hhituji の回答履歴

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  • アメリカの裁判での宣誓

    刑事ものやサスペンス映画などで良く目にするのですが、 証人が証言の前に聖書に右手をおいて 「本当のこと」だけを述べる誓いをたてるシーンがあります。 あれは本当にやっているのでしょうか? また、絶対にやらないといけないのでしょうか? 例えばイスラム教徒の証人などは、絶対にやらないと思いますし、 日本人なんかだと抵抗はなくても、なんの意味もないでしょうし… かと言って、人によってやらなくてもいいものなら、 そもそも誓いをたてる意味がないように思います。 ちょっと疑問に思った次第です。 お暇な方、ご回答いただけると嬉しいです。

  • 「有りて在る」

    出エジプト記に拠るところの、モーセの享けたこの啓示は「神の固有名詞所有の否定」、「偶像崇拝の禁止」、「唯一絶対神の確立」といった一神教の基本原理の他にも深遠な意味があるような気がします(一神教の解釈が間違っている可能性もあります)。  一神教のみならず、多神教の僧侶、ニューエイジ思考を持つ人々までありとあらゆる人が好んで引用します。これらには牽強附会的な解釈も見受けられますが、全く理がないとも言い切れません。  「有りて在る」はイスラエル固有の風土にこそ活きるのでしょうか?また汎神論には応用できるのでしょうか?それともモーセの取り違えでしょうか?  私にはこの言葉が神とこの世界を読み解く鍵に思えてなりません。さまざまな角度からの考察が必要とされます。できれば理解の助けとなる文献を示していただけたら幸いです。皆さんのお考えをお聞かせ願います。

  • 「有りて在る」

    出エジプト記に拠るところの、モーセの享けたこの啓示は「神の固有名詞所有の否定」、「偶像崇拝の禁止」、「唯一絶対神の確立」といった一神教の基本原理の他にも深遠な意味があるような気がします(一神教の解釈が間違っている可能性もあります)。  一神教のみならず、多神教の僧侶、ニューエイジ思考を持つ人々までありとあらゆる人が好んで引用します。これらには牽強附会的な解釈も見受けられますが、全く理がないとも言い切れません。  「有りて在る」はイスラエル固有の風土にこそ活きるのでしょうか?また汎神論には応用できるのでしょうか?それともモーセの取り違えでしょうか?  私にはこの言葉が神とこの世界を読み解く鍵に思えてなりません。さまざまな角度からの考察が必要とされます。できれば理解の助けとなる文献を示していただけたら幸いです。皆さんのお考えをお聞かせ願います。

  • この世界は わたしたちのものではないのか

     ▲ (ヨハネ福音書15:18~19)~~~~~~~~~~~~   ――・・・世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわた    しを憎んでいたことを覚えなさい。     あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内とし    て愛したはずである。     だが、あなたがたは世に属していない。     わたしがあなたがたを世から選び出した。     だから、世はあなたがたを憎むのである。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これは かのイエスの言葉です。《イエスに属する者は この世に寄留して 人生をおくり まっとうする》という意味合いになると考えるのですが 果たして それで よいでしょうか?  あるいは つまり  ▲ (ヨハネ福音書1:10-11) ~~~~~~~~~~~~  彼(神の独り子=キリスト・イエス)は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。  彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ とあります。でしたら この世界は 《わたしたちのところ》なのではないでしょうか?  《寄留》という思想は 旧いのではありませんか? どうかおしえてください。

  • 尊敬できない親

    「身体的」「言葉的」に暴力を振るうなどの、尊敬に値しない親はどのように「尊敬」すればよいのでしょうか?? 聖書には出エジプト記の20章の「十戒」に「親を尊敬しなさい」とありますよね??私はキリスト教の学校にいっているので、キリスト教に触れられている方はなるべくキリスト教的な意味でお願いします。 また、いろいろな人の意見も聞きたいので宗教に触れたことのない方のご意見も大歓迎です。 回答お願いします。

  • 「異端」は必ず避けるべきか、また、どの程度避けるべきか?

    エホバ、モルモン、統一教会以外のキリスト教徒(新旧教問わず)の方にお聞きします。 大概の場合、「異端」と呼ばれるエホバ、モルモン、統一教会、あるいは仏教、神道etc.は必ず避けるべきですか? 僕はプロテスタント(バプテスト)です。 教会に向かう途中、エホバの「めざめよ!」を配っている人と擦れ違いました。 僕はそれを受け取ったり、たとえ読んだりしても、信仰的に(あくまで信仰的に。そりゃ、教会で堂々と読んでいたら問題だと思います)問題は無いと思っていました。 なので、何気なしに受け取って、後で読んだっていいだろうと思ってポケットに突っ込んでおきました。それを、同じ信徒の方が見付けられて、厳しく言い咎められました。 受け取ってもいけないし、当然読んでもいけない、彼らは異端なのであり、霊的な影響を受けてしまう、だいたいそんな事をおっしゃって、受け取った僕を責めました。 その言葉に全く納得いかない訳ではないのですが、どの程度、自分が通う教会とは異なる宗教、教え(バプテストと長老派の違い、などは除く)を避けるべきだと思うか、皆さんのご意見をお尋ねしたく質問しました。 書き加えれば、僕は、友人に誘われるだの何だのの理由で神社に行ったり、あるいは仏式のお葬式で焼香をしたりするのは、問題がないと思っています。 なぜなら、「私のほかに神があってはならない」という言葉に従っている自負があるので、聖書の語る神だけが神であると信じているからです。 だから、たとえ行為としてはそぐわないとしても、そこに心が伴っていなければ、異端礼拝にはならないと思うのです。 この考えに賛同できる方も、「目ざめよ!」を受け取るべきではなかたっと思う方も、どうぞ、書き記していただきたく思います。 また、もし可能でしたらでよいので、適切な聖書の箇所を引用して教示いただけたら嬉しく思います。 よろしくお願いします。

  • 聖書本文改竄

    聖書の本文は改竄されているということをしばしば見聞きしますが、具体的なことが分かりません。 聖書の原典及び翻訳等について具体的に教示して頂ければと思います。

  • クリスチャンとの結婚

    こんにちは。 初めて投稿させて頂きます。 私は29歳の女性で、35歳のイギリス人男性とお付き合いしております。 出会って1年、恋人としてお付き合いをして約5ヶ月ほどです。 私はノンクリスチャン(典型的な日本人ですが実家に仏壇があり、仏教の文化を尊重します)、彼は2年ほど前にクリスチャンになったそうです。 彼は5年ほど前に生命に危険があるほどの病気にかかり、奇跡的に救われ、神様に第2の人生を与えてもらったと信じ、日々感謝しながらお祈りしているようです。 私個人的に、キリスト教への偏見はありません。 海外に住んでいた事もあり、西洋の文化、宗教に関して云々いうこともありませんし、何よりその信じ方、考え方を支えとして生きていく生き方をとても尊敬します。 でも特に自分の中で、イエスキリストを信じ、その考えだけを尊重し、生きていこうという思いはありません。自分は今迄何かお祝い事があると、神社やお寺に行って手を合わせてきましたし、身内のお葬式も全て仏式です。クリスチャンの価値観ですと、これが「まだ神様を受け入れていない」ということになるそうですが。 彼と結婚の話が出てきました。 それまで彼は「時期がくれば君にもクリスチャンになってほしい」と言われてきましたが、先日クリスチャンにならなくても、クリスチャンになるという努力をしない人とは結婚できない、と言われました。 同じ価値観、信仰、神様を持つことが彼にとって私という人間を受け入れることよりも大事なようです。 私がクリスチャンになるように前向きに考え、いつの日か、クリスチャンになることが出来れば、それが彼を幸せにするのであれば、そういう努力はしていこうと思っていました。 来年の2月に一緒に住み始めるとうことで話が動いていました。 キリスト教の考えでは、結婚する前に、性行為や同棲は認められないといいます。(ちなみに私たちは性行為はあります。。。。)しかし、彼は一緒に住むということが私を幸せにするのであれば、そこは彼も妥協してくれると言ってくれ、物件探しをしました。 新居も見つかり契約を交わした少し後に、やはりクリスチャンでない君、神様を受け入れていない君とは一緒に住めない、でも結婚はしたい。と言われました。 クリスチャンという考えを前向きに受け入れようとしていた矢先の出来事で、私のその努力は全く評価、認識されていないと思うととても悲しい気持ちになります。 私という人間や中身よりも、彼は私がクリスチャンである、ないということが基準で結婚を判断していると考えてしまいますが、私は間違っていますか? 私が少しでもクリスチャンの考えに対してももっとオープンになる(聖書を読むとか、教会に頻繁に顔を出すとか)まで、私とは一緒になれないと言います。 彼の事をとても愛しています。愛しているからこそ、彼の望むことはしてあげたいと思う。けれど、クリスチャンになる、ならないは、誰他の為ではなく、自分自身の為だと理解しています。 だから明日すぐなれるわけではないし、もしかしたら、5年も10年もかかってしまうかもしれない。 愛する人との結婚が、私が持ち備えていないものの有無で判断されている。自分自信を否定されているような気分さえしてしまいます。 どのような気持ちでこの問題に向かっていったらいいでしょうか。 彼に、私に足りないものはなんでしょうか。 よろしくお願い致します。

  • キリストの時代の超能力者の一般イメージはどんなものだったんでしょうか?

    こんにちは、 実際にキリストが超能力者だったかどうかは、、、ともかくとして、、、 現代の人間にとって、、、「自分は超能力者だ!」というのも、「あの人は、超能力者だ!」というのも、、、決してまともな人間だったら言わないと思います。 なぜなら、超能力なんて、一部の変わった人を除いて誰も信じていません。 聖書を見ていると、キリスト自身が自分は超能力を持っていると言ったか、弟子達が勝手に言ったのか分かりませんが、、キリストは超能力者という事になっているように感じます。 現代だったら、どんなに尊敬していても「貴方は超能力者ですという噂を尊敬の印として流布しておきます。」なんてしないしな~。 何故このようになったのか不思議でしょうがないのです。 しかし、十字架刑になった事を考えると、やっぱりあの時代の人も「超能力者=うさんくさい」というイメージだったのかな? と考えたり、、、。 本当にどうでもよい事ですが、真剣に悩んでいます。 あの時代のあの地域の超能力者の一般イメージを教えていただけますか? よろしくお願い致します。

  • 今週末は土曜日? それとも日曜日?

    タイトルどおりなのですが、先ほど友人と議論になりました。 友人曰く、「カレンダーを見ろよ、日曜日は一番左に書いているから、本当は週の始まりだ」 と言うのです。 ホントですか? 普通、週末って土曜と日曜の両日を指しませんか? という事は、「日曜日は今週末」 という事になると思うのですが ・・ だって、「来週の最初の日、つまり日曜日 ・・」 とか言わないでしょう? 昔聞いた話で、1週間という考えが出来た時、週の最後の日を休息に当てるとか聞いた覚えがあります。 と言うことは日曜日の事ですよね? でも、カレンダーでは週の始まりはたしかに日曜日になっています。 カレンダーの方が間違っているわけですか? 「今週末」 と言った場合は土曜日ですか? それとも日曜日ですか?

  • 命が大事ならば

    命が大事ならば なぜ生物は他の命を奪わなければ生きていけないのでしょう。 この矛盾について解答があればお願いします。 なお、命が大事というのは人間の勘違いという解答は却下です。

  • 彼女がマリッジブルーに?

    はじめまして。もうすkぐ結婚予定のmmtakaoと申します。 少々困っておりますので、思い切って皆様のご意見を求めることにしました。 よろしくお願いします。 最近、自分の親の反対で、11月の結婚予定を3月に延ばしました。 1.2年延ばせという親をここまで説得するのには骨が折れましたが、 彼女もメールやプレゼントといった気遣い、努力もあり、 大分和らいできたところです。私もほっとしていました。 しかし、ここまできて彼女が不安定になってしまい、ケンカが絶えません。 両親の説得だけでも疲れていたところで、正直自分も苦しいです。 不安定な理由は、 ・いつまで経っても式の日取りが決まらない、  式場を探そう、と言っても「またそれであなたの両親にごねられたら」と言っ て泣きます。 ・自分の父親が結婚を許す条件として、孫には彼女の宗教(彼女はクリスチャンです)を信仰させないこと を挙げました。 自分も父親と同意見(子どもが自分の意志でクリスチャンになりたいというなら話は別です)なので、条件を飲んだことにしたのが許せないらしい。 とにかく両方の親に祝福してもらい、結婚式をすること この目的を達成するためならどんなことでもする!と彼女と頑張ってきたつもりです。 親を説得するのには本当に大変でしたし、彼女も理解して支えてくれているとばかり思っていました。 結婚するという目的のためには、自分の両親を刺激しないことを第一優先にしてきました。 もちろん、結婚したらその後は総て彼女と自分の意見を第一に生活していくつもりなのですが、、 毎日、彼女の泣き顔を見ているのが辛いです。 私は間違っていたのですよね?でも、果たして具体的にどこが? どうしたら彼女は納得してくれるのでしょうか?

  • キリスト教の名著を探してます

    キリスト教関連で、いわゆる「名著」「必読書」「基本文献」「常備書」「記念碑的著作」などと紹介されてしまうような、キリスト教を学ぶ人なら誰もが読んだことのある、というような有名な書物を探しています。 19世紀~現在までに著された本でお願いします。キリスト教に関連する著作ならば、注解書、聖書学、歴史、その他、何でも構いません(ただし名著でお願いします) 外国語ができないので、海外文献は省いて頂いて構いません。 また、海外の著者、日本人の著者どちらでも構いません。翻訳書でも構いません。 数少ない、自分が知ってる著作を例に出せば、 ・カール・バルト『ローマ書講解』 ・内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』 というような感じです。 あれこれ書いてすみません。教えて頂けると幸いです。

  • 宗教を信じる理由について

    何かの宗教を固く信仰している方(出来れば専門家の方)または宗教を信仰している科学者の方に質問です。 (多くの場合において、宗教と科学の違いに、科学は実証に基づいていて、宗教は実証されていないという点があると言われいてますが、私もそのような考えから、現在基本的には無宗教です。しかし、それぞれの宗教を知らないでは、それに対して肯定も否定も出来ないと思い、今回は今後の考え方の基礎となる考え方を(哲学・自然科学に含まれていない)宗教のほうからも考えてみようと考え、様々宗派の方にそれぞれの宗教に関することを教えてもらおうと思い立ちました。) ---------------------------------------------------------------- 宗教を固く信仰している方(特に専門家の方)に対して: 宗教を本格的に信仰するということは、人生がそれによって多くの部分で決められていくことになるのではないかと思うのですが、そのようなとても重要な決心をなさった際、皆さんは何をその宗教が間違ってはいないということの確証と考え、その宗教を正しい(信じていい)ものであると考えたのでしょうか。 また、出来ればその宗教の特長も教えてください。 ---------------------------------------------------------------- 宗教を振興している科学者の方に対して: (宗教を専門としている方と同じような内容ですが、)その宗教を信仰しようとした動機(あるいはその他の考え)は何でしたでしょうか。 また、出来れば科学者側の立場として、その宗教のどのような特長を持っていて、どのような存在であるとお考えかも教えてください。 よろしくお願いします。

  • 宗教を信じる理由について

    何かの宗教を固く信仰している方(出来れば専門家の方)または宗教を信仰している科学者の方に質問です。 (多くの場合において、宗教と科学の違いに、科学は実証に基づいていて、宗教は実証されていないという点があると言われいてますが、私もそのような考えから、現在基本的には無宗教です。しかし、それぞれの宗教を知らないでは、それに対して肯定も否定も出来ないと思い、今回は今後の考え方の基礎となる考え方を(哲学・自然科学に含まれていない)宗教のほうからも考えてみようと考え、様々宗派の方にそれぞれの宗教に関することを教えてもらおうと思い立ちました。) ---------------------------------------------------------------- 宗教を固く信仰している方(特に専門家の方)に対して: 宗教を本格的に信仰するということは、人生がそれによって多くの部分で決められていくことになるのではないかと思うのですが、そのようなとても重要な決心をなさった際、皆さんは何をその宗教が間違ってはいないということの確証と考え、その宗教を正しい(信じていい)ものであると考えたのでしょうか。 また、出来ればその宗教の特長も教えてください。 ---------------------------------------------------------------- 宗教を振興している科学者の方に対して: (宗教を専門としている方と同じような内容ですが、)その宗教を信仰しようとした動機(あるいはその他の考え)は何でしたでしょうか。 また、出来れば科学者側の立場として、その宗教のどのような特長を持っていて、どのような存在であるとお考えかも教えてください。 よろしくお願いします。

  • 宗教を信じる理由について

    何かの宗教を固く信仰している方(出来れば専門家の方)または宗教を信仰している科学者の方に質問です。 (多くの場合において、宗教と科学の違いに、科学は実証に基づいていて、宗教は実証されていないという点があると言われいてますが、私もそのような考えから、現在基本的には無宗教です。しかし、それぞれの宗教を知らないでは、それに対して肯定も否定も出来ないと思い、今回は今後の考え方の基礎となる考え方を(哲学・自然科学に含まれていない)宗教のほうからも考えてみようと考え、様々宗派の方にそれぞれの宗教に関することを教えてもらおうと思い立ちました。) ---------------------------------------------------------------- 宗教を固く信仰している方(特に専門家の方)に対して: 宗教を本格的に信仰するということは、人生がそれによって多くの部分で決められていくことになるのではないかと思うのですが、そのようなとても重要な決心をなさった際、皆さんは何をその宗教が間違ってはいないということの確証と考え、その宗教を正しい(信じていい)ものであると考えたのでしょうか。 また、出来ればその宗教の特長も教えてください。 ---------------------------------------------------------------- 宗教を振興している科学者の方に対して: (宗教を専門としている方と同じような内容ですが、)その宗教を信仰しようとした動機(あるいはその他の考え)は何でしたでしょうか。 また、出来れば科学者側の立場として、その宗教のどのような特長を持っていて、どのような存在であるとお考えかも教えてください。 よろしくお願いします。

  • イースター(復活祭)は日本人に受け入れられないのか? 諸外国は?

    キリスト教最大の行事は何でしょう? クリスマス(イエス・キリストの降誕祭)? いいえ、もっと大事な日があるのです。それは、イエス・キリストが十字架につけられて殺された後、3日目に復活されたことを祝うイースター(復活祭)です。なぜなら、単なる生誕よりも、1回人類の罪を背負って亡くなった後、復活されたことにこそ、キリストの生きた意味があると信じられているからです。 イースターの日は、クリスマスと違い、移動祝祭日であり、毎年春分の日の後の最初の満月の後の日曜日と決まっていて、本年は例年に比べて最も早く、今日3月23日でした。 このイースターですが、クリスマスや聖バレンタインデー、ハローウィン(諸聖人の大祝日・万聖節の前日)などと比べても日本人には認知度が低く、商売っ気のある日本のデパートや商店も全然、商売の種にしません。 なぜでしょうか? やはり、「キリストの復活」というコンセプトは、一般の日本人にとって、現実離れしていて、なじめないのでしょうか? (仏教の輪廻転生と少し似ていて、親しみやすいテーマとも思えるのですが・・・) 又、諸外国(キリスト教国、仏教国、イスラム圏など)でのイースターの祝いっぷりはいかがでしょうか?

  • 何が正しくて何が悪いか

    質問させて頂きます。 私は、この世界には「何が正しくて何が悪いか」なんていうものは存在しないと思うのです。 ひとつの行動をとってみても、誰々にとっては良かった、誰々にとっては悪かったという影響というものはあるのでしょうが、 やはりその行動自体には何もないと思うのです。ただ、その事実があるだけというのでしょうか。 例えば殺人の場合にも、その殺人に関係した人各々が正しいや悪いという感覚を持つのであって、殺人という行為そのものには正しいも悪いもないと思うのです。 こういう話を人としたときに「じゃあ人を殺してもいいと思っているの?」と言われたことがあるのですが、それはまた別で感情という部分で好き嫌い、許せる許せないというものが有り、別に誰かを殺したいと思っているわけでもありません。 ただ、なぜこんなにも殺人が絶対に悪であるかのように思っている人が 沢山いるのかわからなくなることがあるのです。 やはり、人に関わらず自分が愛着を持っている存在を失うことが大きな悲しみを生むからでしょうか。 それとも私のこういう考えかたがおかしいのでしょうか? 読んで頂きありがとうございます。ご回答頂けたら幸いです。 よろしくお願い致します。

  • 新約聖書は成立せずとの説について

     その基本的な内容をお教えください。  おおきな主題ですので 基本的な事項を掲げて その参照資料を挙げていただくかたちでもよろしいでしょうし。  あるいは 一つの項目について やはり基本的な内容はこうだと示してくださるのも ありがたいです。  なおわたくしは 仮りにイエスが実在の人物でなかったとしても あるいはまた 聖書がいわゆる偽書であったとしても そこに書かれたことがらは 信仰の現実的にして社会構造的なあり方を示していると捉えています。  これは しかも 信仰一般のことです。あるいはつまり 人間一般のふつうの歴史社会的な存在のあり方のことです。  さらにつまりはまた 信仰とは もしその内容が実現した場合には 消えてなくなるものです。その時には見えていなかったものが 見えたというのであれば もはや信じる必要はなくなっています。  なお このような見解に立って ご回答の内容について さらに説明の補足をお願いすることがあると思います。また 筋の違ったご回答については そのまま ご遠慮願うと思います。その点も お断わりしつつ。

  • 本当にイエスは子供のころインマヌエルと呼ばれて他の?

    本当にイエスは子供のころインマヌエルと呼ばれて他のでしょうか?どの書に触れてありますか?