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災害のレポーター

災害などのレポーターが初めに、 「安全な場所から報告しています」 と、わざわざ言うようになったのは、 どういう背景があったのですか?

みんなの回答

  • seto2004
  • ベストアンサー率23% (160/691)
回答No.6

最近私もこの発言に違和感を感じています。 発言だけでなく、その映像内容にも 伝える努力は感じられなくなり、しょうもない映像を送ってくるようになった。 例えば近くの川の洪水の危ぐを報道するために、その川の近くまで行っているのに 増水状況を報道せずしょうもないことを映像で流してすましている。 要するに我々一般人はインターネットの一次情報で知ればいい。 TVはいらないということ。

  • spica09
  • ベストアンサー率32% (112/346)
回答No.5

私は、単に視聴者がうるさくなったからだと思います。

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.4

No2、補足 「レポーター」は取材記者とは立場が全く違います。 取材記者は時に現場関係者の許可を得て、より現場に近い場所まで記者自身が同行させてもらえる場合も有るのですが、 その場合は報道資料とするのが目的で、 目的が違って複数人数を要する現場中継には、安全確保が難しいとして許可が降りる事は基本的に無いだろうと思います。 リポーターの仕事はカメラやマイクの前で視聴者を相手にリアルタイムで伝えるのが仕事なので、 それが危険な場所なら、万一の時にはカメラやマイクが悲惨な事態を直接視聴者にリアルタイムで伝えてしまう可能性があります。 更には、その中にリポーター自身が含まれてしまう可能性も勿論あります。 そのように編集不可能な不測の事態を避けなければならないのは、現場中継に関わる報道各社が求められる基本姿勢となります。 (それを示しているのが、中継時のリポーターによる「安全な場所」コメントなのでしょう。) 中継でもリポーターでもない取材記者なら、 許可を得て安全確保が可能な範囲で、現場関係者に同行させてもらえる場合もあります。 許可なく現場に入り込む取材記者なら、関係者に迷惑なだけなので論外の話となります。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11128/34636)
回答No.3

#1さんのいう、雲仙普賢岳の火砕流以来じゃないですかね。あのときはマスコミ関係者だけではなく、消防団の人たちも巻き込まれて犠牲になりました。 ただ別に普賢岳の火砕流が起きてからすぐそうなったのではなく、徐々にそういう流れになっていったという感じですね。 そして阪神淡路大震災以降、災害が日常的に起こるようになりつつあって、段々「そこまで危険なことをやる意味があるのか」という感じにはなっていったと思います。 あと個人的には、イラクで人質になった日本人が出た事件も間接的に影響をしているのではないかなと思っています。 あのとき日本中の人が「政府の警告を無視して危険な場所に自ら行ったのは自己責任だ」と激しく批判しました。今に続く「自己責任論」が表になった初期の事件だったと思います。 マスコミというのはそもそも我々が行けない危険なところにあえて行って「そこで何が起きているのか」を伝える機関です。だから「危ないから行くなといわれて行かないようではマスコミの仕事をしていない」ともいえるのですが、それよりも「危険が危ない」論のほうが上回るようになった。という一面はあると思います。

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.2

以下、推測です。 以前は、 災害現場や氾濫懸念の堤防、暴風下で、 レポーター自身が被災する危険を犯してまで現場中継してることが何度もありました。 多分、 多くの視聴者から「危険を犯す」ことで「レポーターが目の前で被災」する現場を視聴者にリアルタイムで見せる可能性が有る事から、「人の命を企業利益に利用」する事に対して企業責任を問う声が集中したのではないでしょうか。 勿論、 リポーターが被災したら、現場の安全を管理する関係官庁も責任を問われる事になります。 危険な現場からの中継に対して、関係官庁からの指摘も有っただろうと思います。 …クレームを避ける意図から、 「安全は確保している」と断っているのでしょう。

  • mink6137
  • ベストアンサー率23% (595/2500)
回答No.1

1991年6月に雲仙普賢岳の大火砕流で報道関係者が16も名犠牲になりました。 それ以来です。

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