• 締切済み

天皇陛下おことば

謙譲語が入っているのは違和感ないでしょうか? 昔から民に対して謙譲語を使ったのでしょうか?

みんなの回答

  • Postizos
  • ベストアンサー率52% (1786/3423)
回答No.5

追加で失礼。 裕仁天皇の物まねというと独特の調子で「あっそう」と言うのが定番でした。 これは実際園遊会とかの様子の映像からひろったものでおなじみのものでした。 こどものころこの「あっそう調」を変わった人なんだろうとか、頭が少しお悪いのかななどと思っていたのですが、あれは天皇言葉を使うように気をつけてるからだとわかるようになりました。 これに対して明仁天皇からは一般でも使われている丁寧な言葉に切り替わったように感じています。 ここからは自説ですが、 裕仁天皇が明仁天皇のような言葉(ばか丁寧な言葉ではあるけれど普通の範疇に入る口語)を使えなかったのは、天皇言葉の訓練や習慣がしみこんでいてできなかった事もあるでしょうが、敗戦の途端に神様だった物がくるっと変わるのは違和感があり過ぎると本人も周囲も考えたからと、実際意識が切り替え切れなかったからではないかと思料しています。 とても珍しい裕仁天皇のメディア会見。言葉を慎重に選びながらしゃべっているように見えます。 https://www.youtube.com/watch?v=0fQsy4ul_m0 園遊会での会話 裕仁天皇 https://www.youtube.com/watch?v=l2lkki8swEg 明仁天皇。 「練習されたんでしょう」は謙譲ではないですが普通の敬語表現のように思います。 https://www.youtube.com/watch?v=LAqAbE8Hrss

tanakanono
質問者

お礼

現人神であるから価値があるのに、現人神でもないなら大統領制にすればいくら税金が浮くのやら。そもそも神からの血が流れているから天皇なのであって、それを否定したらなぜ天皇なのかがわからない。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.4

1。謙譲語が入っているのは違和感ないでしょうか?  現在はないと思います。 2。昔から民に対して謙譲語を使ったのでしょうか?  いいえ、境目は私は現人神(あらびとがみ)ではないと1946年1月1日に発表された、いわゆる天皇人間宣言の時(下記)でしょう。  https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%AE%A3%E8%A8%80-337159  

tanakanono
質問者

お礼

天皇人間宣言は系譜を否定し、存在意義、税金をつぎ込む意味を失う愚かな行為。 現人神でないなら、働いて皇居などを維持してほしいし、相続税も払ってほしい。

  • Postizos
  • ベストアンサー率52% (1786/3423)
回答No.3

先代の明仁からでしょう。記憶では裕仁は一貫してそうではなかったように思います。 http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taisenkankei/syokuryo/syokuryo.html そもそも昭和天皇がこういうふうに直接演説というか「おことば」を発表することは避けられていましたからほとんど残っていないのです。 「天皇のお言葉」という本が出ていますので読んでみると何かわかるかもしれません。 https://www.gentosha.jp/article/12761/ ここに引かれている発言を読むと日本でフォード大統領に対してなされた発言ではそうではないのに合衆国で米国メディアに発表している発言は微妙に謙譲のニュアンスが使われているのがわかります。 またその前のイギリスでの発言では英王室に対して謙譲していますが微妙に国民に対してではないのを見透かされたから怒りを買ったものと思われます。

tanakanono
質問者

お礼

リンク先の昭和天皇のお言葉は違和感がないです。 てめえら努力が足りねよ。もっと努力しろよ。って感じが出ていて、 これを聞いた民はもっと努力しようと思ったことでしょう。 先代からは民に近づきすぎと感じますが、時代でしょうかね。

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.2

 私はテレビを見ていなかったので、陛下のお言葉に謙譲語があったのかどうか、知りませんが・・・  歴史的事情を知っている者には、「違和感在り」ですが、こん日の日本人のほとんどにとっては、違和感はないものと思います。  源氏物語を読んでいたとき、古文の先生が「天皇は、自分のやる行動についても『敬語』をつかうから」と言われたのを覚えています。「(朕は)○○と思し召される」というような言い方をする、という教えです。  私は、「それは源氏物語を書いた紫式部の、『考える』という天皇の行為に対する敬意が表現されているだけではないのか」と思ったものでしたが、深くは突っ込まなかったので、結論は出ていません。  とにかく、天皇の行為に対しては「敬語を使う」というのが、昔の教養ある人々の社会では常識だったわけです。なので、それを知っている者には「違和感あり」でしょう。 > 昔から民に対して謙譲語を使ったのでしょうか?  平成時代の天皇が、災害の際の避難者に対して、「ひざまづいて」見舞いの言葉を掛けられた時でさえ、「陛下が跪かれるのはおかしい!」「一庶民に対して跪かれることなど、古来なかったことだ」という意見がたくさんあったようです。  主権在民の時代なので、平成時代の天皇(現上皇)陛下は避難者に対して跪かれ、そのご意志を受け継がれた令和の時代の今上陛下は謙譲語を使われたのではないでしょうか。

tanakanono
質問者

お礼

私が持った違和感は上下関係からで、上が下に対して謙譲語を使うのに違和感を覚えました。 天皇が自分自身に敬語を使うのは知りませんでした。特殊なルールがあるんでしょうね。 現人神でもない上に、どんどん人に近づいているのであれば、税金で生活せず、働いて皇居などを維持してほしいです。

回答No.1

  なぜ違和感を感じるのですか? 謙譲語は ・自分が上位(目上)であることを自覚し ・相手(国民)を立てたいとの思い ここから、自分の発言をへりくだった言い方(謙譲語)を使うのです。

tanakanono
質問者

お礼

天皇がへりくだった言葉を使うのは歴代天皇もですか? 神>天皇>民 と位がそもそも異なるのにへりくだるのに違和感があります。

関連するQ&A

  • 拙者に相当する庶民の言葉は?

    拙者に相当する庶民の言葉は? 南蛮語はみな一人称は一つでIとかIchとか、乞食から国王までみなおなじだそうですが、日本語には一人称が沢山あって面白いですよね。これも日本人が自己チューではなくて、自称するときさえを相手の視点を忘れない国民性から来ている素晴らしい文化だとおもいます。 その素晴らしい文化の一つに謙譲語がありますね。 一人称でいえば「拙者」が謙譲語と思うのですが、このすばらしい一人称もすべての人が使ったわけでなく、武家の男子だけが使用したのではないでしょうか。 武家の男子以外、農工商の民や、武家の女子は謙譲語の一人称を持たなかったのでしょうか。 大工の棟梁がいくら謙譲的に自称しようとしても「拙者」は場違いな感じがします。 庶民の謙譲的一人称をご存知の方がいればご教示いただきたくお願い申し上げます。

  • 頂いておりますについて

    普段何気なく使っていますが、よく考えてみると、違和感があります。「いただく」は尊敬語で、「~ておる」は謙譲語で、くっつけても大丈夫でしょうか。理由も合わせて教えてください。

  • <敬語> 「居られる」って正しいですか?

    電話などで、「~さん、居られますか?」という言い方、 これって正しいですか? 「おる」って謙譲語ですよね?確か。 響き的にはよさそうな感じがしますが、わたしは違和感を感じます。 なので、わたしは「~さん、いらっしゃいますか?」と使います。 どうなんでしょうか???

  • ”申し出る”は正しい日本語?

    よく、何かあったら申し出てください、とか、お申し出ください、とか使いますが、これは正しい日本語でしょうか?申すは謙譲語ですよね。自分で使うにはいいと思いますが、相手に申し出ろというのは、何か違和感を感じてしまいます。敬語の使い方に詳しい方、教えてください。

  • 天皇陛下の食事

    皇室のかたがたの食事は皇居にいらっしゃるときは当然料理人が作ってるんでしょうが、 ご公務で全国のスポーツ大会やら国際会議に出席されることも割と頻繁なわけですが、そのときは何を召し上がってらっしゃるのですかね。 主催者としてもまさか弁当出すわけにもいかんし。 でも宮様だったら弁当食べてても違和感ない気もします。以前ふらりと入った串揚げ屋には以前宮様が食事にきたときの写真がかざってあったし、意外と普通なのかなとも思いますがいかがでしょうか。

  • 「おられる」は敬語として違和感がないか?

    「おられる」は謙譲語「おる」に尊敬語「れる」が付いた物に見えて非常に違和感を感じます。小中学生向けの敬語を整理した表にも「いる」の尊敬語は「いらっしゃる」としか書いていなかった気がします。 皆さんどう思いますか? ご意見と、できればそう思う理由を教えて下さい。 なおここでは、正しいかどうかよりも違和感がないかどうかを問題としています。

  • 「~してあげます」

    「~してあげます」は謙譲語だと思うのですが、たとえば学校で生徒が先生に「コーヒー買ってきてあげましょうか」と言うのには違和感がありますがなぜなのでしょう。 「~してあげます」はどういう場合に使えるのでしょう。

  • 天皇陛下のお言葉

    次の天皇陛下のお言葉に間違いはありませんか。 (天皇陛下は間違ったことをおっしゃっていませんか) 平成13年12月18日記者会見宮内庁資料 【問3】 世界的なイベントであるサッカーのワールドカップが来年,日本と韓国の共同開催で行われます。開催が近づくにつれ,両国の市民レベルの交流も活発化していますが,歴史的,地理的にも近い国である韓国に対し,陛下が持っておられる関心,思いなどをお聞かせください。 【天皇陛下】 日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは,日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や,招へいされた人々によって,様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります。こうした文化や技術が,日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは,幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に,大きく寄与したことと思っています。私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております。 しかし,残念なことに,韓国との交流は,このような交流ばかりではありませんでした。このことを,私どもは忘れてはならないと思います。 ワールドカップを控え,両国民の交流が盛んになってきていますが,それが良い方向に向かうためには,両国の人々が,それぞれの国が歩んできた道を,個々の出来事において正確に知ることに努め,個人個人として,互いの立場を理解していくことが大切と考えます。ワールドカップが両国民の協力により滞りなく行われ,このことを通して,両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております。

  • 食べる・飲むの謙譲語、丁寧語としての「頂く」について

    食べる・飲むの謙譲語、丁寧語としての「頂く」について テレビのナレーションなどで、「こちらではこのお料理は四季を通じて頂くことができます。」という使い方がとても気になります。レシピや料理番組などで、できあがり場面で食べ方を指定するときに「このソースをかけて頂きます」という場合には、「このソースをかけてお召し上がり下さい」が正しいと思います。 自分の行動をさす場合に「大変おいしく頂きました」「ケーキを半分頂きます」などの使い方は謙譲語、丁寧語として正しいと思いますが、他人の行動をさす場合には、食べる・飲むという意味での「頂く」は丁寧語にはならず、謙譲語にしかならないのではないかと思います。 同じような違和感をお持ちの方はいらっしゃいませんでしょうか?

  • 昔の「申す」の用法

    一般に、「申す」というのは「言う」の謙譲語であり、相手が目上の場合、自分をへりくだって「先ほど申しました~~の件については、~~」などと使いますよね。 でも、時代劇を見ていて思うのですが、相手との上下関係にかかわらず、まるで「言う」の丁寧語であるかのような使い方をしていることがあります(具体的な作品やシーンはすぐに思いつきませんが、大河ドラマ「風林火山」などたくさんあります)。 例えば、君主が家臣に「そなたの存念を申してみよ」というのは、謙譲語で理解している自分としては違和感はあるものの、君主と家臣の関係性から分からないでもないのですが、家臣同士の会話で「親方様が申されるには、~~~とのことじゃ」とか、ある重臣が「ほう、○○殿(他国の君主)がそう申されたのか?」などと言っているシーンを目にします。 もしかして、謙譲語に近い意味(対目上専用)としては「申し上げます」であり、「申す」は上下関係にはこだわらなかったのでしょうか? よく家臣が「(外から急いでやってきて、ひざまづき、大声で)申し上げます!!」と言ったり、君主に向かって「(うやうやしく)おそれながら申し上げます」というシーンがありますよね。 昔は、「申す」というのは必ずしも謙譲語だけではなかったのでしょうか?