• ベストアンサー

火消し

江戸時代に火事が発生すると発生した火元の家の消火以外に両隣の家を潰すことをしていたみたいですが本当でしょうか?本当ならば何故そんなことをするのでしょうか? 逆に現代でそれを、やらないのは何故なのでしょうか?

noname#255272
noname#255272

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kon555
  • ベストアンサー率52% (1738/3334)
回答No.2

どうせ延焼すれば焼失してしまう家屋を、先んじて破壊して火災の拡大を防ぐ目的です。 既に回答がついていますが、木造建築&人力消火の江戸自体では、一旦火が燃え盛るとほぼ「鎮火」は不可能になります。さらに火災の規模が拡大してしまうと、本当に江戸中を焼き尽くすような大火になりかねません。 よって初期消火が失敗した場合、燃える材料になるものをとっとと破壊して取り除く事が有効な(というか唯一の)消火方法になるわけです。 これは「破壊消火」と言い、家屋側も破壊される事を前提に作られていたという徹底ぶりです。 現代でやらない理由としては、消防車などの機器類の発達や、そもそも建築物が難燃性のため延焼の危険性がグッと低いからです。 ただ大規模震災時などの際には、現代でも行われた例があるようです。これは消防署なども破壊されてしまい、消火栓その他の消火インフラが使用できないという異常事態での措置ですね。

noname#255272
質問者

お礼

回答ありがとうございます

その他の回答 (2)

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2589/17101)
回答No.3

昔の都会暮らしの庶民はほとんど借家住まいで大した財産も無く、壊されても何の問題も無かったからで、今で言えばバラック小屋に近い家がほとんどでした。消火栓や消防ポンプがあるわけではないので、水による消火など不可能でした。壊されても鎮火後は簡単な造りなのですぐ再建されました。

noname#255272
質問者

お礼

回答ありがとうございます

  • Dr_Hyper
  • ベストアンサー率41% (2482/6031)
回答No.1

木造の家ばかりで(特に低所得者の長屋であればわらなども使う場合もあり)延焼しやすく、風が強い関東平野では風向きが変わればどんどんと山火事のように燃え広がる可能性があります。水の汲み置きもそれほど多く用意されているわけでもないわけですから(用水路がそれほど整備されているわけでもなく、また組み上げる動力が水車のようなものしかない)、消火活動に水を頻繁に使えるわけでもありません。隣の隣に影響がないようにするには、火事のとなりの家を潰して延焼するものを取り除くことが消火の原則ですから、火消しは火事の周りの家を潰してしまいます。 現代でもどうしようもないときにはするかもしれませんが鉄筋の建物を壊す時間よりは消防車が駆けつけて水や化学薬品で消化するほうが圧倒的に素早く効率的だから現代ではしません。

noname#255272
質問者

お礼

回答ありがとうございます

関連するQ&A

  • 大名火消設置の日付について、

    大名火消設置の日付について、 ウィキペディアでは混乱が起こり、他のサイトも引用が多いため、どれが正しい日付かわかtらなくなっています。 教えてください。 情報1. http://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%8826%E6%97%A5 1634年(寛永11年1月29日) - 江戸幕府が大名火消を設置する。 情報2. http://ja.wikipedia.org/wiki/1%E6%9C%8829%E6%97%A5_(%E6%97%A7%E6%9A%A6) 寛永11年(グレゴリオ暦1634年2月26日) - 江戸幕府が大名火消を設置 情報3. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E6%B6%88#cite_ref-7 大名火消(だいみょうびけし)は、寛永20年(1643年)にはじまる火消 寛永18年(1641年)正月、京橋桶町から発生した火事は、江戸の大半を焼くという大きな被害を出した。この桶町火事に際しては、将軍家光自身が大手門で指揮を取り、奉書により召集した諸大名にも消火活動を行なわせたものの、火勢を食い止めることはできなかった。 桶町火事より2年後の寛永20年、幕府は6万石以下の大名から16家を選び、4組に編成して新たな火消役を設けた。 奉書火消を制度化したものであり、この火消役は選ばれた大名自らが指揮を取った。1万石につき30人ずつの定員420人を1組とし、1組は10日交代で消火活動を担当した。火事が発生すると火元に近い大名が出動し、武家地・町人地の区別なく消火を行なうとされていた。 -------------- 情報3は、詳細な史実が述べてありますが、1や2と明らかに9年違います。旧暦変換では、1、2は正しく変換されています。 よろしくお願いします。

  • 寺屋敷の火消し

    江戸時代で寺町の寺屋敷の火事はやはり町火消しが出張ってお助けしてたのですか?それとも寺社奉行配下か大名の侍火消しか何かが出張るのですか?

  • 火事の夢 震災の疲れ?

    大火事の夢は吉兆といいますが、こんな夢はどうなんでしょうか? 余震、放射能の問題も多い地に住んでいますのでその不安からか?と思ってしまいます。 私が幼少の頃住んでいた、建て直す前の実家が火事になる夢を見ました。 東側の壁がところどころあちこちで燃え始めまてます。 赤くメラメラとまさしく「炎」という感じですが1~2mほどの縦長の細い火柱が数箇所であがっている感じです。 その時家の外にいたらしい?私が「やばい、火事だ」と気付きました。 すると、その壁の横辺りに停まっていた車がタクシーのようで、中から出てきた見知らぬおじさんが 「うわっ、火事だね、消さないとね」と消せるものを探し始めました。 私も「消火器で消そう」と消火器を探します。 2人とも凄く落ち着いて行動している感じです。 そしておじさんは、ホースのようなものを見つけて来て水をちょろちょろとかけ始めました。 私も消火器を見つけて来たのですが、これが古いもので、且つこの火事の影響なのか?汚れて一部壊れてしまってスイッチがなかなか押せずにいます。 なんとかスイッチを押すのですが、ボタボタと漏れるようにしか消火液が出ません。 でも、それをなんとか近づいて火元にかけている、という具合です。 (実際に現在我が家にある消火器も古いものだから、それが気になっているのかもしれません。) あちこち燃えてはいたけど、まだ燃え広がる前の段階だったので、そんな消し方でも「これで解決できそうだな、、、」と火を消している途中で目が覚めた… そんな夢でした。 もし何か判断できるようでしたら、宜しくお願いします。

  • 『火事』と『ペスト』、どっちが怖いですか?

    私は色彩検定の勉強で、いろいろな色彩に関する本を読みました。 その中のある本に、こう書かれていました。 「江戸時代は火事が多かったので、今でいう『グレイ』を『灰色』というと、 『灰』という字から火事を連想してしまう。 なので『グレイ』を『鼠色』と呼ぶようにしていた。」 なるほど! 「火事と喧嘩は江戸の華」と言うし、 「明暦の大火」は江戸城をはじめ、市中の6割を焼き尽くした事で有名ですよね。 でも『鼠』は怖くないんですか? ネズミといったら黒死病と呼ばれたペストを媒介する動物でしょう? 14世紀には全ヨーロッパにまたがるペストの大流行が発生! ヨーロッパの総人口のほぼ3分の1にあたる死者が出て、人口大激減! その後も、ペストは17-18世紀頃まで何度か流行している。 『火事』と『ペスト』、どっちが怖いですか? 江戸時代の人にとっての予想と、現代の回答者様の立場での意見、 両方書いていただきたいです。 私はペストのほうが怖いです。 現代の医学をもってしても、致死率高いし。 なにより我が家にはネズミがぎょーさん住み着いてるからです!(恥) なにしろ築50年以上ですから…。 サルモネラ菌だってネズミに関係してるしね。 火事になっても、家から1キロも離れていないところに 大きな消防署があるので、すぐに消防車が来てくれると思います。

  • 江戸時代の人、『火事』と『ペスト』、どっちが怖い?

    私は色彩検定の勉強で、いろいろな色彩に関する本を読みました。 その中のある本に、こう書かれていました。 「江戸時代は火事が多かったので、今でいう『グレイ』を『灰色』というと、 『灰』という字から火事を連想してしまう。 なので『グレイ』を『鼠色』と呼ぶようにしていた。」 なるほど! 「火事と喧嘩は江戸の華」と言うし、 「明暦の大火」は江戸城をはじめ、市中の6割を焼き尽くした事で有名ですよね。 でも『鼠』は怖くないんですか? ネズミといったら黒死病と呼ばれたペストを媒介する動物でしょう? 14世紀には全ヨーロッパにまたがるペストの大流行が発生! ヨーロッパの総人口のほぼ3分の1にあたる死者が出て、人口大激減! その後も、ペストは17-18世紀頃まで何度か流行している。 『火事』と『ペスト』、どっちが怖いですか? 江戸時代の人にとっての回答と、現代の回答者様の立場での回答、 両方で答えていただきたいです。 私はペストのほうが怖いです。致死率高いし。 なにより我が家には鼠がぎょーさん住み着いてるからです!。(恥) なにしろ築50年以上ですから。 サルモネラ菌だって関係してるし。 火事になっても、家から1キロも離れていないところに 大きな消防署があるので、すぐに消防車が来てくれると思います。

  • 火事を出した裏の家が、平然と戻ってきて境界線ぎりぎりに家を建て替えようとしています。

    住んでいる家のちょうど裏の家が、火事を出し全焼。うちもかなりの 被害を被りました。消火活動のとき、うちの幼稚園の子供が転んで 大怪我もしました。そのほかは大きな怪我をした人はいませんでしたが うちだけではなく隣の家も類焼させられました。 火事のあとしばらく姿が見えなかったのですが、先日業者が挨拶にきて 火元になった家が戻ってきて家を新築するということです。 簡単な図面を見せてもらったら、うちとの境界ぎりぎり40センチもない位置に外壁がくるという建て方。大きな窓もうちのほうにつけるそうです。もうびっくりです。お隣の家の人と抗議したのですが 「自分の土地に家を建ててなにが悪い、もう許可も出てるんだ。」の 一点張りです。あまりの非常識さに憤慨しています。しかも火を出した 知的障害者の人も戻ってくるそうです。 防火設備などは一切そなえていない家のようです。 まったく火事の反省をしていない家にお灸をすえてやる方法は ないでしょうか。夫は「もう引っ越そうか」と言い出す始末です。 その家は小さいボヤも何度も出したこともあります。 いいアイデアがあったら教えてください。 引っ越してきたあと、ちくちく「火事をだした○○さん」と 話しかけてやれば少しはこたえるでしょうか?

  • 火事(もらい火)

    知人の家がもらい火で全焼してしまいました。火事の場合は賠償責任はないという事ですが,火元は火事のとき消防に連絡せず、第3者が通報したそうです。これは重過失に値しませんか?火元は保険金が出るまではしおらしい態度でしたが一変して全焼させたにもかかわらずろくに誤る事すらしません。原因は漏電と言い張るそうですが、消防がもらした話ではそれは絶対にないという事。それ以上のことは教えてくれません。こんな火元に責任はないのでしょうか?

  • 火災時の保障の件

    自分の家が火事になった時は、自分の家に掛けている保険で、対処すると思うんですが、自分の家の火事で、隣も燃えてしまった場合、保障はどうなるのでしょうか? ほとんどの方が、隣の家の保障が出来るほど、財力がないような・・・ また、最近は、放火とか、不審火の火事が多いですが、このような火事の場合でも、火元がすべて悪くなるのでしょうか? 知っている方、教えて下さい。

  • 無心状態の記憶

    過去の問いの続きにもなっていますから、いきなりに唐突な表現になっていますが、御容赦を何卒宜しく御願い申し上げます。 そもそも、西洋近代スポーツの様に逆の腕を振る歩行が、江戸時代の日本の庶民に知られていなかった故に、一部の武芸者しか早い走法を会得し得なかったそうですので、江戸の町で火事が発生した際にも『火事場の馬鹿力』が庶民に走法を閃かせてくれず、或る絵画でも描かれています通りに、当時の江戸庶民は万歳のポーズで慌てふためいています。 従いまして、「『火事場の馬鹿力』の使い方への閃きは普段の稽古の賜物だ。」と言えそうですが、そう考えました際に次の疑問が浮かんで参りましたから、御教授を下さい。 「ルサンチマン」の考え方の様な自己弁護が介在せずとも、『火事場の馬鹿力』が発動した際には、【無心】の突発的な判断の正当性が明確に自覚され、夢見の様に記憶の中へ整理されていくのでしょうか?

  • 江戸時代、の江戸で火事はどれくらい発生してますか?

    「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるほど、江戸の町に火事は多かったそうですが、年間どれほど発生しているのでしょうか? 幕府は風の強い火は外出禁止にするなど、対策をとっていたようなので、そんなに多くはないと思うのですが。 よろしくお願いします。