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上京時覚えるべき言葉は「共通語」なのか?
上京してきた人は共通語を話そうと努力する人が多いですよね。しかしそうやって話される共通語は都内の人にはかえってわざとらしく聞こえるかもしれません。 地方出身者の共通語を話そうとする態度自体には問題がない。しかし都内の人が自分たちの話す言葉を共通語だと思い込んでしまっているから、かえって聞こえてきた言葉が共通語とは少し違ってわざとらしく聞こえるのだということはないのでしょうか? 共通語の元となった標準語自体が山の手言葉をベースとしたに過ぎないということは、つまり都内を含めどこの地域の話者であっても、家族や友人等親しい間柄における常体の話し言葉として共通語だけを用いていたところは原理上ありえないということになるでしょう。 その山の手で生まれた人でさえも、そこの言葉そのものが共通語とはされてない以上、共通語とは少しずれた言葉のシャワーを浴び、共通語と完全には一致しない言葉をまずは習得することになるのでしょう。 そういうわけですから、自分たちの話す言葉が共通語だと思っている人たちにあえて共通語を話すことはかえって訛っている等違和感をもたれる原因になるわけですから、共通語ではなく山の手言葉に焦点を絞って学ぶべきなのではないかと思います。 結局それは共通語ではないのだが、都内の人が聞けばそれこそが共通語に聞こえるのではないかというわけです。 もっといえば都内に限らず自分が移り住む予定の地域で使われる言葉を村八分などにならないように習得することがありますが、それと全く同じことをしているに過ぎないのではないでしょうか?上京するときでさえもまた共通語をいう特別な言葉を習得する必要があるわけではなく、「その地域で使われている言葉としての東京の言葉」を習得するべきに過ぎないのではないかということです。 もっとも今の都心では語彙やアクセント等あらゆる範疇においてその地域特有の表現を全く使わなくなって共通語と完全に同化、包摂してしまっている地域もあるのならば、今考えてきたことは全て無駄なわけですけれど…
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- SPS700
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1。上京してきた人は共通語を話そうと努力する人が多いですよね。しかしそうやって話される共通語は都内の人にはかえってわざとらしく聞こえるかもしれません。 僕は、その土地に合わせてデタラメ弁で話します。 2。地方出身者の共通語を話そうとする態度自体には問題がない。 僕はそれほど他の場所に言葉を見下してはいません。「見上げたもんだよ屋根屋のふんどし」てなもんです。 3。しかし都内の人が自分たちの話す言葉を共通語だと思い込んでしまっているから、 それが不勉強の印でしょう。 4。かえって聞こえてきた言葉が共通語とは少し違ってわざとらしく聞こえるのだということはないのでしょうか? 大ありです。 5。共通語の元となった標準語自体が山の手言葉をベースとしたに過ぎないということは、つまり都内を含めどこの地域の話者であっても、家族や友人等親しい間柄における常体の話し言葉として共通語だけを用いていたところは原理上ありえないということになるでしょう。 はい。 6。その山の手で生まれた人でさえも、そこの言葉そのものが共通語とはされてない以上、共通語とは少しずれた言葉のシャワーを浴び、共通語と完全には一致しない言葉をまずは習得することになるのでしょう。 おっしゃる通りです。 7。そういうわけですから、自分たちの話す言葉が共通語だと思っている人たちにあえて共通語を話すことはかえって訛っている等違和感をもたれる原因になるわけですから、共通語ではなく山の手言葉に焦点を絞って学ぶべきなのではないかと思います。 同意見です。 8。結局それは共通語ではないのだが、都内の人が聞けばそれこそが共通語に聞こえるのではないかというわけです。 はい。 9。もっといえば都内に限らず自分が移り住む予定の地域で使われる言葉を村八分などにならないように習得することがありますが、それと全く同じことをしているに過ぎないのではないでしょうか?上京するときでさえもまた共通語をいう特別な言葉を習得する必要があるわけではなく、「その地域で使われている言葉としての東京の言葉」を習得するべきに過ぎないのではないかということです。 そうですね。 10。もっとも今の都心では語彙やアクセント等あらゆる範疇においてその地域特有の表現を全く使わなくなって共通語と完全に同化、包摂してしまっている地域もあるのならば、今考えてきたことは全て無駄なわけですけれど… ま、人それですから。ある東京生まれ東京育ちの言語学者が「あれ、七は、ヒチだったかなシチだったかな」と仰ったそうで、偉い人は偉いな、と思いました。
- f272
- ベストアンサー率46% (8526/18247)
上京してきた人で共通語を話そうと努力する人なんかほとんどいないでしょ。学校教育でも共通語を使った教科書を何年も使用しているし,テレビなどでも共通語を使って放送しているのを聞いています。共通語を話のには大した努力はいりません。 アクセントに関しては,共通語とは異なったアクセントで話しても通じなくなることはありません。それよりも語彙の方が問題です。その地域特有の表現を使わないという点での注意が必要になります。 それよりも深刻なのは,語彙の狭さです。擬音語を多く使ったり,ボディランゲージや「あれ」「それ」などの指示語が多く,また「やばい」「すごい」を多用する。そんな人と会話をするのは本当に疲れます。
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
言葉で重要なのは相手に通じることです。通じるのであれば多少訛っていたとしても問題はありませんが、その地方出身者以外には通じない(意味を理解してもらえない、間違った解釈をされる)などの場合は「通じる」言葉を話せるよう努力する必要がありますね。 東京というところは地方出身者がいくらでもいます。何代も東京で生まれ育ったような人はむしろ少数派です。だからこそてんでバラバラな言葉ではなく、通じる言葉を話す必要があるのです。江戸時代も大名家の姫君や子息はどこに嫁に行かされても困らないように、あるいは養子に出されても困らないように江戸言葉を教え込まれたのだそうです。だからこそ篤姫なども薩摩から徳川家定の妻に迎えられても言葉の面で特に困ることはありませんでした。家茂に嫁いだ和宮は京言葉に慣れ親しんでいましたから初めはさぞ苦労したことでしょう。