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古事記より前に弓矢は存在したのか?
あまりに複雑すぎるので、古事記を劇画化したのを読んでいたのですが、一つ疑問があります。というのは、古事記が編纂された時代より、はるか昔に、すでに弓矢はあったのでしょうか? それと、その本には、今で言うボーガンみたいな武器も描かれていたのですが、そんな昔にそのような武器が、すでにあったと考えてよろしいのでしょうか?よろしくお願いいたします。
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単刀直入にいましてありました。 古事記編纂が712年ごろですが 弓矢に関しては旧石器時代から使用されていて、分かってる最古のものでは南アフリカのシブドゥ洞窟で発見されたもので約64000年前のものでアジアではスリランカの熱帯雨林の洞窟「ファ・ヒエン・レナ」から発見された弓矢の矢尻が約48,000年前の物が最古です。 ボーガンは弥生時代に発掘されていて中国では弩と呼ばれ紀元前5世紀に使用されたという記述があります。ちなみに織田信長がやった三段打ちは秦の始皇帝が弩でやったという話を聞いたことがあります。
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- oska2
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> 古事記が編纂された時代より、はるか昔に、すでに弓矢はあったのでしょうか? もちちろん、弓矢は存在していました。 そもそも古事記は「天武天皇が命令して編纂した物語」ですよね。 ※天武天皇から「天皇」となのり、それまでは「大王」と呼称。 1憶2000年前の縄文時代から、弓矢は用いています。 > 今で言うボーガンみたいな武器も描かれていたのですが、そんな昔にそのような武器が、すでにあったと考えてよろしいのでしょうか? 現在のボーガンとは、異なります。 どちらかと言えば、日本の「小型の弓」で用いるタイプだった様です。^^; 余談ですが・・・。 古事記よりも旧い記録が、全国各地の神社に残っています。 文科省非公認の古代史ですが、読めば納得する記述もありますよ。 例えば、アマテラスとスサノウは赤の他人で「和議の為に、政略結婚」をした。 3人の娘が生まれたが、3名とも「宇佐八幡宮」の女神となった。 この事は、室町時代までの雛飾りに名残が残っています。 内裏には、アマテラス(伊勢神宮系)とスサノウ(出雲大社系)を祀り。 次の段には、二人から生まれた3人の娘(宇佐八幡宮)を祀り。 などなど・・・。 スサノウがアマテラスに会いに来た時に、アマテラスが「スサノウを攻撃する」記紀の記録にも合致しますね。^^;
お礼
そんな古い頃からありましたか。驚きですね。古事記についても、そんな古い文献もあるわけですね。知りませんでした。参考になりました。ありがとうございました。
- jasko
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古事記の編纂が和銅5年、西暦712年だとします。 既に中国は隋が倒れて唐の時代です。すでに遣隋使は行き来していましたから、石弓の技術も日本に知られていたはずです。弓矢は原始的な武器ですから、縄文以前の石器時代から日本にあったと思います。矢じりの出土品があったと思います。日本には石弓は定着しませんでしたが、「まんが」の描写でしたら、大目に見てやってください。
お礼
なるほど(笑) それにしても、漫画でも、ストーリーを把握するのに四苦八苦するのに、いきなりの漢文のみで、確か、本居宣長だと記憶していますが、よく、把握できたな、と感心しますね。さらに言うと、そんなストーリーを、よく、一人で暗記していたな、と稗田阿礼にも脱帽です(笑) 「昔の人は偉かった」……ですかね。 ありがとうございました。
- tzd78886
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弓矢なんてものは原始人の描いた壁画にもあるくらいですから、当然存在しているでしょう。ボーガンは簡単なものであればそんなに作るのは難しくありません。
お礼
そうですか。そんな昔からあったんですね。参考になりました。ありがとうございました。
お礼
いやはや、随分、古い頃からあるんですね。驚きました。ボーガン形弓矢についても、そんな古い頃に既にあったんですね。なるほど。大変、参考になりました。ありがとうございました。