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内向性を外向性に変えるにはどうしたらいいですか。
内向性を外向性に変えるにはどうしたらいいですか。 社交的になっても、内向という本質を取り除くことは出来ません。 他人との広い友人関係を望んでいるが、一人の時間のが休める、しかし、 本当は友達などの交友関係を広げて人生を楽しくしたい。 人の関わりがなきゃ、人生は空虚なものだと思う。 価値観を共通する少数でつるむオタクなどは、住んでいる世界が狭いと思う。 わいわいとはやりたいが、そうではない性格。 受け入れてもらえず人が嫌いで私は小さい時から孤立してきた。 病気で世間の常識がまったくわからなくて、毎度孤立して、一人の時間が増えて一人を好むようになっている、 ただそんなんじゃつまらないですよ。 ぼっちとか、人間として情けない。 社会的なコミュニティを築く動物なのに、そこで孤立するなんて明らかに、紛れもない社会不適合者。
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- hiro-hiro-hiro
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受け入れてもらえなかった記憶があるので,人が嫌いになった.嫌いな人といるのでストレスが生じるので,一人の時間を取って休むことになる.受け入れてもらえなかった記憶がなければ,人が嫌いでないので,それ以降のことは起きないでしょう?過去の受け入れてもらえなかった記憶を今詳しく見て,今はもうないなどと思えば,嫌いでないので人といるストレスが減るでしょう.思い通りになると思います.
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11124/34628)
>周りは自分のことを嫌ってくることが多いのに、それでも好きになるのは難しいですね、 なんで嫌われちゃうのですかね。それが分かっているなら、そこの部分は改善したほうがいいですよね。「私ってすぐウソをついちゃうんだけど、そのせいで嫌われます。嫌われないためにどうすればいいですか?」って聞かれたら、「そりゃウソつきは嫌われるに決まっているだろ」と思いますでしょ。 なぜ自分が嫌われるのかがよく分からないのなら、自分で思い込んでいるほど嫌われていないと思います。それは嫌われているのではなくておそらく「関心がない」だと思います。関心がもたれないのを、嫌われているように感じるのだと思います。 ほら、よくいうじゃないですか。「愛の反対語は嫌いではなく、無関心」って。関心がないのは、好きでも嫌いでもないです。質問者さんが全く興味がない芸能人について好きですか、嫌いですかと聞かれても「そもそも興味がないから好きも嫌いもない」ってなりますでしょ。 >友達ではない周りの人間を常に本当は裏がある、みたいに人の悪い面を疑い探っているので、よくないですね。 自分自身だって、裏があるでしょう?なぜ他人が裏があるのは許せないのに、自分が裏があるのはオッケーなのでしょうか。 とりあえず「自分が欠点を持っているように、他人も欠点があるのだ」とそのことを受け入れることでしょうね。自分を特別扱いしない、他人を特別扱いことだと思います。自分は他人と同じだし、他人も自分と同じ。 とりあえず他人と上手くやりたいなら、少なくとも必要以上にネガティブな態度は表に出さないことだと思います。 質問者さんだって年がら年中ネガティブな発言や他人の悪口ばかりを口にする人がいたら「関わりたくない」って思いますでしょう?
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11124/34628)
私は質問者さんのいうところの外向的な性格です。で、全てがいいことなのかというと、まあそれなりに嫌なことや失敗もあります。いいことだらけではないですよね。ただ、外向的な人というのは内向的な人に比べると自分が傷つくことに鈍感であるかもしれません。 で、もし私が「外向的な性格なんて嫌だ。内向的な性格になりたい。そうなるためにはどうすればいいですか?」って聞いたら、質問者さんはなんと答えますか。うん、その人の持つ元々の性格っていうのは変えられないと思うのですよ。外向的な人がどんなに頑張っても超内向的な人にはなれないし、内向的な人がどんなに頑張っても松岡修造さんみたいにはなれません。むしろ内向的な人が無理に松岡修造さんみたいなキャラを演じたら、たぶんどこかで精神を病んでしまいますよね。 篠原ともえさんって、若い頃は「シノラー」と呼ばれて派手でハイテンションなキャラクターでした。彼女がブレイクした頃に付き合っていた子が篠原さんと地元が同じで、友達が篠原さんとクラスメートだったらしいんですよ。で、その子の情報によると篠原さんの地の性格は全然違う大人しい人で「あんな子じゃない。めちゃくちゃ無理してる」といっていたそうです。 一時期篠原さんは表舞台から姿を消していたのですが、その頃は「奇行」が話題になっていましたね。しばらくすると「奇抜な女の子」から「落ち着いた大人の女性」として再プチブレイクをしました。今のキャラクターが素の彼女なのでしょう。 質問者さんと私の、一番の違いはたぶん「他人が好きか嫌いか」だと思います。質問者さんは基本的に他人が嫌いですよね。中には好きな人もいるでしょうけれど、相手が直接の知り合いだろうがテレビタレントだろうが、好きな人はおそらく「例外」になるでしょう。 私は逆なんですよ。もちろん嫌いなやつもいます。でも私にとって嫌いな人のほうが例外で、基本的に他人は好きです。誰だって、嫌いなことは積極的になれないですよ。まあまずはテレビタレントとかに「俺こいつ嫌いなんだよ」とか「なんでこんなやつが売れてるんだよ」って毒づくことをやめてみるとかじゃないでしょうかね。「この子は可愛いから許す」とか「面白いことをいうから好き」とかそういう目線で他人を見ることじゃないかなあ。
お礼
人を好きになるということですね、 周りは自分のことを嫌ってくることが多いのに、それでも好きになるのは難しいですね、 友達ではない周りの人間を常に本当は裏がある、みたいに人の悪い面を疑い探っているので、よくないですね。 どうしたらいいですか。
- OldHelper
- ベストアンサー率30% (763/2516)
70代男です。 内向的性格は何をしても変わりません。 でも、自分を認める人を増やすことはできます。 質問者さんは「自分を認めてくれる人」が欲しいのでしょう。 自分を認めてくれる人は、何かあれば話しかけてきます。 自分から積極的に出て行かなくても、相手から寄ってきます。 自分を認めてもらうには、コツコツと小さなことを積み重ねることです。 スポーツでも、学習でも、技術取得でも、善意でも、自分のできることを コツコツと積み重ねていくしかありません。 いつしか大きな積み重ねになって人が認めるようになります。
お礼
自分から努力して好かれる人間になるということ。 とても素晴らしい考えだと思います、
- nihonsumire
- ベストアンサー率26% (845/3162)
回答が難しく、その回答が正しかったとしても実行が難しい質問ですね。ほんの少し参考になればと回答します。 内向性を、マイナスと捉えないことが第1です。次に、心理学者アドラーさんが言ってるように、内向的な世界を自分自身で作り出しているという認識を持つことです。第3に、自分の仕事や趣味の延長として、研究会/研修会、セミナー、イベントあるいはボランティアなどに可能な限りする参加の努力をすることです。無理にコミュニケーションを取らなくてもそこに存在することで十分です。 私は、このように実践しています。やり方は人様々です。参考にになれば幸いです。
お礼
イベントなどの社交場に慣れていくということですね。 いいえ、内向性は外交性より控えめで消極的な、自ら自分の人生を楽しめなくしている嫌な性格です。 なので、マイナスしかないです。 マイナスにみないこと、なんて、マイナスにしか見れないものなのだからしょうがない。
- sknbsknb2
- ベストアンサー率38% (1158/3035)
内向性を外向性に変えることなんてできません。でも別にそれでいいじゃないですか。内向的な性格でも友達はできるし、一人でコツコツ続ける仕事だってあります。 世の中にはいろいろな人がいて、だからこそ世界が成り立っているのです。みんなと同じ様になる必要なんてありません。 あなたがいろいろな人を認める(好きになれというのではなく、いろんな人がいてもいいと考える)なら、世間も内向的なあなたをちゃんと認めてくれます。
お礼
ひとりでこつこつ? そんなことよりも、リーダータイプの社交家のが年収いいんですよ。 外交性の人の方が楽しそうだから、自分が内向性なのが自分で自分の首を絞めている。 自分の性格が人生をつまらなくしているんですよ。 社交的にしたって、社交場や飲み会みたいな場が好きじゃなくて、パーティみたいなのより2人で旅に出かけたり、1人でじっと風景を見ていたい。 どっちが楽しいと思います?? 外交性の人のが楽しいに決まってるじゃないですか。はしゃげて。 だから、静かな性格は、マイナスしか呼ばないんですよ。
お礼
ああ~ 確かに! 嫌な所を見せてる人間に寄り付かないのは、 それだけでこいつうざいみたいな雰囲気になるからかもしれないですね、大なり小なり 無関心なんじゃなくて嫌われてます、 それは見れば分かります 例えば席替えの時、となりになると男から、女から、最悪だと、陰口を言われる、 近ずけばすぐに悪口を言う人がいれば、目を合わせると睨む人をいる、 小学校はいじめられたが、嫌われると言うよりは、馬鹿にされる対象だった 中学校は、小学校の印象の延長みたいなもの。まわりは自分とペア、またはグループークをすることを必ずといっていいほど嫌った。 高校、いじめられた、中学よりは嫌われなくなったが、やはり確実に嫌われてはいる、 なぜ嫌われるかは、私がヘマをするから、 間違ってなんかしてしまった、という度が過ぎるのかもしれない 普通の人には出来てんのに自分は出来ない、 忘れ物はひどい、頭は悪い 運動が出来ない、耳は遠い、不注意、空気の読めなさ 自分を産んだ親が悪いわけじゃない 自分はなぜ障害で生まれたのかという、そう、私の運命を決めつけた、この世を恨んでいる。