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昭和30年代後半の玄関チャイム

 昭和30年代後半に、お家の人を呼び出す、玄関のチャイム、ブザーってあったんでしょうか?もしあったのなら、どのようなものだったんでしょう?  私は「三丁目の夕日」の映画が好きで、映画を見て以降、色々な昔の写真や映像を見るのが楽しいのですが、ある日ふと気になってしまいました。  玄関のチャイムってどのくらいの時代からあったんでしょう。もし「三丁目の夕日」の頃にあったとしたら、チャイムがある家ってもしや、お金持ちの家?  チャイムがある家の子どもって、その事を自慢したりしたんでしょうか。  その頃をご存知の方、どうぞ教えて下さい。どうかよろしくお願いします。

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回答No.1

私は昭和三十年代ぎりぎりに生まれた者ですが、物心ついた頃には、すでにわが家には“年季の入った”ブザーがありました。 薄汚れた薄緑色の丸い土台の真ん中に白い丸いボタンが付いていて、押すと「ぶー」と鳴ります。 押し続けるといつまでも、「ぶーーーーー」です。 小学校に上がる頃(昭和四十年代半ば)、友達の家に行ったら、ブザーではなくチャイム(ピンポン)があって、その音色の軽快さがとてもうらやましく、わが家の「ぶーーー」は非常に時代遅れな、ダサイものに感じられていました。 でも、そのブザーも壊れ、いざ「ピンポン」に変えてみると、なんかわが家には似つかわしくなく、「ピンポン」が鳴るたびに、家族で大爆笑!という感じでした。 と、ちょっと年代的にはズレていますが、とにかく、昭和三十年代でも、ブザーのある家は結構あったと思います。 そして、昭和三十年代の終わりから昭和四十年代頃が、ブザーからチャイムへの交代時期だったんじゃないかなあと思います。 ちなみに、わが家はさほどお金持ちではありませんでした。かといって、眼もあてられないほどの貧乏でもなく。中流かな。 祖父母、叔母、両親、私たち姉妹と、「サザエさん一家」と呼ばれるような家族でした。 また、「ピンポン」のある家も、特にお金持ちという感じではなく、子供心に「この家はうちより貧乏かも」と思えるような家(古い長屋住まいとか)でも「ピンポン」がある家はありました。 こういうのは地域差もあると思いますので書いておきますと、私が住んでいたのは古くからの大阪のベッドタウン(いわゆるニュータウンではない地域)。 戦前から住む人も多い地域でしたが、そこそこ核家族化が進んでいました。 田舎の方だとあんまりブザーやピンポンの必要性はなかったのか、母の故郷ではいわゆる呼び鈴の類がある家の方が少なかったように思います(使っていなかっただけかも、ですが)。 両親に聞けば、いつごろからブザーがあったのか分かると思います。 近々聞けたらまた追記します。

N38
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます! ブザーとチャイム(ピンポン)の違いで、羨ましがったりするんですね。とっても興味深いです。 確かにブザーの音より、チャイムのピンポンという音の方が軽快で、羨ましいかも。 丸い土台のブザーは、見たことがある様な気がします。大体500円玉ぐらいの大きさのものでしょうか。 私が想像していたより、ブザーは普及していたんですね。 昔の人、特に子どもは、お家の人を呼ぶ時は、外から名前を大きな声で呼ぶというイメージがあったものですから、少し意外です。 私の住んでいるのは北海道で、田舎なので、大阪のような大きな町ほど、普及していなかったのかも知れませんが。 詳しく教えていただきありがとうございます!

N38
質問者

補足

皆様、たくさんのご回答ありがとうございました! ちょっと疑問に思った事に、こんなに色々と教えて頂いて本当に嬉しいです。 どうもありがとうございました!

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その他の回答 (3)

  • ucok
  • ベストアンサー率37% (4288/11421)
回答No.4

少なくとも東京では殆どの家庭にブザーがあったと思いますが、使う頻度は現代に比べるとグッと少なかったです。 まず、大半の家庭が、まだ戸建てでした。したがって、ご用聞き(スーパーのなかった時代、「今日は買い物ありませんか?」と魚屋さんや肉屋さんが注文を取りに来てくれる)は勝手口に回って「ごめんください!」と声をかけてくれる。 アポなしで立ち寄った人やセールス的な人は、昼間に来るが、たいてい縁側から姿が見えるので、ブザーを押す前に家主が気づいて「どちらさま?」と訪ねる。ちなみに、これは防犯にもなる。 結局、ブザーを押すのは、誰にも気づかれずに玄関にたどり着いてしまった人や、アポをとって正式な訪問をしてくる人などに限られていました。もちろん、前者はそれなりの数がいましたが。ただ、鍵も今ほどにはかけなかったうえに、専業主婦や年寄りなど、誰かしらが家にいたので、家族が昼間にブザーを鳴らすことは稀でした。 一方で、「三丁目の夕日」の主な登場人物は自営業者です。彼らは自宅と職場が合体しているので、客にとって敷居の低い商店の入り口から呼びかければ、自宅の奥にいる家主にも声が届いたわけです。そういう自営業者は今もいますよね。 で、今だって、自分の家の状態を自慢する子供は、実際には稀です。そんなの、ただの性格悪い子ですから。ただ、格差というと語弊がありますが、昔のほうが例えば、金持ちの住む地域と、貧しい人が住む地域とがハッキリと分かれていて、互いにそれほど行き来はありませんでした。べつに、避けているわけではなく、自然とそうなっていたんですよね。もちろん、ある程度の交流はありましたが。 しかし、自慢こそされなかったものの、「ブー」が主流だった時代に「ピンポン」がある家は羨ましかったですが。 余談ですが、私の親せきの家は、ブザーを付ける経済力があったものの、代わりにドアノッカーを使っていました。けっこう、家じゅうに響いたものです。 http://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%89%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC&um=1&hl=ja&rls=com.microsoft%3A*%3AIE-SearchBox&rlz=1I7TSHJ_ja&tbm=isch&ei=MzuMT8_PL9HImAXF4bDlCQ&sa=N&oq=%E3%83%89%E3%82%A2n&aq=3r&aqi=g-r10&aql=&gs_l=img.1.3.0i4l10.3323l5055l0l8409l9l9l3l0l0l0l187l702l0j5l5l0.frgbld.

N38
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます! 確かに「三丁目の夕日」に出てくるのはみんな、自営業の方ばかりですね。 一般的なお勤めの方のお家では、いつも誰かしらが家にいる。 それじゃあブザーがあってもあまり使う事はなさそうですね。 詳しく教えて頂いてとっても参考になりました。 お金持ちの家とそうじゃない家が、自然と、あまり交流を持たなかったというのは、興味深いです。 当時は、交通が今ほど発達してなかったのも関係あるのでしょうか。 ドアノッカーがある家というのはとってもハイカラですね。

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  • hayasi456
  • ベストアンサー率40% (2402/5878)
回答No.3

昭和31年生まれです。 私の育った公団(団地)には有りました。 下記URL写真のドアの左側にあります。 http://photozou.jp/photo/photo_only/138850/3893817?size=1024 そう言えばチェーンロックもありました。 http://img01.ti-da.net/usr/manetua/koudans043.jpg 一般的な一軒屋にもありました。 小学生の頃、今で言う“ピンポンダッシュ”をやった記憶があります。 こんなのでした。 http://rinkichi.no-blog.jp/photos/uncategorized/2011/08/31/2011083107.jpg 野球をするにはボール、グローブやバットを持っている子のを皆で使いました。 自転車は近所のお兄ちゃんのお古でした。 東京オリンピックをカラーテレビのある家に見せてもらいに行きました。、 電話のある家が近くにあれば緊急連絡先に使わせてもらったりしていたようです。 裕福さを自慢するような子供は私の周りには居ませんでした。

N38
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。それに写真も、とっても参考になります! 画像のドアのブザー、見た事があります! 団地はやっぱり設備が進んでいたんでしょうか。 団地住まいは、ハイカラなイメージがあります。 ピンポンダッシュ、やっぱり子どもはそういう悪戯をするんですね。今と変わらなくって微笑ましいです。 ただ、昔の方が、みんなで助け合い、分け合いしていたんですね。素敵な時代ですね。

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  • bara2001
  • ベストアンサー率30% (647/2111)
回答No.2

No1さんのおっしゃるように、あるとしてもブザーでしたね。 ただあの時代は普段は玄関に鍵はかけません。 訪問客は玄関をがらっと開けて、「ごめんください」と言って訪問します。 なので玄関扉にベルが取り付けてあって、それが鳴ることで玄関が開いたことを知るような家も多くありました。

N38
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます! 玄関をガラッと開けて、中に声をかける。「三丁目の夕日」もそんな感じですよね! 玄関に鍵をかけないのは、やっぱり隣近所のお付き合いが深いからでしょうか。素敵な時代ですね。 玄関扉にベルをつけるというのは、喫茶店などにあるような、あんな感じでしょうか。当時の暮らしの工夫が、垣間見えて嬉しいです。ありがとうございます。

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