• ベストアンサー
  • 暇なときにでも

義満の選択した「冊封」の意味するものは???

  • 質問No.9701908
  • 閲覧数51
  • ありがとう数2
  • 気になる数0
  • 回答数2
  • コメント数0

お礼率 96% (106/110)

「流れをつかむ日本史」という本を読んでいて、下記のような記述が気になりました。

義満は、正式な日明貿易を行うため、明に朝貢する形で使者を送り、明皇帝から「日本国王」に冊封(明の朝貢国として日本を統治することを認められる)されました。これは、当時の貴族の間でも、屈辱外交として評判が悪いものでした。日本国王に冊封されることによって皇位を簒奪しようとしたのだという説もありますが、義満は国内向けに日本国王の称号を使おうとはしていないので、あまり支持する研究者はいません。
 

「冊封」というのは、日本の古代史の記述にも出てきたような記憶があるのですが、その時は、相手は大国だし、中国に対する日本の態度もなんとなくわかるような気がするという程度で、そんなに気にも留めていなかったのですが、室町時代になって、この「冊封」という用語が出てきたことに、「これは、なんなのか」という疑問が湧いてきました。しかも「当時の貴族の間でも、屈辱外交として評判が悪いものでした。」ということだったようで、私も、私の先祖も貴族ではありませんが、疑問が湧いてきました。

1 義満はなぜ「冊封」という道を選んだのでしょうか???単に「財政」だけでしょうか???鎌倉時代の「元寇」は関係しているのでしょうか???ご回答をお願いいたします。

2 現在の「日中」、「日韓」、「日朝」の関係が、ふと頭の中をよぎったのですが、この4国関係は、「古代から何も変わっていないのではないか???」と。ご意見をお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.2
  • ベストアンサー

ベストアンサー率 56% (3480/6149)

> 義満はなぜ「冊封」という道を選んだのでしょうか

 商人どうしの通商だと、原則「等価交換」です。もちろん中国での価格と日本での価格は違うので、日本まで持ってくれば儲かるということはあったのですが。

 ところが、明の朝廷に朝貢すると、「我が国の権威を慕ってはるばる海を越えてやってきたか。ういやつじゃ。褒めてとらすぞ」とメンツがたったとして、ちょっと贈り物をすると2倍3倍の量・価値のある返礼品が返ってきたわけです。

 2000円故郷納税すると、1万円相当の松阪牛の肉が届く、という感じです。

 マイナスが大きいので、朝鮮に対してだったと思いますが、明は「あまり頻繁に朝貢してくれるな」と通達を出したそうですが、大陸国の明にとって元を撃退した日本などが「はるばる海を越えてやって来た」という事実は自身の虚栄心をくすぐることで、琉球に対しては「来るな」と言わなかったようです(拳骨拓史:中国が憧れた理想の国日本)。

 但し、朝貢だからこうなるのであって、「我が国は対等の貿易をしたいだけで、朝貢はイヤです」と言ったら相手をしてもらえないわけです。

 朝貢するには冊封してもらわなければならない。だから、冊封を受けただけでそれ以外の意図はなかったのではないでしょうか。

> 鎌倉時代の「元寇」は関係しているのでしょうか

 無関係ではないでしょうね。

 質問者さんが、どう関係していたとお考えかわかりませんが、私は自信の表れだと思っています。「冊封だなんだと言ったところで、なにも変わらない。何か命令してきたら拒否すればいい。元寇以上に、完膚なきまで叩き潰してやるわい」に思っていたのではないか、と思います。

> 現在の「日中」、「日韓」、「日朝」の関係
> この4国関係は、「古代から何も変わっていないのではないか???」

 日中韓北 の4ヶ国ですか?

 どの点が変わらないとおっしゃっているのかわかりませんが、まあ変わらない点もあるでしょうが、全般的には変わっているでしょう。

 当時1国だった朝鮮が今は2国になって争っていますし。もっと昔の事を言えば、今2国の朝鮮は3国(高句麗、新羅、百済)だったり4国だったりして争っていましたし。

 大陸国で、日中の間には広大な海がありましたが、いまは「もともと海は我が国のものだ」とか中国では言ってますし。

 「冊封だ(海は我が国のものだ)なんて言っていても、口先だけさ。そんな力なんてナイ!」「我が国には恐れ多くも憲法第9条がある」などとうそぶいているわけにはいかない時代ですよ。
お礼コメント
ahondarades

お礼率 96% (106/110)

ありがとうございました。
よくわかりました。
投稿日時:2020/01/16 03:23

その他の回答 (全1件)

  • 回答No.1

ベストアンサー率 47% (14164/30049)

学問・教育 カテゴリマスター
 これは憶測ですが

1。いわゆる「金印」「https://dictionary.goo.ne.jp/srch/jn/%E5%86%8A%E5%B0%81/m1u/
 は、一世紀(57年)に比定され、その印が「漢委奴国王印」とあることからその頃の日本の一部が中國に朝貢していたことがわかります。

2。7世紀に百済に援軍を出して唐と新羅の連合軍に大敗した倭は、急速に中国化して8世紀には平城京のような中国を模倣した都市計画を立てます。

3。元寇は台風で免れたものの、自然現象がなかったら国内はともかく、外的には難しいと読んだ義満が選んだのは、それを他に任せることだったかもしれません。

 一番正確なのは義満に聞いてみることです。あとは憶測です。

4。「古代から何も変わっていないのではないか???」

 変われば変わるほど変わらないって感じですね。
お礼コメント
ahondarades

お礼率 96% (106/110)

ありがとうございました。

元寇では、台風が来なくても日本は負けなかっただろうというのを何かの本で読んだ記憶があります。
投稿日時:2020/01/16 03:22
結果を報告する
このQ&Aにはまだコメントがありません。
あなたの思ったこと、知っていることをここにコメントしてみましょう。
関連するQ&A

その他の関連するQ&Aをキーワードで探す

ピックアップ

ページ先頭へ