hakobulu の回答履歴

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  • 「言う通り」と「言った通り」との違い。

    日本語を勉強している台湾人です。 ネットで調べてて「言う通り」と「言った通り」の基本的な差がわかりました。 ふつう簡単な例文を挙げられます。 ●私が言うとおりに、ノートに書いてください。→今から言うことをそのままに書いてくださいと ●私が言ったとおりに、ノートに書いてください。→この前言ったことをそのように書いてくださいよ 単なるテンスにかかわる教え方でした。 でも、色々なTwitterの投稿や文章など、「言う通り」も過去のことも言えます。 ●本当だ!君の言う通りだ!(今の状況にぴったりの君が言ったことは過去のことではありませんか?) ●主さんの言う通り、これは自分でも思ってた事なんですが、(略) ●美味しんぼの山岡さんの言う通り、ワラに入った納豆は臭くないのか!? 様々な表現から見ると、ほとんど過去のことを述べているはずですが、 「言った通り」と比べると、逆に「言う通り」がさらによく使われます。 なぜ過去のことは「言う通り」のほうがもっと使われますか。 それに過去のことを述べている時に、「言った通り」を入れ替えられますか。 よろしければ、例文でご教示願います。 よろしくお願いします! (不自然な言い方があったら、遠慮なさずご訂正をどうぞよろしくお願いいたします。)

  • 勝てない相手はいない - 錦織圭

    「勝てない相手はいない」とテニスの錦織圭選手が言っていた言葉で,今有名になってます。 テニスファンでなくても聞いた事があったと思います。 ところが「負けない相手はいない」と言っても,私には同一の意味に取れる気がしてなりません。 言葉は全く逆なのに,違和感がなく同一に思えるのは私だけなのでしょうか? この感覚はどう思います。 どなたか文法の構造上で説明して頂けないでしょうか。 単なる錯覚だと言われる方も,それがどう錯覚しているという事になるのでしょうか。

  • 評判って結構アテになりますよね?

    評判について、たとえば、 お店でも評判のいいお店、評判の悪いお店がありますよね? 評判のいいお店を利用していて、最初はふつうに思っていても、あるとき「さすが評判のいいお店だな」と思うときがありますよね。 逆に、評判の悪いお店でも、最初は結構いいな。と思っていても、あるとき「やっぱり評判の悪いお店だな」と、 会社での部署でも、歯医者さんでも何でも評判って、結構アテになりますよね? それを教える諺、名言を知っていたら教えてください。

  • 「~わけだから」の語感についての質問

    日本語を勉強している台湾人です。 日本語はまだまだなので、どこか不自然なところがあったら、よかったらぜひお教えください。 【問】「~わけだから」と「わけ」抜きの「から」との語感の違いは何ですか。 本で見た文です。 まず全文: 「(略)、ときどき『あ、先生、お久しぶりです。』と声を掛けられる。講演会などの聴衆も含めれば、今まで何千人もの人々と接しているわけだから、挨拶されても相手を覚えているわけではない。ましてやその方の名前など出てくることは極めて稀だ。そこで『失礼ですが、どなたでしたか』と慇懃に名前を尋ねる仕儀となるわけだが、...」 その中で、 「今まで何千人もの人々と接している"わけだから"、挨拶されても相手を覚えているわけではない。」と入れ替えた 「今まで何千人もの人々と接している"から"、挨拶されても相手を覚えているわけではない。」と、 どこか違いますか。 前後の文脈から見て自国語で判断すると、「~わけだから」は単なる「から」と比べると、「何千人と接しているからこそ、挨拶されてもきっと相手を覚えている というわけではないだろう」という気持ちや感じを強調しています。 でも、ある日本語教師免許を取った先生に聞いてみたけど、何か違うような気がして、ただ原因を強調すると言っていました。 本当に強調だけですか。 何の為に強調するんでしょうか? もしくは、何を強調するんですか。 わざわざ「わけだ」を入れるということはきっと何の理由があるはずだと思います。そうしないと、「から」でよいじゃありませんか。 (思い詰め過ぎてすみません⋯) ですから、日本人の皆さんに、 具体的な違いやニュアンスをご教示願います。 よろしくお願いします。

  • 困ってます

    今かたい文書を書いているんですが、 文中に「様々な」「多くの」というフレーズをすでに沢山使っており、 代用できる言葉を探しています 自分は 「多様な鍛錬を積み、」は不自然な感じがして 「沢山の」「色々な」 と書いても幼稚なイメージを抱いてしまいます 一般的にはどうでしょうか。

  • 潮騒から。島がその湾口に位いしている

    ここからは、島がその湾口に位いしている伊勢海の周辺が隈なく見える。 これの「その湾口に位いしている」のは「島」ですか?「伊勢海ですか?」

  • 京都弁の翻訳お願いします!

    創作活動により、京都弁に訳して欲しい文章があります。 「あんた、どないしたん?そんなとこで。」お土産屋さんのおばちゃんが言ってる設定です。

  • 「大体」の意味

    「大体」という言葉について質問です。辞書で調べると、「好ましくない結果の根本に話が及ぶさま 」と書かれています。今日あった会話は次の通りです。 「友達に仕事を紹介してって頼まれたから、私が紹介してあげたのに断られた。」 「大体 、向こうから言い出したのに、断るなんてひどい」 この文に大体という言葉が出てきますが、辞書が言っている「好ましくない結果」というのは、 1.「仕事を紹介してあげたこと」 2.「仕事を断られたこと」 3.「仕事を断られたことで傷ついたこと」 どれになりますか? 次のような例文の場合、 「電車に乗り遅れちゃった」 「大体あなたが寝坊するから悪いんでしょ」 好ましくない結果は、「電車に乗り遅れたこと」ということでわかりやすいのですが。 変な質問で申し訳ないですがよろしくお願いします。

  • 「当方」と「わたし」の違い

    日本語を勉強中の中国人です。ビジネス日本語についてお伺いします。「当方」という言葉はどういう意味でしょうか。社内メールで、「某書類を当方まで提出するようにお願いいたします」は「某書類をわたしまで提出するようにお願いいたします」とどのように違うでしょうか。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 小論文の添削をお願いします。

    高校入試で、テーマを与えられて600字程度で書く小論文があります。 添削していただける方がいたら、添削していただきたいです。 読書をテーマに書きました。 私は、読書には様々な力があると考えている。読書をすることで、集中力が高まったり自分の考えや、世界が広がったりするからだ。 私の学校には、「読書の時間」といった、朝の十分間の間、自分の机で自分の好きな本を読書する時間がある。十分間という短い時間だが、この十分間集中して読書することで眠気がなくなり、その後の授業にも集中して取り組むことができている。インターネットの普及化により、本を読む機会が少なくなってきている今だからこそ、この「読書の時間」が大切だと思う。 それでも、中には読書が嫌いで本を読まない人もいる。私も実際、小学生の頃は読書が嫌いで、本を避けてきた。でも、中学一年生の時、一冊の本に出会って、私の読書に対する考えが大きく変わった。その本は、病気とたたかう小さな男の子の物語だった。病気が治らないと分かっていても、色々な新しいことに挑戦する前向きな姿に、勇気や希望をもらった。読書で、今まで感じたことのない感情や考え方を得ることができるということを、その本に教えてもらった。だから、世界中の人々にも、本の力を感じてもらいたい。 このように、読書は私達に様々な力を与えてくれる。だから、短い時間でも生活の中に読書を入れると、生活がより良いものになるのではないか。

  • 「髪を切った」などの言い方について

    (1)私は、髪を切った。 (2)私は手術で、胃を半分取った。 (3)私は、自宅を改築した。 (1)は、鏡に向かって自分でハサミを持って髪を切ったのなら、この言い方は理にかなっていま す。しかし、理容店へ行って理容師に髪を切ってもらった場合でも、(1)のような言い方をします。 (2)は、「私」が医師で、患者の胃を半分取ったのなら、この言い方は理にかなっています。しかし、 「私」が患者で、医師の執刀により、胃を半分取られた場合でも、(2)のような言い方をします。 (3)は、「私」が建築業者で、自宅を改築したのなら、この言い方は理にかなっています。しかし、建 築業者に発注して自宅を改築させた場合でも、(3)のような言い方をします。 なぜ、主語が動作主でないのに、(1)~(3)のような言い方が可能なのでしょうか。 ご教示をお願いいたします。

  • 「何」という言葉について

    普段からあたりまえのように聞いていたのですが、気になったので質問させて下さい。 つっこみなどで、 「お前、何わけのわかんないこと言ってるんだよ」という言葉がありますが、この「何」ってどういう意味ですか?辞書を見ても、あてはまるものが見つかりません。モヤモヤするのでぜひ教えて下さい。

  • 「観音開き」という言葉

    数年前に友人と街中を歩いてる時、綺麗に装飾された外観の店がありました。 その店の扉を見て私が何気なく「この観音開きの扉、綺麗だねー」と言ったところ 友人が「観音開きって言葉、使っちゃ駄目なんだよ!」と言ってきました。 「観音開き」という言葉を使ってはいけないと聞いた事がなかったので、友人に何故使ってはいけないのか聞いたのですが、「知らないけど、どこかで聞いた。だから使っちゃ駄目なんだよ!」と言われました。 友人の言っている事に納得出来なかったので、本当に禁止用語なのかと自分でも調べましたが、分かりませんでした。 何か理由があって世間で使ってはいけない言葉ならば、言わないように学んでおきたいのですが、本当に使ってはいけないのでしょうか? どなたかご回答お願い致します...。

  • 芥川龍之介さんの『鼻』について質問します。

    芥川龍之介さんの『鼻』を読んでいる外国人です。 『鼻』には、こういう記述があります。 >池の尾の町の者は、こう云う鼻をしている禅智内供のために、内供の俗でない事を仕合せだと云った。あの鼻では誰も妻になる女があるまいと思ったからである。中には又、あの鼻だから出家したのだろうと批評する者さえあった。しかし内供は、自分が僧であるために、幾分でもこの鼻に煩される事が少くなったと思っていない。内供の自尊心は、妻帯と云うような結果的な事実に左右されるためには、余りにデリケイトに出来ていたのである。そこで内供は、積極的にも消極的にも、この自尊心の毀損を恢復しようと試みた。 「内供の自尊心は、妻帯と云うような結果的な事実に左右されるためには、余りにデリケイトに出来ていたのである。」の意味についてですが、 「結婚できない坊主であるにもかかわらず、『結婚していない』という事実があるので、内供の自尊心がその影響を受けて、より傷つきやすくなった。」ということと私は考えていますが、 友達(同じく日本語を勉強している外国人です)は、「内供の自尊心があまりに傷つきやすいので、『結婚していない』という事実に影響を受けていなかった」と考えています。 私の主張と友達の主張、どちらが正しいですか。 よろしくお願いします。

  • 比喩表現の「今度の仕事を通じていい勉強になった」

    同じような例文でしつこく追求していますが、新展開がありましたのでさらなるご回答をお願いします。 「今度の仕事は私にとっていい勉強になった」という文について、「今度の仕事」を「いい勉強」と比喩表現することで、「今度の仕事」の性質の一部を「わかり易く説明している文章」と考えるべきだという説明をいただきました。その説明をいただいて、この文の「なった」は変成・変化の意味ではなく「プラスまたはマイナスの効果・機能がある」という意味だと解釈することにしています。 では「通じて」という語を加えた「今度の仕事を通じていい勉強になった」は、やはり比喩表現と考えることができるのでしょうか。その場合は何が何に比喩されているのであって、「通じて」はどんな役割を果たしているのでしょうか。

  • 副助詞「は」の意味

    副助詞「は」の意味の見分け方について質問です。 私の文法書には副助詞「は」には、ふたつの意味があるとされています。 【題目】と【取り立て】です。 【題目】の例文は 人間は動物である。 【取り立て】の例文は その商品は売り切れです。 とありました。 いろいろ調べて考えてみたのですが、このふたつの区別がいまいちよくわかりません。 教えてください!

  • 比喩表現の「今度の仕事を通じていい勉強になった」

    同じような例文でしつこく追求していますが、新展開がありましたのでさらなるご回答をお願いします。 「今度の仕事は私にとっていい勉強になった」という文について、「今度の仕事」を「いい勉強」と比喩表現することで、「今度の仕事」の性質の一部を「わかり易く説明している文章」と考えるべきだという説明をいただきました。その説明をいただいて、この文の「なった」は変成・変化の意味ではなく「プラスまたはマイナスの効果・機能がある」という意味だと解釈することにしています。 では「通じて」という語を加えた「今度の仕事を通じていい勉強になった」は、やはり比喩表現と考えることができるのでしょうか。その場合は何が何に比喩されているのであって、「通じて」はどんな役割を果たしているのでしょうか。

  • 比喩表現の「今度の仕事を通じていい勉強になった」

    同じような例文でしつこく追求していますが、新展開がありましたのでさらなるご回答をお願いします。 「今度の仕事は私にとっていい勉強になった」という文について、「今度の仕事」を「いい勉強」と比喩表現することで、「今度の仕事」の性質の一部を「わかり易く説明している文章」と考えるべきだという説明をいただきました。その説明をいただいて、この文の「なった」は変成・変化の意味ではなく「プラスまたはマイナスの効果・機能がある」という意味だと解釈することにしています。 では「通じて」という語を加えた「今度の仕事を通じていい勉強になった」は、やはり比喩表現と考えることができるのでしょうか。その場合は何が何に比喩されているのであって、「通じて」はどんな役割を果たしているのでしょうか。

  • 比喩表現の「今度の仕事を通じていい勉強になった」

    同じような例文でしつこく追求していますが、新展開がありましたのでさらなるご回答をお願いします。 「今度の仕事は私にとっていい勉強になった」という文について、「今度の仕事」を「いい勉強」と比喩表現することで、「今度の仕事」の性質の一部を「わかり易く説明している文章」と考えるべきだという説明をいただきました。その説明をいただいて、この文の「なった」は変成・変化の意味ではなく「プラスまたはマイナスの効果・機能がある」という意味だと解釈することにしています。 では「通じて」という語を加えた「今度の仕事を通じていい勉強になった」は、やはり比喩表現と考えることができるのでしょうか。その場合は何が何に比喩されているのであって、「通じて」はどんな役割を果たしているのでしょうか。

  • 比喩表現の「今度の仕事を通じていい勉強になった」

    同じような例文でしつこく追求していますが、新展開がありましたのでさらなるご回答をお願いします。 「今度の仕事は私にとっていい勉強になった」という文について、「今度の仕事」を「いい勉強」と比喩表現することで、「今度の仕事」の性質の一部を「わかり易く説明している文章」と考えるべきだという説明をいただきました。その説明をいただいて、この文の「なった」は変成・変化の意味ではなく「プラスまたはマイナスの効果・機能がある」という意味だと解釈することにしています。 では「通じて」という語を加えた「今度の仕事を通じていい勉強になった」は、やはり比喩表現と考えることができるのでしょうか。その場合は何が何に比喩されているのであって、「通じて」はどんな役割を果たしているのでしょうか。