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衆道の反対
戦国時代には男性同士の同性愛として「衆道」というものがあったそうですが、逆に女性同士の同性愛のようなものは存在しなかったのでしょうか。
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- oska2
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>戦国時代には男性同士の同性愛として「衆道」というものがあったそうです 戦国時代でなくても、江戸時代・幕末まで同性愛は存在しました。 明治維新で、西洋文化とりいれ+脱アジア文化政策で(表向き)同性愛はなくなりました。 日本人は、(今でも?)性に対して寛大でしたからね。 庶民でも、混浴は当たり前でしたから・・・。 >に女性同士の同性愛のようなものは存在しなかったのでしょうか。 大奥という制度が無い時代。 戦国時代でも「お妾・正室」になる事が決まると、お付きの者が「性行為」を教育していました。 世継ぎを産む事が第一ですから、性教育は必然だったのです。 嫁ぎ先で、旦那(殿さん)が亡くなると未亡人になりますよね。 ※江戸時代は、旦那が亡くなると出家する場合もありました。 次の嫁ぎ先が決まるまでは、夜伽はお付きの女性が行っていました。 江戸時代も、同様です。 大奥なんかは、「大人のおもちゃ」がバカ売れした様です。^^; 余談ですが、歌舞伎の事。 歌舞伎の始めである「出雲阿国」は、女性ですよね。 当初の歌舞伎は、女性が演じるものだったのです。 ところが、唄・舞を見せるだけでなく「春を売る」役者が案外多く風紀が乱れました。 そこで、お上は「歌舞伎は、男が演じろ」と命令を出したのです。 妖艶な唄・舞を基本とする歌舞伎に、男(おっさん)が演じるのは無理がありますよね。 考えた挙句、座頭・座長は「可愛い男児・子供」が演じる様にしたのです。 が、逆に衆道相手に歌舞伎役者の人気がでて風紀が乱れた。 お上は「男児・子供が歌舞伎を演じるのを禁止」したのです。 結果として、現在の「おっさんが演じるのが歌舞伎」となりました。
- eroero4649
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歌舞伎の創成期は、男装した女性によるレズビアンショーだったそうです。出雲阿国なんてのはそういう人だったようです。もちろん、それを見て興奮した男性からお声がかかればお金を払えば男性に対して相手もしてくれます。 それが公序良俗に反してけしからんということで禁止されまして、今度は若い少年によるホモホモショーである「若衆歌舞伎」になります。 しかしこれまた公序良俗に反しとるじゃないかけしからんということで禁止されまして、(元服前の)未成年はダメだということで成人男性による「野郎歌舞伎」となりまして、現在に至っております。 https://wa-gokoro.jp/traditional-performing/kabuki/435/
- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
- ベストアンサー率31% (3133/9934)
タブーだったと言う説もありますが、意外とありました。 ただ、中世以降、創作活動は男性が占めていたこともあり、作品としてあまり残っていないのです。 結婚前の女が性欲に溺れるのは良くない。 ましてや結婚後旦那以外の者とするものいただけない。 という貞操観念が日本文化における女性同士の同性愛をタブーとしたようです。 江戸時代になると、浮世絵などに描かれるようになりました。 女装した若衆を買う女性もいたとか。 明治になってキリスト教と西洋精神医学が入ってくるまで、強くは男女とも同性愛をタブーとされていなかったようです。 あと、男女ともに女性同士の同性愛作品の需要が男性同士の同性愛モノと比べて少ないような気がします。 衆道は主従の命を懸けた誓の繋がりであり、女性同士のはそんな重みは無いような気がします。
- rikimatu
- ベストアンサー率19% (629/3297)
戦国時代ではないのですが江戸時代なのですが 大奥や女牢や遊郭ではレズビアンは少なくなかったと言われています。 陰間茶屋(男色の売春。男娼のいるところ)は女性にも人気だったらしく純粋に男娼を買いに行っていたのでしょうが女装させて疑似的に同性愛を楽しんでいたのかもしれませんがとにかく衆道に比べて圧倒的に記録が少ないみたいです。