているのですが、旧中山道は表示されていません。でも道の説明をされるときに良く「旧中山道沿いですよ」と言われて困ります。 旧中山道がハッキリ表示されている地図のあるサイトを探してください。 よろしくお願いします。

  • 中山道と旧中山道って何が違うのでしょうか?

    中山道と旧中山道って何が違うのでしょうか?

  • なぜ中山道なのか

    江戸-京都の主要路がなぜ東海道じゃないのかはわかるのですが、なぜ中山道なのでしょうか。峠はなかったでしょうか。あるいはなぜ甲州街道ではないのでしょうか。小仏峠はえらい難所なのでしょうか。

  • 中山道と鉄道

    東海道をはじめ、旧街道にはほぼ全線に沿うように鉄道路線が建設されていきました(東海道なら東海道線など)が中山道は全線に沿う鉄道路線がないばかりか、間が抜けてる区間が存在します。 なぜ中山道に沿う鉄道が造られなかったのですか?

  • 中山道と甲州街道

    京都から関東へ行く道は昔は東海道よりも中山道が使われていました。昔は東海道は大河があったり川の氾濫で湿地があって利用しにくかったとのことです。  では、中山道でいくとして、途中で甲斐を経由したほうが近いと思うのですが、なぜ、上野経由の中山道が利用されたのでしょうか。 大昔は甲州街道が整備されてなかったのでしょうか。でも江戸時代で甲州街道が整備されていても、和宮は中山道で江戸に来ています。甲州街道より中山道が利用された理由はなんでしょうか。

  • 江戸時代。東海道の一里塚。

    Wiki「一里塚」によれば、 25里、36里、54里、55里、81里の地点には「なし」ですが、なぜ無いのですか。 54里地点は「金屋城下?」、81里地点は「岡崎宿内?」となっていますので、町中や宿場では休む場所があるのでわざわざ一里塚を作らなかった、と想像しています。 36里地点や55里地点は、大きな川の中でもないようです。 よろしくお願いします。 一里塚  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E9%87%8C%E5%A1%9A 

  • 中山道と甲州街道

    下諏訪から江戸までのルートは中山道と甲州街道では呼び名が違うだけですか?

  • 中山道は五畿七道に含まれてないの?

    中山道(なかせんどう)は五畿七道には含まれていないとすれば、どうして「道」という名称がついたのでしょうか?

  • 東山道と中山道を同一の地図上にプロットした図

    初学者です。東山道と中山道についてお尋ねします。 この両道は使用された時期が違うので、通過地点はそれぞれ異なると思いますが、知識不足に加えて遠く離れて生活しているため、土地勘が皆無です。各道の通過地点は何とか分かるのですが、両者を比較した場合、某地域では東山道の跡地を中山道に利用したのか、別の地域では全く離れた位置を通過したのか、それが分かりません。両道があたかも同時期に存在したかのように、同一の紙や地図の上にプロットした道路図があれば教えて下さい。 PC利用が可能な資料でお願いします。よろしくお願いします。