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品定めの心
物を品定めするのは普通のことですが、人間は人間を品定めします。 自分にもあります。 この品定めする心をどう思いますか?
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品定めすることと侮蔑や差別や見下しとは違います。道を歩いていて知らない人から『困っているんです。10万円貸してください』と頼まれたらお金を貸しますか?。すべての人が信用できるユートピアに住んでいるのなら話は別ですが現実は違います。知ってる人であっても連帯保証人にはならないものです。もっとも今は極度額の定めが必要となりましたが。 大事なのはだれかれ構わずに信用するのではなく、自分の頭で考え、自分の責任と判断でどこまで信用するかを見定めることです。 「信頼できる人がいるというのは素晴らしいことですが、信頼は98%にとどめ、2%は疑いを残しておきなさい」「なぜなら、その人が裏切った時に許すためにです」(誰だったかの言葉) 100%の信頼というのは、裏を返せば『あなたは決して私を裏切ってはいけない』『裏切れば絶対に許さない』ということなのですから。 また、他人と比べて自分の優秀さを測る、幸せ度を測る、というように、利害関係のない他者を品定めして云々という心理であれば、それは神経症的競争です。神経症とは訳せばノイローゼです。非現実を現実のように感じてしまうことです。利害関係のない他者を向く出すことで自分が偉くなったように感じるのであれば、それは神経症です。他人の不幸は蜜の味も、神経症的な感じ方です。また、好きなスポーツ選手が頑張っているのを見ると充足感を感じる人には『お前が頑張れよ!』と言いたくなります。
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- horizon116
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お書きの文面に対してのみ、返答してみます。 人間に限った事なのか否かは判りませんが、時と場合により ある程度の経験を積めば当然の心理だと感じます。 例えば、 とある業務を遂行していく場合に、当該人物が共に 協力し合え向上していける相手か否か。 恋愛等の場合に、共に楽しく語らい合ったり行動して いける人物か否か。 社会性や協調性等に対し、「相手を判断する」と云う行為は 必要だったりしますので当然と云っても過言では無いと感じます。 たんなる数合わせ的な場合等は「誰でも良い」となるのでしょう。
お礼
現実社会ではどうしても有らざる負えないというのが現実解 そういうのがないユートビアに行きたいですね
お礼
ユートピアという物語と現実社会の肌感覚 振り返ればいいように使われてきたように感じます そうやってある意味 目が肥えてきたのかもしれません それを汚れたとも言えそうです ありがとうございました