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  • 陸上自衛隊の体力検定一級の内容を教えてください!

    陸上自衛隊の体力検定一級の内容を教えてください! 陸上自衛隊の体力検定一級の内容を教えて欲しいんですが他にも質問があります。 自衛隊のレンジャーや精鋭(空挺以外も含めて)を目指すにあたって当面は鍛えるのは体力だけでいいですか? もちろん精神力、知力など様々な事が求められると思うんですが当面は特別鍛えなくてもいいと思うんですが… どうでしょうか? また体力を鍛えるにあたって陸自の体力検定一級を目標としようと思っています。 年齢によって一級の回数などが変わると聞いたんですが一番標準的な内容を教えてもらえるとうれしいです。

  • おすすめの洋楽ロックを教えて下さい!

    おすすめの洋楽ロックを教えて下さい! アップテンポで、なおかつ歌詞の英語が聞き取りやすい曲(アーティスト)を探しています。 ジャンルは、エモからハードロック、パンクまで割となんでも聞きます。 英語の勉強にもなれば良いな、と考えているのですが…宜しくお願いします!

  • 信長の四国への対応について。

    信長の四国への対応について。 戦国時代(特に信長が勢威を誇った当時)、四国と言えば辺境扱いをされ、そこに台頭してきた長宗我部元親など取るに足らない人物だと考えていたにしても、一応信長は元親嫡男・信親の烏帽子親だったし、平素交流が少なかったにしても形だけは同盟的なものだったように思います。元親の室は明智光秀家臣の斉藤利三の妹ですし、織田家とも縁はありました。 信長は元親に「四国の事、切り取り勝手」という朱印状まで発給したにもかかわらず、結局は土佐一国に押し込もうとしました。確かに「天下一統を目指していた最中、元親に四国全土を平定されると天下布武に影響が出るために元親を討とうとした」という理由はわかりますが、本当にそれだけが理由でしょうか? 信長の軍には所謂“方面軍司令官”がいますが、あの合理主義者と言われた信長のことです。「元親に四国の平定事業をさせて、平定直前に元親を討てば自ずと四国は我が領国になる。それまでは元親に存分に働かせて織田家は労せず」という、ある意味では元親を方面軍司令官的に使おうという考えはなかったのでしょうか? 織田信孝・丹羽長秀の四国出兵があまりにもタイミングが良すぎる気がしてならないのですが。

  • 信長の四国への対応について。

    信長の四国への対応について。 戦国時代(特に信長が勢威を誇った当時)、四国と言えば辺境扱いをされ、そこに台頭してきた長宗我部元親など取るに足らない人物だと考えていたにしても、一応信長は元親嫡男・信親の烏帽子親だったし、平素交流が少なかったにしても形だけは同盟的なものだったように思います。元親の室は明智光秀家臣の斉藤利三の妹ですし、織田家とも縁はありました。 信長は元親に「四国の事、切り取り勝手」という朱印状まで発給したにもかかわらず、結局は土佐一国に押し込もうとしました。確かに「天下一統を目指していた最中、元親に四国全土を平定されると天下布武に影響が出るために元親を討とうとした」という理由はわかりますが、本当にそれだけが理由でしょうか? 信長の軍には所謂“方面軍司令官”がいますが、あの合理主義者と言われた信長のことです。「元親に四国の平定事業をさせて、平定直前に元親を討てば自ずと四国は我が領国になる。それまでは元親に存分に働かせて織田家は労せず」という、ある意味では元親を方面軍司令官的に使おうという考えはなかったのでしょうか? 織田信孝・丹羽長秀の四国出兵があまりにもタイミングが良すぎる気がしてならないのですが。

  • おすすめの洋楽ロックを教えて下さい!

    おすすめの洋楽ロックを教えて下さい! アップテンポで、なおかつ歌詞の英語が聞き取りやすい曲(アーティスト)を探しています。 ジャンルは、エモからハードロック、パンクまで割となんでも聞きます。 英語の勉強にもなれば良いな、と考えているのですが…宜しくお願いします!

  • ムッソリーニのマフィア取り締まりについて

    ムッソリーニはマフィアをどう取り締まっていたのでしょうか? 記録等残っていませんか?

  • 旧ソ連は社会主義になる前は植民地・従属国?

     ウィキペディアで「新中間層」という単語を調べたら下記のように書いていました。  前略… 地球上で社会主義政権が誕生した地域は、例外なく植民地・従属国であり、先進国革命が実現した例がないことを考えると、ベルンシュタインの予言が正しかったとも言える。  ……  地球上で社会主義政権が誕生した地域は、例外なく植民地・従属国であるとなっていますが、旧ソ連ですが、社会主義になる前は植民地・従属国だったんですか。  ご存じの方教えてください。

  • 戦後、日本が奇跡的経済復興を成し遂げた理由。

    戦後、日本が奇跡的経済復興を成し遂げた理由。 敗戦後30年程度で、新幹線を走らせ、 アメリカという他民族国家を除けば、単一民族国家として世界第一の経済大国になった日本。 その原因はなんでしょうか。 あなたのご意見をお聞かせください。

  • ベトナムの歴史とチャンパー王国の関係

    題名通りの質問です。 ベトナムの歴史というと李朝・陳朝・黎朝などという王朝を聞きますが、同時にチャンパー王国が192年~1832年と超長期間にわたって存在していたことを知り、私は今まで両者を混同していました。 調べた結果、チャンパーというのはベトナムの南地域を治めた王国で、李朝などは北部を統治した王朝(、であってるでしょうか?ここも補足を頂けると助かります)だというイメージが浮かんできたのですが、 ここまできて色々とお聞きしたいことがあります。 ・南部のチャンパーと北部のベトナム王朝は長期にわたって独立政権を持っていたようですが、民族的には同じ仲間なのですか? →現在のベトナム社会主義共和国は南北で統一されていますが、ドイツの東西分離のように格差や差別はあったのでしょうか? ・ベトナム北部にはドンソン文化が栄えていましたが、このドンソン文化の影響はチャンパー王国にも引き継がれていたのでしょうか?(もし引き継がれているのなら北部のベトナムとも同じ文化を共有することになりますよね)。 ・また仮に北部と南部が同じ民族・文化であれば、なぜこれほどの長期間をお互い統一させずに分離したままそれぞれの歴史を歩んだのですか? ↑(逆にお互い違う民族・文化だから分かれていたのなら、今のベトナム共和国には北部と南部で文化の違いが存在することになってしまいますよね)。 どれが正しいのでしょうか?よろしくお願いいたします。

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  • ベトナムの歴史とチャンパー王国の関係

    題名通りの質問です。 ベトナムの歴史というと李朝・陳朝・黎朝などという王朝を聞きますが、同時にチャンパー王国が192年~1832年と超長期間にわたって存在していたことを知り、私は今まで両者を混同していました。 調べた結果、チャンパーというのはベトナムの南地域を治めた王国で、李朝などは北部を統治した王朝(、であってるでしょうか?ここも補足を頂けると助かります)だというイメージが浮かんできたのですが、 ここまできて色々とお聞きしたいことがあります。 ・南部のチャンパーと北部のベトナム王朝は長期にわたって独立政権を持っていたようですが、民族的には同じ仲間なのですか? →現在のベトナム社会主義共和国は南北で統一されていますが、ドイツの東西分離のように格差や差別はあったのでしょうか? ・ベトナム北部にはドンソン文化が栄えていましたが、このドンソン文化の影響はチャンパー王国にも引き継がれていたのでしょうか?(もし引き継がれているのなら北部のベトナムとも同じ文化を共有することになりますよね)。 ・また仮に北部と南部が同じ民族・文化であれば、なぜこれほどの長期間をお互い統一させずに分離したままそれぞれの歴史を歩んだのですか? ↑(逆にお互い違う民族・文化だから分かれていたのなら、今のベトナム共和国には北部と南部で文化の違いが存在することになってしまいますよね)。 どれが正しいのでしょうか?よろしくお願いいたします。

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  • ベトナムの歴史とチャンパー王国の関係

    題名通りの質問です。 ベトナムの歴史というと李朝・陳朝・黎朝などという王朝を聞きますが、同時にチャンパー王国が192年~1832年と超長期間にわたって存在していたことを知り、私は今まで両者を混同していました。 調べた結果、チャンパーというのはベトナムの南地域を治めた王国で、李朝などは北部を統治した王朝(、であってるでしょうか?ここも補足を頂けると助かります)だというイメージが浮かんできたのですが、 ここまできて色々とお聞きしたいことがあります。 ・南部のチャンパーと北部のベトナム王朝は長期にわたって独立政権を持っていたようですが、民族的には同じ仲間なのですか? →現在のベトナム社会主義共和国は南北で統一されていますが、ドイツの東西分離のように格差や差別はあったのでしょうか? ・ベトナム北部にはドンソン文化が栄えていましたが、このドンソン文化の影響はチャンパー王国にも引き継がれていたのでしょうか?(もし引き継がれているのなら北部のベトナムとも同じ文化を共有することになりますよね)。 ・また仮に北部と南部が同じ民族・文化であれば、なぜこれほどの長期間をお互い統一させずに分離したままそれぞれの歴史を歩んだのですか? ↑(逆にお互い違う民族・文化だから分かれていたのなら、今のベトナム共和国には北部と南部で文化の違いが存在することになってしまいますよね)。 どれが正しいのでしょうか?よろしくお願いいたします。

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  • ベトナムの歴史とチャンパー王国の関係

    題名通りの質問です。 ベトナムの歴史というと李朝・陳朝・黎朝などという王朝を聞きますが、同時にチャンパー王国が192年~1832年と超長期間にわたって存在していたことを知り、私は今まで両者を混同していました。 調べた結果、チャンパーというのはベトナムの南地域を治めた王国で、李朝などは北部を統治した王朝(、であってるでしょうか?ここも補足を頂けると助かります)だというイメージが浮かんできたのですが、 ここまできて色々とお聞きしたいことがあります。 ・南部のチャンパーと北部のベトナム王朝は長期にわたって独立政権を持っていたようですが、民族的には同じ仲間なのですか? →現在のベトナム社会主義共和国は南北で統一されていますが、ドイツの東西分離のように格差や差別はあったのでしょうか? ・ベトナム北部にはドンソン文化が栄えていましたが、このドンソン文化の影響はチャンパー王国にも引き継がれていたのでしょうか?(もし引き継がれているのなら北部のベトナムとも同じ文化を共有することになりますよね)。 ・また仮に北部と南部が同じ民族・文化であれば、なぜこれほどの長期間をお互い統一させずに分離したままそれぞれの歴史を歩んだのですか? ↑(逆にお互い違う民族・文化だから分かれていたのなら、今のベトナム共和国には北部と南部で文化の違いが存在することになってしまいますよね)。 どれが正しいのでしょうか?よろしくお願いいたします。

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  • 枢軸国のガソリン事情

    戦前・戦間期を通じて、日独伊を中心とする所謂ファシスト国家は米英と比較して著しく石油精製能力が劣っていました。 米英の航空機用ガソリンのオクタン価は100~120がスタンダードでしたが、枢軸国のそれは高くても80前後が限界だった様です。 基礎工業力が劣悪であった日本は別としても、ダイムラーベンツに代表されるエンジンメーカーが幾ら高性能エンジンを開発したとしても、このレベルの低オクタンガソリンではスペック通りの出力を発揮することは困難であると思われます。 そこで質問です。なぜファシズム体制の国家は石油精製技術で米英陣営に大きく遅れを取るに到ったのでしょうか? そこにはファシズムや軍国主義の持つ人種論や秘密閉鎖主義的な非合理性に由来する要因が存在するのでしょうか?

  • おすすめのバンド(洋)教えてください。

    これまで私に音楽のことを教えてくれていた友達と会うことがなくなってから、聴く曲に偏りが出てきてマンネリ化しております。 皆さん私にお勧めのバンドを教えてください。 以下、私の好きなバンドです。 《A:最も好きで、折に触れ聴き返す》 The Beatles The Doors Pixies David Bowie 《B:最近よく聞く》 Tortoise Explosions in the sky Album Leaf God is an astronaut 《C:一時期はまった》 Roxy music the Stone Roses Nirvana My bloody valentine Ulrich Schnauss 御覧の通り有名なのばかりですので、私が知らなそうなバンドを教えていただけるとありがたいです。 では宜しくお願いします。

  • おすすめのバンド(洋)教えてください。

    これまで私に音楽のことを教えてくれていた友達と会うことがなくなってから、聴く曲に偏りが出てきてマンネリ化しております。 皆さん私にお勧めのバンドを教えてください。 以下、私の好きなバンドです。 《A:最も好きで、折に触れ聴き返す》 The Beatles The Doors Pixies David Bowie 《B:最近よく聞く》 Tortoise Explosions in the sky Album Leaf God is an astronaut 《C:一時期はまった》 Roxy music the Stone Roses Nirvana My bloody valentine Ulrich Schnauss 御覧の通り有名なのばかりですので、私が知らなそうなバンドを教えていただけるとありがたいです。 では宜しくお願いします。

  • クリミア戦争とイタリア統一の関係

    こんにちは。 現在19世紀のヨーロッパ史を勉強しているのですが、クリミア戦争がどのようにイタリア統一に貢献したかという質問につまずいています。なんとなく答えは分かるのですが、要素がたくさんありすぎてどの要素が決定的なものなのか答えあぐねています。どなたか詳しい方回答よろしくお願いします。

  • モンゴル帝国の後継国家

    14世紀モンゴル帝国の衰退の後、チンギス・汗の末裔と称する者を戴いて旧帝国領内に次々と汗国(後継国家)が誕生しては緩やかな連合体を形成し、あるいは合い争っては消滅していきました。 なぜ、中央アジアの諸民族はチンギス・汗の血統を受け継ぐ異国人をあえて王に奉じて結束したのでしょうか? また、汗国は何カ国くらい存在し文化や国家としての連続性はあるのでしょうか? どなたか詳しい方教えて下さい.

  • 全体主義と超国家主義

    超国家主義と全体主義の違いを教えてもらえませんか?できればそれぞれの利点、欠点について詳しく書いていただけるとうれしいです。 ちなみに欧州と日本の超国家主義と全体主義です

  • ボスニア紛争で、結局セルビア人もクロアチア人もムスリム人も独立できなか

    ボスニア紛争で、結局セルビア人もクロアチア人もムスリム人も独立できなかったのでしょうか? そして、原因として旧ユーゴスラビアがさまざまな民族が入り混り多様性を内包していたということは考えられますか?

  • なぜ、アメリカのご飯はまずいのか?

     アメリカだけでなく、イギリスなど、いくつか日本人からして「まずい」とされている地域はありますが、なぜ、これほどに「まずい」のか、その歴史的/地理的な特異性を考えると、「アングロサクソンの連中が作る飯はまずいんだよ」とかといったタイプの説明では今ひとつ満足できません。  考えながら、疑問として沸いてきたトピックを少し丁寧に並べてみます。 1.【知識伝播問題】料理の技術が十分に広まっていないことが問題なのか?  「料理」が、一個の伝達可能な技術である、と捉えた場合、技術伝播が行われるための社会条件としてアメリカやイギリスは世界有数の地域だと言える。識字率、出版・映像・インターネットといった知識伝達インフラはほぼ完璧。…にも関わらず、料理技術の平均的技術は非常に低い。「技術」の伝達インフラとして、出版や映像といったインフラが十分な効力を持っていないということなのか?  代替的な説明として、a.ジーン レイヴの「正統的周辺参加」だとか、b.形式知と方法知の伝達システムは違う…とか……まあ、料理技術の伝播というのは、文字や映像のメディアだけでは十分ではない可能性があるということなのか?味に関する理解が多くの人に共有されるためのベースが一度できあがらないと、だめなのか? 2.【条件整備問題】素材が標準化されていないことが問題なのか?  アメリカやイギリスでも、バーガーキングなど、ファーストフード店に入れば、まあ食べることのできる、標準化された味のものが出てきました。料理をする人間の技術手順を簡便にして、素材を標準化させていくことで味の水準を保つ、ということがチェーン店のやり方だと(たぶん)思います。そう考えた場合、スーパーなどに行ったり、仕入れを行おうと思っても思ったとおりの食材が手に入らないと、料理の教本がいくらあったとしても、うまくいかないということも起こるかもしれない。つまり、食品の流通、生産システムのほうに問題がある?? 3.【味覚の多様性問題】食べる人間の味覚の多様性の問題なのか?  味覚は、人それぞれ。地域でそれぞれですが、アメリカは人種や民族が多様であるため「味覚」も多様すぎるのかもしれない。だとすると、料理人が、日本人などの特定の味覚をもった人々の基準にあわせた「おいしい料理」を作るインセンティヴが削がれてしまったりするのだろうか?「日本人が美味いと思う料理」を作ってもぜんぜん評価されない?(だとしても、家庭料理まで不味い家庭が多いらしいのは、どうして?家庭料理は食べる人が一緒なのに…。) 4.【味覚の貧困】そもそもアメリカ人の舌が、あのクオリティの料理に慣れすぎているのか? (これは、たぶん、そう) 5.【代替的価値の優位】味よりも、もっと重要なものがあるのか?  アメリカ人にとっては、味よりもたくさん食べられたり、速く食べられたり、安く食べられることのほうが重要? ※1食、20$以上のお店を探して食べればそこそこの味のものは食べられた印象があったので、もしかしたら、アメリカでは、「不味くないものは、だいたい値段の高い料理」となっている??? 6.【知らぬが仏】実は、あの料理はアメリカ人にとっては激ウマだから問題がないのか? (さすがにこれはない……と思いたい)   7.【その他の歴史的経路依存】よくわからないけれど、その他の何か、歴史的経緯によって、こうなってしまっているのか。  知り合いと、このネタで雑談していたら「貴族制が長く続いたことのある地域だと、けっこう美味いご飯が食べられるんじゃ……」「やっぱりアングロサクソンだから……」など、いろいろな話が出ました。  …問題は思いつくだけは、思いつくのですが、実際のところ、どうなのか、ということはサッパリよくわかりません。  地理学や歴史学の分野で、もしかしたらこうした社会的均衡が成り立ってしまっている状況について説明を試みた論文だとか書籍があるのではないか、と思ったのですが、もしご存知の方がいらっしゃったら、ご教唆いただければ幸いです。  まったくの興味本位で思いついた疑問ですが、考えてみると、知識伝達・学習の理論/認知科学(味覚の理論)/組織論/歴史学/地理学等にまたがる、かなり幅も広く、奥深い問題だなあ、と思えます。  たぶん、アメリカ人の中にも、アメリカの料理の水準を引き上げようという社会運動的な試みをしてきた人間とかが過去にいるんじゃないか、などということも想像してみたりしました。そういう人がどういう挫折の仕方を経験したのか、みたいなことがわかったりしたら、それでも面白いですね。  特に急いでもおりませんので、お暇なときにでもご回答いただければ幸いです。