- 締切済み
平氏政権と源氏政権の違い
平清盛の六波羅政権と源頼朝の鎌倉の政権の違いは何でしょうか??? 参考書に「六波羅政権は貴族的な性格が強かった。」と書かれているのですが、「貴族的な性格」というのは、六波羅政権のどのような特徴を指していうのでしょうか??? また、頼朝の政権が「武士的な性格」の政権だというのであれば、「武士的な性格」というのは、鎌倉幕府のどのような特徴を指していうのでしょうか???
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
みんなの回答
- oska2
- ベストアンサー率44% (2309/5138)
>平清盛の六波羅政権と源頼朝の鎌倉の政権の違いは何でしょうか??? 貴族政治と武家政治の違いですかね。 清盛は、(身分が低かった)貴族の家来としての存在だった武家の身分を貴族と同等にする事に成功しました。 そして、あくまで「天皇の組織の一員として、貴族の政治」を行ったのです。 >頼朝の政権が「武士的な性格」の政権だというのであれば、「武士的な性格」というのは、鎌倉幕府のどのような特徴を指していうのでしょうか??? 頼朝の政治は、天皇から政権を委任されて政治を行ったのです。 同様に、武家の棟梁として全国各地の武家を束ねました。 武家政権は、頼朝から足利家まで続きます。 ※信長・秀吉は、貴族的身分体制に基づいて政治を行いました。 その後、家康が頼朝を倣って(反面教師も含む)武家政治を行います。
- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
- ベストアンサー率31% (3132/9933)
頼朝が目指していたものは実は平家政権とほぼ似たようなものも考えていたようです。 平氏の六波羅政権のように婚姻によって皇室や摂関家と繋がり中央に返り咲くか、坂東武士を中心に皇室と縁を切り全国統一し政権を掌握するか。 頼朝自身が亡くなるまで決めかねていたようです。 頼朝の下には当初、京(中央)派と坂東派に別れており、京派は義経を中心に、坂東派は頼朝の妻政子の父や弟の北条氏を中心に構成されていました。 が、義経が京に出向すると(頼朝の長女大姫を摂政近衛基通と再婚させようと画策していた痕跡があるようです)鎌倉に京派の有力人物が少なくなり、そのうち失脚してしまいますが、頼朝は大姫を天皇に嫁がせようとしていました。 ですが、頼朝の思惑に反して大姫は再婚を嫌がり病死、妹の乙姫(三幡)を天皇に嫁がせようと工作するも頼朝が死亡、その5ヶ月後に乙姫も亡くなり、京派の計画はほぼ頓挫してしまいます。 頼朝亡き後北条氏は鎌倉での政敵である頼朝の乳母比企尼の関係者をことごとく消していき、完全に坂東派政権を作り上げ、承久の乱が発生します。 頼朝の政権と言うよりも北条氏の坂東政権が鎌倉幕府と言った方がいいでしょう。 鎌倉幕府の歴史書「吾妻鏡」は北条氏が作らせたようなものですから、ブラックすぎる部分は書かないようにしたため、義経が政治的無能者のような感じに・・・
お礼
ありがとうございました。 頼朝自身が亡くなるまで決めかねていたようです。……分かるような気がします。担がれてはみたものの、京の都も気になるというところでしょうか??? 頼朝の政権と言うよりも北条氏の坂東政権が鎌倉幕府と言った方がいいでしょう。……3代続けて不可解な死に方をしていますよね。神輿はお祭りが終わると必要ないということですかねぇ。 義経が政治的無能者のような感じに・・・……評価の分かれる人物ですね。 参考になりました。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11120/34615)
その時代にはあまり詳しくないですが、京都生まれ京都育ちであった平清盛は、「武家の公家化」を目指したのではないかなと思います。公家からどうしても低く見られる武家というものの社会的立場の向上を目指した。なのであくまで清盛の考え方としては、「平家をかつての藤原家のようにしたい」ということではなかったかなと思います。 一方の、キャバクラ幕府、いえ、鎌倉幕府の目指すところは「武家の、武家による、武家のための政治」だったのではないかなと思います。公家は邪魔だよと。 というのも、関東人からすると関東では公家の権力(京都)とは遠いところにありますから「なんで俺たちがあんな遠いところの命令を聞かないといかん?」というのはあったと思います。やっぱり独立していたいんですよね、関東人は。 ですから六波羅政権の貴族的性格というのは、「武家が貴族(公家)になろうとした」というところだり、鎌倉政権の武士的な性格は「武家は武家として独立したい」というところだったんじゃないかなと思います。
お礼
ありがとうございました。 「武家の公家化」を目指したのではないかなと思います。……なるほど。「武家政権への助走段階」だと理解していたので、「ひたすら武士の政権を目指していた。」という、私の凝り固まった頭には到底生まれてこない発想です。京の都に基盤を置いたことや、徳子を中宮に入れたり、それから清盛って、安徳天皇の祖父に当たるわけでしょ。藤原氏とやり方がまったく同じですよね。納得できます。 「この世をばわが世とぞ……」と「平家にあらずんば……」がダブってきました。 やっぱり独立していたいんですよね、関東人は。……関所の外側の意地ですかねぇ。(笑)まだ手を付けていないのですが、「東国国家論」と「権門体制論」だったかな???今、私が興味を持っているテーマのひとつです。 六波羅政権の貴族的性格というのは、「武家が貴族(公家)になろうとした」というところだり、鎌倉政権の武士的な性格は「武家は武家として独立したい」というところ……「平氏から東国武士団へ」……「武士」としての自覚というか、意識の持ち方として、重要な分岐点だったのだと理解することにします。
- gunsin
- ベストアンサー率32% (420/1308)
平清盛は貴族から政権の一部を奪った。 そして、平家一門だけが栄華に酔いました。 源頼朝は貴族から政権を奪い、貴族の時代から武士階級中心の時代に、 変革しました、源頼朝には大きなビジョンがあったのです、弟の義経は 兄のビジョンに気が付かず、官位を貰って喜んでました、だから、 殺されたのです。 鎌倉時代の始まりは、後の明治維新と共に、日本の大きな変革なのです。
お礼
ありがとうございました。 源頼朝には大きなビジョンがあったのです、……どのようなビジョンがあったのでしょうか???単に武士の棟梁として祭り上げられただけではなかったのですか???
- notnot
- ベストアンサー率47% (4900/10359)
> また、頼朝の政権が「武士的な性格」の政権だというのであれば、「武士的な性格」というのは、鎌倉幕府のどのような特徴を指していうのでしょうか??? 全国の武士の求めていたのは、本領安堵と、周囲との土地争い問題の解決です。 頼朝の政権はそれを解決しようと向き合いました。 > 「貴族的な性格」というのは、六波羅政権のどのような特徴を指していうのでしょうか??? 荘園制を基本とした土地制度です。 どちらも、理解のためには荘園制度について調べると良いかと思います。
お礼
ありがとうございました。 早速、「荘園」のことを調べてみたのですが、難しいですね。某教授によると「荘園についてうまく教えられたら高校の歴史教師として一人前」だそうですから、私には「荘園」を理解するのは、無理なようです。 全国の武士の求めていたのは、本領安堵と、周囲との土地争い問題の解決です。……つまり、「本領安堵」が、「武士的な性格」の政権の特徴ということですね。鎌倉幕府の成立によって、「土地争い」は減少したのでしょうか??? 「荘園制を基本とした土地制度」で政権が運営されている政治形態が、「貴族的性格」の政権と理解してもよいのでしょうか???荘園は、次第に形骸化していったとはいえ、太閤検地まで存在したのでしょ???「荘園」という名称は別にしても、天皇であろうが、貴族であろうが、武士であろうが、「土地」が、政権の基盤であったことは、江戸時代まで大して変わらないという認識をを持っていたのですが。
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
平家は官位を重視した。源氏というより、頼朝は征夷大将軍にこそなったけれど、朝廷での簡易などバカにしていた。そういうものをありがたがっていた義経と軋轢が生じた。京都で生まれ育った義経は平家に代わることだけを考えていて、皇族や朝廷を無視する頼朝が理解できなかった。
お礼
ありがとうございました。 頼朝が朝廷の官位を馬鹿にしていたかどうか知りませんが、「頼朝の置かれている立場」というのを義経は理解していなかったんじゃないですかねぇ???
お礼
ありがとうございました。 清盛は、(身分が低かった)貴族の家来としての存在だった武家の身分を貴族と同等にする事に成功しました。……eroero4649 さんのご回答からも、理解できます。 頼朝の政治は、天皇から政権を委任されて政治を行ったのです。……征夷大将軍に任じられたことを指しているのでしょうか??鎌倉幕府の成立時期については、いろいろな説があるようですね。征夷大将軍に任じられた1192年もその一つのようですが、頼朝にとって、あるいは家康にとっても、「征夷大将軍」というのが、政権運営にあたって、それほど重要だったのか???という疑問を持っています。 信長・秀吉は、貴族的身分体制に基づいて政治を行いました。……征夷大将軍に任じられなかった、あるいは、右大臣あるいは関白に任じられたことを指しているのでしょうか???信長が政治を行ったのか、という疑問を持っていますし、「貴族的身分体制に基づいて政治が行われた」といっても、武士の政権であることには変わりないという感想を持っています。