日常生活で、何かを伝える時、始めに、「あの~」とか「えー」とか無意味な事を言ってしまったり、はっきり断定できる話なのに、「~かも」と言ってしまう習慣に似てると思います。
気の弱い人が遠慮する時や、上司にまずいことを報告している時に結構、使われているようです。
日本人は断定的な表現を好まないようなところがあると思う。かといって、話の趣旨が分からなくなったり、相手をいらいらさせてしまうのも悪いことだと思う。
絵文字や笑いマークを使わないで、「ワハハハハ!」と露骨に書くのは、なぜか気が引けてしまうというのと似ているかも。できることならなるべく丸くおさめたい時に潤滑油的な単語として使いたい人が結構いると思う。
年配の方は、大きな声で相手に分かりやすくはっきり伝える事が重要という価値観になると思う。若い人が意味不明な記号文章でやりとりしているのは、正しい日本語を歪める事にもなりますし、内容が訳分かりません。かといって、新しい文化が生まれない社会は問題だとも思う。
どのメディアにも実用に則さない訳の分からない表現はいつの時代にもあったと思う。過去のそういう習慣が誰にでも、知らず知らずのうちに、しみついてしまっている部分はあると思う。
法律家、政治家、教師、新聞記者等でない限り、雑談等では、迷惑をかけない程度であれば個々人で、好きなように書けばいいと思う。けど確かに伏字は読みにくいと思う。