日本語の主体について
古文の学習をしていて、少し現代文の日本語の主体が分からなくなったので質問をしました。
以下参考書より抜粋
内裏に参りて、御鷹の失せたる由を奏し給ふ時、帝ものも宣はせず。「聞し召しつけぬにやあらむ」 とて、また奏し給ふに、面をのみまもらせ給うて、ものも宣はず。
問題は「聞し召しつけぬにやあらむ」の主体を明示して解釈せよ、というもので、解答は帝が主体だとのことなので、
この文を現代文に直すと、
(私は)「(帝は)聞き取りなさらないのであろうか」と思って、....①
となると思うのですが、帝の主体がかかる部分は「聞き取りなさらない」の部分だけであって、残りの「のであろうか」は私の主体がかかる部分である気がしたので、
私は「帝は聞き取りなさらない」のであろうかと思って、......②
というふうに考えました。
もしくは、
私は「聞き取りなさらないのであろうか」と思って、
のように、私が「聞き取りなさらないのであろうか」の主体であるような気もしてきました。
①の疑問文のところまで帝が主体の文である、というのは少し違和感を感じたのですが、日本語の現代文的にはどうなのでしょうか。
回答よろしくお願いします。
お礼
ご回答ありがとうございます。 郡山....奈良かと思ったら福島県なんですね! 行ってみようと思います(笑)