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「好き」の概念が一般的なそれと頻繁にかけ離れます

moritarohの回答

  • moritaroh
  • ベストアンサー率56% (657/1170)
回答No.5

こんにちは。 私は最近、「推しの同担拒否」なる言葉を聞いて、なんぞや、なんて思いつつ、昨今のアイドルやキャラクターを愛でる文化についていけず、ジェネギャ(ジェネレーションギャップ)なんてものを感じています。 さてさて、私は競パン好きのおゲイですが、どっちかっていうと筋肉質〜ややむっちりなマッチョの競パンが好きで、日焼けしているのは絶対。自分もそうありたいな、などとジムで大胸筋を増し増しにしてプリケツになるべくスクワットにも励んでいます。 でも、おんなじおゲイの競パン好きでも、たとえば体型は問わず、とにかくはちきれんばかりのピッチピチの半ケツが好き、とか、深窓の令嬢かと見まごう白肌スリムーこいつ絶対に泳げないだろというツッコミは置いといてーの美青年の競パン姿が好き…という方とは同じフェチでも相容れないな、と思ったり。 そういうんで、何かちょっとの違いのはずなのに、それが決定的なズレとなって、絶対に交わらない意見っていうの、あります。ゆえにモヤモヤ。 そういえば中学生の数学で「ねじれの位置」ってのを習ったのを思い出します。 平面的(一側面)に見れば交わっているけど、三次元的(多面的)に見れば、実は交わっていない。 不思議なものですね。 なんで、世界的に有名なファッションデザイナーはほとんどが男性なのに、オートクチュールはたいていがレディース中心。 無論、私と同じおゲイがダダ漏れなデザイナーもいれば、オネェなお方もいらっしゃるかと思えば、セレブをはべらす色男、絶対にキモヲタでしょという雰囲気の根暗陰キャなデザイナーも、彼らってどう言う心理でスカートなんてデザインしてるの? 自分で穿くことを考えて? 好きなあの子に穿かせたい? それとも、ヌメっとしたエナメルの質感とか、ふんわりレースのシフォンな感じの手触りとか、そういう質感に対してのフェティッシュ? だから、デザイナー同士って仲が悪く見えるんだろうね。 きっと彼らのこだわりって、絶対に相容れないものでしょう。 ついこの前、ウルトラマン好きのゲイの方とお話してたら、ウルトラマンは皮膚かスーツかで論争になりました。 スーツの下に筋肉質な肢体があって、なのか、あの銀と赤が皮膚で肌色なんて絶対にあり得ない、とか。 こういうのって、もはや「ねじれの位置」ですね。 で、人よりちょっとこだわりが強いと、そういう位置関係になりやすい。 そして私もそうなった時に思う、『てめぇらの浅いフェチなんざより、俺の方が数倍愛が深くいわ!』と。 愛着あるものを熟考して、深く知識を掘り下げ愛情を注ぎ続けると、いつの間にかガラパゴス的な孤島になってるわけで。いったいいつからそうなったんだろう…と思うけど、みんなと仲良くフェチな感情をシェアできていた頃なんてもう忘れてて、戻れなくなってることに気付く。 ちなみに、同担拒否ってのになる理由は、 同じ推しキャラやアイドルに対し、他のファンとの価値観の違いでの争いを避けるための自己防衛か、その逆、推しへの愛が強過ぎて他のファンに対し攻撃的になっている場合、また、ガチで恋しちゃってて他のファンにヤキモチを妬いちゃうから…とか、いろいろな理由があるらしいです。 greenlinkさんは、たぶん、フェチを推しに置き換えたら、愛が強過ぎて他のファンとの価値観の違いが許せなくなっちゃう…という感じですかね。 ゆえに、なぜ自分の価値観が他者と違うのか悲しくなり、他者を受け入れたくないと感じてしまうのかも。 私は、他者と価値観が違うとめんどくさいから、そもそも同じフェチの方とは積極的にコミュニケーションを取らないようにしちゃうかも。 自分のこだわりが強いと、他人を受け入れるのって面倒ですよね。ストレスが溜まる。でも、どこかでやっぱり共有したくて、共感してもらいたくて。 だから私は海やプールに行くなら、どう見られてようがどこでも競パン着用です。 あの人ホモーッ!って言われようが、知りません。別に、だから何ですか、ホモですけど何か、というくらいで。 だからgreenlinkさんも、気にせずスカート穿きましょ。 女装なんて言われても、は?何が?俺が女に見えるかい? そもそも君は性別で服を分けるのかい? と言い返せばいいですよ。 ただ、ハイファッションの潮流では、『肌見せ』がメンズでもトレンドになってきているそうですよ。 そのコンセプトは『男らしさの再定義』なんだって。 シースルーやざっくりニットで素肌が見える、とか、深いスリットで足が見える、カットソーのサイドを大胆にカット、とか。 考えればショートパンツブームも、この先駆けだったのかも。 初めはショートパンツで男が足見せするのはスネ毛がどーのこうの、ってなって、そして流行しだしたら、今度はスネ毛を剃るのは男らしくないとか云々。 肌見せファッションがフェミニンであった概念が、今や女性へのルッキズムの押し付けになりつつあり、それを男性がやったらどうなの?という提案。 で、男性の肢体が見せてバランスと取ろうというつもりなのか…? たぶんだけど、服がジェンダーを規定していた時代への反作用が、にわかにY2Kのリバイバルと同時に起きているんだろうね。 そういえばあの頃も、シノラーとかサイバー系とか、ギャルブームやギャル男ブームの背後で、個性的な人たちっていたよね。

GreenLink
質問者

お礼

ありがとうございます。 競パンと言えば、ふと思い出したことがあります。 僕も競パンは好きな方ですが、割とメジャー層とは逆向きな物が好きなので、なぜそっち一辺倒なんだろう?とよく思います。 多くの競パン好き的には、極小のほっそい奴をローライズでピッチピチに穿いてる姿が好き、というのがなんか多いですよね。 僕はむしろこのジャンルは逆で、スイミングスクールでみんなが穿いてる様な大人しいカットのやつを、ゆったり目に穿く方が派です。 多分前者が好きな人は、あくまで競パンはサブであって、メインは男性の身体、特にいうならスイマー系の細マッチョ好きの延長があって、あくまで競パンはおまけなのかな?と思いつつです。 違ったらごめんなさい。でも質問文に書いてる男の水着好きは同性愛の一種云々のところと同じです。 僕はあくまで「自分で穿いた時」のことや「自分の経験談」を基としているので、こちらですね。 昔運動神経悪い癖にスイミング通ってて、勿論スクール指定の競パンも穿いて、その経験から「好き」が出ていて、男の身体じゃなくて好きだった、使ってた水着、憧れだった水着、が由来になっているので、こっちです。 こっちの場合別に細いのを極小でという競い合いなんて誰もしませんし、小さめを穿くとロゴが短期間でズタボロになるし、水着本体も短寿命になるし、泳ぎやすさを損ねなければ充分な物として使っていたので、これですね。 ちょうど極小競パンというと、ミニ四駆のフレームやボディを極限まで削って軽くする代わりに、耐久性と剛性を犠牲にする様なものに見えたりします。 一方で、僕の競パン好きは、ミニ四駆は純正でのまま、安定走行と車を壊さないことを前提に普通に走らせるフェチ寄りとして、ですね。 たとえわかりにくくてすみません。 でも本当にこんな感じなのです。 競パン画像をTwitterなどで拡散してる人時々いますが、細い人ばかりだと物足りないですね。 むしろサイドもちょい太めのを普通に穿いてる方が好み、なぜなら俺がそうするからだ。 です。 競パンでもこのパターン多いです。 なぜ?となります。

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    • ベストアンサー
    • LGBT
  • 多くの人は女性の格好がしてみたいでしょうか?

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  • これって理屈として正しいでしょうか?

    多くの場合、特に男性は女性がミニスカートを穿いていることが好きです。 しかし、男性がミニスカートに近い物を穿いていることに関しては、男性目線からも女性目線からも微妙なことが多いです。 それを踏まえて僕からの意見です。 以下意見は理屈としておかしくない気がしますがおかしくないでしょうか? また、「男性目線」としてはおかしいでしょうか?おかしくないでしょうか? 僕は男性がミニスカートに類するアイテムを着ていることが好きです。 実は女性が着ていることよりも好きです。 まず大前提として、女性が何を着ようが男性から見て、自分の着る物に影響が少なく関連性が低く感じます。 だからさして興味を持つ必要性が低く感じられます。 その点、男性がミニスカートに類するアイテムをパリッとうまく着こなしているのを見られれば、たくさんメリットがある様に感じます。 自分で同じ様に着こなせば、それなりに自分でも良い着こなしができる気がします。 更に、男性のスカートということで、ファッションの自由性が高まった、という充足感も感じられます。 こういった面をメリットだと感じます。 そして、影響性という意味でも女性が穿いている場合に比べて、男性が穿いている場合の方が男性に影響が大きく出る様に感じます。 古代ギリシャや古代ローマの衣装とかで、短いチュニック(所謂ワンピーススカート)を男性が着ているのをいろんな物で見かけて、すごくかっこいいしセクシーだと思いました。 また同様の物に関すると、80年代ごろまでのファンタジーを世界観としたTVアニメやゲームなどのヒーローが、同様に短いチュニックを着ている姿を数多く見てきました。 すっかり虜になって、今ではああいうのに類するアイテムを自分でよく着用して楽しんでいます。 これも、かっこいい男性が着ていたからこそ、自分でも着られるだろう、着たらかっこいいだろう、という発想に至ったからというのが大きいです。 仮にその世界でも女性しか着ていなかったら、自分で着て似合うかも知れないだなんて、きっと考えなかったんじゃないかと思います。 だから僕は男性がミニスカートに類するアイテムを着用していることが、女性が着ていることよりも好きだと感じます。 しかし、多くの場合男性は男性じゃなくて、女性がミニスカートを着ている事を好むというのが既成概念となってしまっており、僕が感じたこととは大きく違っています。 僕が言っていることって、ファッションの理屈としてはおかしいでしょうか?正しいでしょうか? また男性目線的にもこの考えは正しいでしょうか?