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話のキャッチボールがうまくいかない知人
話のキャッチボールがうまくいかない知人がいるのです。 会話していると、向こうから一方的に矢継ぎ早に質問してくるのです。まるで詰問のように。 久しぶりに会って、 「仕事をなにしているのか?」「どこで働いているのか?」まではいいですけど、「その会社は東証一部上場しているのか?」とか「本店所在地はどこなのか?」とかまで聞いてくるのです。 そして自分のことを問われると、例えば、「弟さんは今何してる?」と問うと、 「大学生。」と体言止めのそっけない返答。 悪気はないのは分かっているのですが、こっちが答える終わる前に食い気味で質問攻めになると、こっちも話す気がなくなるのです。 小学生のときからの幼馴染なのですが、衝動的で落ち着きのない言動から少し発達障害を疑ってしまいます。 みなさんはこのエピソードをいかが思いますか?
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- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11123/34626)
私にも小学生以来の付き合いだという友人が何人かいますが、時にケンカしたり疎遠になる時期があったこともあるけれど、なんだかんだで一緒にいて心地いい(うまが合う)から長く付き合ってきたわけであって、困ったやつだなと思っても「まあ、アイツはそういうやつだからな」と受け入れられたから付き合ってきたものだと思いますよ。 だから私からすると、質問者さんはその人と「嫌々友達付き合いをしていた」ように見えるのですが、嫌々だったらなんで友達付き合いしてたの?他に友達がいなかったからそうしてたんじゃないの?って思ってしまいます。 高校生のとき、いつも一緒にいるのにお互いに相手のことを本人がいないところでは「嫌い」って言い合っていた子がいました。面白いことにお互いに「俺、あいつ以外に友達がいないから(しょうがなく付き合っている)」っていってましたね。
- pipipi911
- ベストアンサー率22% (1029/4602)
「補足」拝誦しました。 そうなんですか。 ふろく: 《意地悪》の裏には、 何らかの心の痛みが隠れていることが 少なくないんですけどね。 意地悪=心の痛み・悲しみが原因と 記憶しておいても宜しいのでは ないでしょうか。 親しい間柄では、云うに云えない 事情があって……
補足
心の痛み、悲しみは私にあります。 小学生の頃から相手は意地悪な性格で、周りの人は私の気を引こうとして、ちょっかいをかけてると言い、まだ小学生だからと私も許容していました。しかし、小学生から成人になっても、まるで変わらず進歩が無いなんて…。それで縁を切った訳です。
- pipipi911
- ベストアンサー率22% (1029/4602)
小学生時代からといっても、 そうした時代に、 どの程度のコネクションがあったのか に因るのではないでしょうか。 浅かったのではないでしょうか。 なので儀礼的に質問しても、過去に 所謂《肝胆相照らす》ような関係性ではなかった ということの証しの顕現では ないでしょうか。 それにしても、 《発達障害を疑ってしまいます》だなんて、 凄い……否、凄まじいですなぁ。 Adieu.
補足
その人は小学校のときからの仲良しグループの仲の一員で、肝胆相照らすような関係だったと思います。 でも彼の自己中心的で意地悪な性格にとうとう耐えきれず、先日縁を切ったのです。今思えば、だいぶこっちが耐えていたのかもしれませんし、人の良さに漬けこまれて、利用されていたのかもしれません。
- blazin
- ベストアンサー率50% (20266/40177)
そもそもあなたのお友達には会話のキャッチボールという感覚や概念が無いのかもしれない。自分が投げたくなった時に、投げたい球を相手に対して投げる。自分が投げた球が相手にとって取りやすいかどうか?は余り関係ない。まず投げる。投げたくなった時に投げたくなった球種で投げる。相手には自分が投げた球をしっかりと受け取ってもらいたい。でも、相手にしっかりと受け止めてもらえた分、相手から帰ってきたボールもきちんと受け止めよう。そういう感覚はあまり無い。キャッチボールとよりは、一方通行であり自己完結に比重がある。あなたの感覚としては、しっかり受け手が取りやすい球を投げる事がキャッチボールの原則。その距離やお互いの肩の温まり方に応じて投げるボールも変わってくる。相手がしっかり取る体制になっているかを確認せずに投げたらそもそもキャッチボールにはならない。自分が投げたい球だけをガンガン投げてもキャッチボールにはならない。キャッチボールにはお互いの間で作るリズムがあり、信頼がある(要る)相手がキャッチするのが上手いという信頼があれば、安心してボールを投げる事ができる。逆に相手がキャッチングに不安があると分かっていれば、相手が取りやすい球を投げるという工夫も選べる。あなたのお友達は、自分「が」すっきりするキャッチボールを中心にコミュニケーションをしてきた人なのかもしれない。その結果、キャッチボールの担い手にあまり良い感覚を提供できない。投げてくるボールの速さだったりタイミング、取りやすい場所にしっかりと投げてくれるかどうか?その部分をやや相手任せにしてしまい、マイペースにキャッチボール(コミュニケーション)に臨んでしまう。たまたまお友達の周りには、不器用なお友達をフォローしてくれるキャッチボールの上手な人たちが沢山いた。だからこそ、そのお友達のようなキャッチボールが不器用なタイプでもここまでやってこれた。逆に言えば、周りにボール拾いの上手い人がいる環境から離れてしまうと、一気に自分の持つ不器用さが浮いてしまう場合もある。自分のイレギュラーは沢山相手に処理してもらっていても、自分が相手のイレギュラーを柔軟に拾ってあげるような事はあまり経験していない。自分自身がイレギュラーを生み出してしまっているという実感、それをあまり経験せずにここまで来てしまった可能性はある。病気云々というよりは、環境や周りとのコミュニケーションによって育まれる部分と、上手く育めずにそのままになってしまう部分がある。そんなアンバランスさの影響は多少なりともあるんだと思うからね☆
補足
たぶんそうかもしれません。 後、彼には聞いていいことと、悪いことの区別がないのかもしれません。 私「今は地方で暮らしてる。」→相手「施設にいるの?」 失礼な質問だと思います。私は何も病気を患っているわけでもないのに。地方在住=施設 ってどういうことなのか。
補足
その頃は私のわがままだったと思っていたし、仲良しグループのメンバーの一人ということで、惰性で付き合っていたのかもしれません。 だいぶ私のほうが我慢していたことに気づいた次第です。