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「七つまでは神のうち」という言葉の出どころ。

1767年(明和4年)、幕府は間引きを禁じる法令を出しています。 そこで、ちょっと調べてみたのですが、 「7歳までは神の領域に属するもの」として「子どもを神に返す」という古来の日本人の精神があったそうです。 間引きのことを「子がえし」「子もどし」などと言うそうですが、これは、「神からの授かりものを返す/戻す」という意味で、子供が小さければ間引きしても問題ないと考えられ、罪の意識は低かったとされているそうです。 質問です。 「七つまでは神のうち」「7歳までは神の領域に属するもの」という考えは、どこから来たのですか。 説話集か何かに書いてあるのですか。 よろしくお願いいたします。

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  • kine-ore
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回答No.2

#1です。 >どこからこのような認識が生まれたのか、出どころは何かについては、疑問は残りますが、  : 一般的には平安期の宮中や貴族の行事に因んだ「七五三祝い」に関わるとされています。 例) 「現代に比べて医療の発達が未熟で衛生面もよくなかった昔は、子どもの死亡率がとても高く「7歳までは神のうち(神の子)」として扱われ、7歳になって初人として一人前であると認められていました。」 https://www.studio-alice.co.jp/shortcut/753_s/column/detail01.html それが鎌倉期の武家社会での元服儀式の前段としての七五三祝いとして幸若舞の言葉ともなり、やがては江戸期では商人や農家でも氏神への信仰として「七つのお祝い」が広まったことは「とうりゃんせ」の唄にも残っている通りです。

kouki-koureisya
質問者

お礼

再度のご回答ありがとうございます。 平安期の宮中や貴族の行事に因んだ「七五三祝い」に起源を求めることができるのですね。 よく分かりました。 幸若舞についても動画で見ました。 信長が最期に舞ったのはこれか、と知ったのもご回答のおかげです。 質問した甲斐があったと思っています。

その他の回答 (1)

  • kine-ore
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回答No.1

源平期に題材をとり仏教思想の色濃い幸若舞を載せた上田万年 校訂「舞の本 高館」(富山房)には次のセリフが記されています。 「男子(なんし)は七歳(しちさい)まで物あやかりと承る。…」 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1019628/65 「故事ことわざ辞典」(東京堂出版)によれば、次のように言葉の採取先が記されています。 「七つまでは神のうち」…陸奥地方 「七つ前の子は神様だ」…長野地方

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 大変参考になりました。 ご回答をヒントに調べてみたのですが、なかなか難しいです。 幸若舞は、室町時代にできたそうですから、この当時「男子(なんし)は七歳(しちさい)まで物あやかりと承る。…」という認識が、共通認識としてあったことになりますね。 どこからこのような認識が生まれたのか、出どころは何かについては、疑問は残りますが、kine-ore様のご回答で十分満足しました。

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