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タケミカヅチノミコトが春日大社にやって来た理由

ネットで調べてみましたが、いまいちハッキリと説明している物が見つからず、質問させて頂きます。私が知りたいのは、以下の3点です。 1. 建御雷神(タケミカヅチノミコト)が鹿島神宮から春日大社まで移動した目的。 2. 建御雷神が春日大社まで乗って来たとされる白い鹿は、実在する鹿かなのかどうか。実在する鹿なのであれば、何という種類の鹿なのか、知りたいです。 3. 何故移動手段が馬ではなく、鹿だったのか。何か特別な理由があるのであれば、それも含めて知りたいです。 ご存知の方がいらっしゃいましたら、出来るだけ簡潔に説明して頂けると有り難いです。よろしくお願い致します。

みんなの回答

回答No.3

1.他の回答者の方もおっしゃっていますが、藤原氏が「建御雷神」を祀っていたからです。 2.言い伝えなので史実は思えませんが、「白い鹿」はおそらく突然変異のアルビノの鹿のことでしょう。 3.「白い馬(正確には白っぽい馬)」は、「芦毛」といって結構多く存在しており、日本の競走馬ではオグリキャップなどが有名です。一方「白い鹿」はアルビノしかいないため、「白い馬」の比較にならないくらい希少性が高いのです。そのため建御雷神が乗ってきた「白い鹿」が特別な動物であることを印象付けようとしたのではないでしょうか。 ちなみに、次の日曜日には「芦毛」ではない「白毛」のサラブレッド・ソダシがGⅠレース(桜花賞)に出走します。この馬は3代前の母馬が突然変異でアルビノとなったパターンで、その子孫にあたります。ぜひテレビでその姿をご覧になって下さい。

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.2

> 建御雷神(タケミカヅチノミコト)が鹿島神宮から春日大社まで移動した目的。  藤原不比等が氏神として「勧請」したから、ですね。  ではなぜ不比等はタケミカヅチを氏神をしたのか、というと想像でしかありませんが、中臣鎌足が蘇我氏を伐つとき、波頭にトツカの剱を逆に突き立てて刃の切っ先にあぐらをかいて、オオクニヌシに国譲りを迫ったほどの武神タケミカヅチに成功を祈願して成功したから、ではないでしょうか。  あるいは、神武東征の際、神武が土地の神の毒気にあたり正気を失った時、霊剣を投げ落として神武を正気に戻したという故事を藤原氏を当てはめて、「藤原氏こそ天皇を正気に戻す後見役」と自負したのかもしれません。  私は鹿島神宮にも春日大社にも行ったことがないので、縁起類を見た事がありませんが、そんな風に想像しています。 > 2. 建御雷神が春日大社まで乗って来たとされる白い鹿は、  白鹿は見た事がありませんが、「清酒 白鹿」というものはあったと思います (^_^;; 。  実際に白い鹿がいるなら、古来何万頭もの鹿が生きてきたのですから、1000頭や2000頭は白い鹿が生まれてもよさそうですが、そういう伝説さえ聞いたことがありませんので、実際にはいないと思います。  白さは潔白という言葉がある通り、けがれのない清浄さを表しますので、神が乗るなら「白」でしょう。 > 3. 何故移動手段が馬ではなく、鹿だったのか。  「白馬に乗ってやってきた」でもよかったのでしょうが、ピョンピョン跳びはねて鹿島からやってくる威勢の良さを信者にイメージさせるのは鹿だと思います。馬がピョンピョン跳びはねたら、ただの暴れ馬ですから。  鹿の角がまた格好良いですので、私が格好良い神話を作るなら、やっぱり、乗り物は鹿でしょう。虎でもいいですが、日本にはいませんでしたから。白馬では凡庸すぎると感じます。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11120/34614)
回答No.1

1 タケミカヅチは中臣氏が信仰していたらしく、鹿島神宮も春日大社も中臣氏が創建に関わっていたようです。その流れで、タケミカヅチを祀るようになったみたいですね。 2 アルビノと呼ばれる先天的に色素が抜けてしまう症状があります。多くの動物でみられて、その美しい姿から神の使いとされることがしばしばですね。「白蛇」なんてその典型だと思います。 アルビノの鹿のことを指しているのでしょう。 3 さあ。神様が乗ってきたものだからしょうがないです。「馬じゃ普通だから面白くねえだろ。でも牛じゃなんかカッコ悪いし」と思ったのかもしれません。

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