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旧陸奥国と旧出羽国は何故あんなに広いの?

SARURADAの回答

  • SARURADA
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回答No.7

こんばんわ。少し違った意見を言います。けっこう自信アリです。 詳しい数字は忘れましたが、太閤検地で日本の石高が出されたとき、陸奥と出羽の石高はずば抜けています。少なくとも面積に見合った石高です。時代が新しいと言われればそれまでですが...。 この地域が広い理由は、江戸時代以前の東北地方の産業構造が他の地域と全く違うからです。他の地域は農業を基盤としていますが、奥羽は特産品である金の採掘に重点を置いています。 奥州藤原氏の頃の日本は金の産出量世界一といわれ「黄金の国ジパング」としてマルコ・ポーロらによって世界中に紹介されるほどです。その日本の金の八割が奥羽で産出されています。もしかしたら藤原清衡は世界一の大富豪だったかも知れません。無論この前後の時代も奥羽の金の力は絶大です。金を産出しなくなったのは平和になった江戸時代からです。人々が金よりも平和選んだからかも知れません。 このような地域を未開の地と蔑むでしょうか。むしろ逆です。少なくとも本音の部分では絶対にほしい地域です。陸奥と出羽の行政区が広いのは金産出の特別区扱いで、中央政府がこの地域の農業を全く必要としていなかったからです。 農業が基本ならば、地形や気候、人口などを把握しておおよその生産量を割り出します。当然行政区が狭いほうが正確ですし、生産力を落とす自然災害にもすばやい対応ができ被害を最小限に抑えることが可能です。しかし金の採掘だけが目当ての奥羽ではそんなものは必要ありません。地形はまだしも気候や人口がどうであれ埋蔵量に変化はありませんし、自然災害で人が多少死んでも金は死にません。 私は当時の中央政府には他の行政区のように、この地域を「開発が進んだら分ける」などという発想は無かったと思います。 また、奥羽は日本一の金産出地域であると同時に、日本一の馬産地でもあります。平安時代、中央では馬は大変貴重で一部の特権階級しか使えません。今の感覚で言ったら自動車はおろかジェット機や新幹線に匹敵するぐらいの性能だったと思います。このようなものを奥羽では、身分問わず金持ちから貧乏人までみな持っていたわけです。 馬を安く大量に生産できる奥羽の行政官は当然この力をフルに活用したと思います。つまり中央とは機動力や輸送力のケタが違うわけです。 馬を腐るほど持っており自由に使える彼らの感覚にしてみれば陸奥や出羽の広さは、中央からみた摂津や和泉などよりもずっと狭いぐらいに思っていたかもしれません。

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