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万里の長城
ふと疑問に思ったのですが、万里の長城って多くの場所で山の峰の一番険しいところを結んでますよね。 あれは純軍事的に正しいのでしょうか? 険しい土地はある意味孤立してしまうので(直線かギザギザかはともかく)平原に壁をぶち抜いたほうが援軍を送りやすく維持もたやすいように思えます。 屯田にも向かないでしょうし。
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私たちが中国観光のハイライトとして見物する万里の長城(以下「長城」)は、北京から近く、バスで日帰り観光が可能な八達嶺などにある長城でしょう。この付近の長城は明代に建設(修復)されたものですが、衛星写真などを見ると長城をこの山地に作らざるを得なかった理由がわかるように思います。 というのは衛星写真で見れば明らかですが、八達嶺は北京に近い山地の北の端に近い部分にあるからです。山地を避けて平原に長城を建設しようする場合、南側に作るとすればさらに防衛線が北京に近づくというより、現在の北京市の市街地(昔の都城の外側ではありますが)に作ることになり、「破られればすなわち終わり」になってしまいます。といって山地の北側の平野部は狭い盆地のようなので、ここだけわざわざ平地に作っても意味がないでしょう。 家畜を連れて移動する遊牧民にとって、平原は移動しやすく、山間部は長城がなくても平地よりは移動が困難です。いわば自然の要害になっているので、これを利用しない手はありません。明代の長城はバリアである高い城壁のところどころに監視所(詰所)などが付いたようなものですが、なぜこの時代に長城が整備されたかと言えば、明が首都を北方遊牧民族の居住地に近い北京に移したからです。首都を守るべくこの付近では長城は特に多重に整備されています。八達嶺など北京付近の長城はいわば「首都の最後の防衛線」だったので、現在世界中の観光客の人気となるほど立派なのでしょう。 もちろん付近に山地がないような場所では、長城も平地に作られています。例えば長城の西の端と言われる甘粛省の嘉峪関付近などでは、乾燥した平原(一部は砂漠)に長城が伸びています。
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- koncha108
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#4です。 元々は平地の草原に作られていたりして、そんなに強固でもなく簡単に突破されていたようですね。 現在のものは元を北方に追いやった明が強化して築いた物ですが、よくよく調べると明が北方の女真族が興した清に征服される前には明朝の内の乱で国が乱れる中で明の臣下が助けを求めたようで、堂々と門を通って入って来たのかも知れないですね。秦の始皇帝の頃は馬の進軍を止める程度の物だったようです。
お礼
呉三桂が引き入れたと言われてますね。秦の長城と明の長城で(地域によりというべきか?)意味合いが違うのも興味深いところです。 ご回答ありがとうございました。
- tzd78886
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中国は昔からたくさんの人がいて人海戦術には困らなかったから急峻な山中にも造ることができたのです。一人当たりのノルマが決められていて、こなせない場合は見せしめのために死刑になったのだとか。北海道で道路建設や鉄道建設に従事させられたタコ部屋労働者並みかそれ以下の扱いだったようです。
お礼
ご回答ありがとうございました。
- GoGoTigers
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万里の長城はそのなかに軍隊が籠もって戦うものではなく、敵の軍勢を一時的に凌ぐ障害物で、守備隊は、手前の内側に駐屯地があって、普段はそこにいます。万里の長城にいる見張り番が敵の来襲を伝令で連絡すると、そこに守備隊が駆けつけるという守り方です。 遊牧民は、騎馬で、多くの羊を引き連れています。だから、城壁のような障害物があると越えられないので迂回しようとしますが、迂回先をつくらせないようにどんどん障害物の城壁を長くしていったら長城になりました。 迂回できないと今度は城壁を壊そうとしてきますが、騎馬や羊を連れた軍勢が通れるだけのスペースができるまでえっちらおっちら壊される前に(重機も爆薬もない時代の話です)、守備隊が駆けつけて応戦します。 険しい山の上に長城をつくったのは、奇襲攻撃を恐れたからです。ハンニバルのアルプス越えなんて、誰も象を連れた大軍が峻険なアルプスの方から襲ってくるとは思わないから、ローマは大打撃を受けました。山の上だと、敵側も一度に大軍を集中できず、守りやすいので、作るのはたいへんだけど、そのあとが楽だから、あえて急峻な山の上に長城を伸ばしていきました。
お礼
>手前の内側に駐屯地があって、普段はそこにいます。万里の長城にいる見張り番が敵の来襲を伝令で連絡すると、そこに守備隊が駆けつけるという守り方です。 険しい山の真ん中などになると、その守備隊どこにいるんだ?って思ってしまうんですよねえ。 はじめから山の上に大軍がいるならそりゃ無敵でしょうけど、現実には平時など限られた監視兵だけになるでしょうから、常時防衛ラインとして機能させるには広報駐屯地と一定の距離内に長城を張るべきではと思ったしだいです。 ご解答ありがとうございました。
- eroero4649
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源平の一ノ谷合戦の例のように「こんな険しいところを敵は越えてはこられまい」というところを回ってくるのは奇襲戦法のお約束です。他にもハンニバルのアルプス越えなんてのもありますね。 「こんなところ、来ねえだろ」というところもキッチリとケアをしないとそこから奇襲されてしまう可能性があるのです。 また平原に壁を作っても、そこは必ず突破されます。なぜなら、いつどこでどこを攻撃するかは攻撃する側が決められるからです。平らな場所というのは、攻撃側が有利な地形なのです。 防御側が防御で勝利するには、険しい地形が必須条件です。軍事の原則に立てば、攻撃側は防御側の3倍の兵力を用意すれば勝利することが可能です。
お礼
山を避けるというのが地理的に不可能という解答をいただきました。 ご回答ありがとうございました。
- koncha108
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万里の長城は城じゃなくて壁で、外的の進入を防ぐものですから、侵入が困難な自然の地形を利用してその中で防御が弱い部分を特に強化して繋ぐのが正しいと思います。でも実際にはモンゴルなどの北方民族が勢力をつけ強大化すると簡単に突破されてしまったようです何回も作り直されています。
お礼
ご解答ありがとうございます。 弩で武装した中国兵をどう突破できるのか気になりますね。 具体的に突破された部分の地形なども見てみたいものです。
- tzd78886
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先日テレビ番組でやっていましたよ。騎馬民族というのは平原を進軍するのが得意です。馬に乗ったまま進めるからです。平原に造ってしまえば乗り越えるのも容易で、数に任せて物資も運びやすくなるし簡単に打ち壊されてしまうリスクがむしろ高まります。 万里の長城と言うのはそれ自体が補給路でもあります。観光客が歩いている映像が流れますが、途中にいくつも寝泊まりできる要塞があり、それを繋いでいる造りだからです。
お礼
ご解答ありがとうございます。 人は歩けるが物資は運べない(牛車馬車)ですよね。 どうしても孤立しそうな場所や防衛力の強弱ができそうに思えました。
- -ruin-
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基本的に戦術に置いて高所を取られて有利ってことはないですね
お礼
ご解答ありがとうございました。
- kifimi
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長城は北方からの侵略に備えるためのもので、主に騎馬兵(北方民族の主戦力)に対する防衛が目的です。 平原というのはむしろ敵の騎馬兵にとって攻めやすい有利な地形であり、そこで迎撃するのは得策ではなかったと考えられます。 侵略の見張り台として、狼煙を上げて敵の来襲を知らせる、というのであれば、山の高いところ作るのが理に適っていると思います。
お礼
確かに見張り台効果は高いほうが強いですねえ。 ご解答ありがとうございました。
お礼
なるほど、あえて山を選んだというのは半分誤解で、山しかないというわけですか。 あんな強固な壁を作り飛び道具(弩・砲)で守るなら、内側で機動的に兵を動かせる場所にすればもっと鉄壁なのにと思ってました。 ご回答ありがとうございました。