• 締切済み

昔の人の喋り方

戦国時代の武士や武将達の言葉は、もちろん今とは違うけども 映画や大河ドラマなどでしかわからないけれども 本当にあんな荒々しくてがさつな感じだったのかなぁと疑問です。 もしかして、映像で見るより本当はもっとみんな冷静に丁寧に会話していたのかも とか。

  • 歴史
  • 回答数3
  • ありがとう数2

みんなの回答

回答No.3

もっとがさつです。 映像でみるものは、現代人が理解できなければならないですし、最近は放送コードなどもありますので10分の1くらいのがさつさに薄められていると思って間違い有りません。 秀吉が大阪城で西ノ政所(ねね)と夫婦げんかをすると、両者とも尾張言葉丸出しで下卑でまわりのものは秀吉が高位ななってからのものたちなので、何を言ってるかわからなかったといわれています。このように、ごく一部のもの(旧室町幕府関係者や公家侍などの少数)はがさつなどという生やさしさでは無かったでしょう。 武士が教養を必要とするようになったのは、大平の世となり戦場働きより治世の能臣が必要となった江戸期以降です。

  • wwweaz78
  • ベストアンサー率17% (5/29)
回答No.2

たぶん戦国時代の傭兵としての にわか侍は食うのに大変だったので いくら娯楽が無い時代とは言え 儒学とかの本を読むような余裕は なかったので、かなりがさつだったのではないかと 推測します。 しかし牢人の立場でもいつかは仕官先を 見つけようとする人は日頃から 教養を身につけることは必須条件であったと 言えます。 仕官している武士はお屋形様に 気に入らるためにかなりの教養が 必要だったと思うのです。 儒学・朱子学や兵法書は当然読んでいた? また寺子屋に通っていたような比較的裕福な 武士の子弟であれば和算などもたしなみも あったのではあるまいか。 仮にいくさの真っ最中であっても 仕官する身の武士であれば大将に 対する所作は言葉使いは礼節をわきまえたもので あったことは安易に想像できます。 そうでなくては軍としての統制がとれなく なってしまう。 大将に使える軍師などはいつも冷静に 戦況を分析し孫子の兵法書はもとより 相当の教養がなくては務まらなかっと 思うわけです。

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.1

申し訳ないけど、 「あんな」って、 「どんな」だか分かりません。

関連するQ&A

  • 戦国時代の髪型

    皆さんお時間いただけませんか? 今、大河ドラマを見てて思ったのですが、戦国時代の武士は、兜を被ることで頭皮が蒸れるのを嫌って、チョンマゲの髪型にしていたと聞きます。ところが、大河ドラマの武士は髪を茶筅のように結ってはいますが、おでこより上が剃り上がって(月代)いません。ドラマであるがゆえなのか、ドラマのような髪型をしていた武士もいたのでしょうか? また、職人や町人はどんな髪型をしていたのでしょうか?戦国時代の武士や職人・町人の髪型に詳しい方、教えてください。 よろしくお願いします。

  • 昔は位の高い人ほど「お歯黒」?

    戦国時代以前、位の高かった人は 「お歯黒」だったのでしょうか? ●大河ドラマ「平清盛」で藤原家の公卿方は、 歯を黒くしていました。平安時代、位の高い公卿方は 「お歯黒」だったのでしょうか? ●戦国時代、敵の首を取った際、位の高い武士ほど 「お歯黒」なので、恩賞をもらうため、敵の首の歯を 黒く塗り、位の高い武士の首を上げた様に見せかける、 という事があったと、テレビで見た事を覚えています。 戦国時代、位の高い武士ほど「お歯黒」だったのでしょうか? 「お歯黒」が位の高い印だとした場合、 なぜ歯が黒くなってしまうのでしょうか? 以上、宜しくお願い申し上げます。

  • 武田信玄の魅力はどういう所にありますか。

    大河ドラマをこれから観ようと思っています。戦国時代を代表する武将の一人だと思いますが信長との違いなどよろしければ教えて下さい。どなたか歴史好きな方よろしくお願いします。

  • 武将の着物の名前

    戦国時代など、武将が自分を大きく見せる為に来ていた着物の名前を知りたいです。生地は、染物で、大河ドラマで光秀がよく着ているものです。非常に分かりにくい質問ですが、どなたか教えて下さい。

  • 戦国時代の合戦の敵味方の区別

    以前、戦国時代の旗について質問したことがあり、その質問の際に、旗というものは大河ドラマのように全員が同じ旗を持っていたのではなく、それぞれ自分の家の旗を持ち、しかも一部の者しか持っていなかったと回答いただきました。 今回の質問は、その回答をいただいた際に生じた疑問なのですが、戦国時代の合戦の敵味方の区別について質問です。 大河ドラマのように、足軽や武将が織田家なら織田家の家紋をつけていた訳ではなく、それぞれ自分の家の旗をつけていて、しかも全員が旗をつけていなかったとなると、敵味方の区別はどうするのでしょうか? 戦国時代というと、各武将、鳥やら虫やら花やら、それこそ十人十色の旗がありましたよね?それぞれがそれぞれの家の旗をつけていたとなると、中には頭の悪い足軽もいて、「あれ、こいつは味方なのか?」という感じに、戸惑う者はいなかったのでしょうか? それとも、合戦前に味方の旗リストみたいなものがあって、それを暗記したりしたのでしょうか?

  • 戦国武将の元服について質問です

    戦国武将の元服について質問です 戦国武将の元服の儀式の際、髪を剃るらしいのですが、具体的にはどのような髪型にするのでしょうか? インターネットで調べたところ、月代という髪型にするらしいのですが、大河ドラマなどではあまり見かけなかった気がします。本当に月代にしていたのでしょうか? あと、元服した後、平時はどのような髪型だったのでしょうか?ドラマで見るような、束ねて上に伸ばしたような髪型でしょうか?

  • 大河ドラマの直江兼継って面白いですか。

    今年の大河ドラマ直江兼継って面白いと思われますか。(僕自身、きれい過ぎて面白いと思えない。興味をもっていた戦国時代の人物だけに残念です。) 後、疑問なのですが、どうして最近の時代劇の登場人物の会話は「です。ます。」調なのでしょうか。 ケーブルテレビで昔の昭和の時代劇をみると、「です。ます。」調が少ないように見受けられるし、そのほうが迫力もあって良いように思うのですが・・・。 無論、歴史学の視点で見れば、戦国時代の言葉が現代にそのまま通用し、理解できるものではないのだとは思いますがどうも引っかかります。

  • 皆さま、時代劇はそんなに幕末、戦国が好きですか?

    大河ドラマもそうですが、時代劇はと言えば、幕末、戦国時代ばかりですね。 私は「えっ、また!さすがに飽きたなあ。」と感じます。 (1)この時代が人気があり、 (2)差し支えが少ない? などで選ばれるのでしょうが、皆さまはそんなに幕末、戦国が好きですか?

  • 戦国時代の強い武将は本当にその人が強いの?

    こんにちわ。ふと、ゲームをやっていて気になったので質問します。 よろしくお願いします。 よく、アニメやゲームなどで、武将が先頭で敵陣に突っ込んでいくシーンを見かけるのですが、実際の戦闘方法というのは本当にあんな感じだったのでしょうか? 日本の戦国時代にしろ、中国の戦国時代にしても強い武将というのは、一人で100人を倒すみたいなイメージがありますが、本当にそのようなことをした場合すぐに死んでしまうと思うのですがどうでしょうか? 大の大人が10人も集まれば一人くらいやっつけられそうなものです。 やはり、ゲーム等にでてくる武力が強い武将というのは本人が強いではなく、その軍団が強いだけなんでしょうか?統率がとれているとかみんなが死ぬ気で戦っているとかそういう意味なのですか? 実際、武将達は一番後方で戦いを指揮して親衛隊に守ってもらっていたからなかなか武将は死なないのではないか? そう思ったので質問してみました。 誰か戦国時代の戦闘方法を知っている人、ご教授よろしくお願いします。 一騎当千とか絶対嘘だと思うんです。

  • 武将、武士の話方について

    中世、近世の武士、武将の話し方は、どのような感じだったのでしょうか? 時代劇では、たいてい主役がかなり力んでいますが、力めば力むほど、 私はどこか違和感をおぼえ、引いてしまいます。 武将、知将・・・・・・・タイプはありますが、歌を詠んだり、書状を書く、 つまり教養がある武士は、力むようには思いません。 低い声で、凄みがあるような気がします。(想像の世界ですが・・・) 個人さはあると思いますが、どちらかといえば、ゆっくりなのでは? 公家は、ドラマに出てくるあのような定番でいいと思います。 武士、武将はあんなに力むものなのでしょうか?