飯豊山神社 二重県境稜線の福島県の土地幅とは?

このQ&Aのポイント
  • 江戸時代、会津藩は京都の守護を請負うほどの大藩でしたが、明治時代に長州の恨みを買い、領地は減らされ福島県に編入されました。
  • 飯豊山神社参りの文化を守るため、福島県の土地になった稜線は、三国岳から御西岳まで伸びており、道幅は地図では15m以上です。
  • 道幅の確定は国土地理院による航空写真での目見当に基づいて設定されたものです。しかし、岩場の稜線のため崩落によりルートが変わることもあります。
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飯豊山神社 二重県境稜線の福島県の土地幅

江戸時代、会津藩は京都の守護を請負うほどの大藩でしたが 明治時代、長州の恨みを買い、領地は減らされ福島県に編入されました。  その時、飯豊山神社参りの文化を守るために  三国岳から御西岳まで伸びる、新潟と山形の県境に挟まれた   7.5kmの稜線は福島県の土地になったようです。 さて 2019/10/10NHKシブ5時の特集で  福島県の土地は、歩く幅だと紹介されていましたが  地図では 15m以上の道幅です。 岩場の稜線なので、崩落でルートも変わるでしょうから  1m以下であるはずがありません。 道幅は、どう確定されているのでしょうか? 目的が土地利用ではなく通行権や神社の設置権なので  たぶん、県境の杭などは適当にしかなく  国土地理院が、航空写真で目見当で設定したのだと思っています。

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  • nagata2017
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回答No.1

歩く幅が 一人で歩くわけではないということかも。 喜多方市の地図を見ると 確かに北の方に細く伸びています。 飯豊山の頂上付近は かなり広くなっているみたいです。 https://www.google.com/maps/place/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E5%96%9C%E5%A4%9A%E6%96%B9%E5%B8%82/@37.7172306,139.6945021,11z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x5f8ac88f36c05c23:0x35544419520019c2!8m2!3d37.6513048!4d139.8746281 頂上付近拡大図 http://maps.gsi.go.jp/?ll=37.81583333333333,139.74444444444444&z=15#15/37.853085/139.709573/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1 喜多方市の地図を見ると 下の端も不思議な形をしていますね。

omi3_
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >喜多方市の地図を見ると 下の端も不思議な形をしていますね。 福島県の南西は会津の土地だったので、領地争いではなく 阿賀川が蛇行して、隣村との境界が入り組んでしまったのでしょう。

omi3_
質問者

補足

江戸時代 会津藩が占有していた越後国東蒲原郡の北東端の  注目の 7.5kmの稜線も、会津藩北方(喜多方)が占有していて  飯豊山神社参りで賑わったようです。 明治時代 東蒲原が新潟県に戻された時に  稜線だけは旧会津藩北方(喜多方)が死守したのでしょう。 国土地理院地図を詳細にすると、県境が非表示になってしまいます。 ゼンリン地図だと色分けされた県境が 15m以上で表示されるので >1m以下であるはずがありません。  の根拠にしましたが  地理院地図をなぞっただけなら、根拠が無くなります。 会津を恨む明治政府が  領地移動に反対する旧会津藩北方(喜多方)の人々を  なだめるためとはいえ、15m幅を会津に許すとは思えません。 稜線の約1m幅の登山道と飯豊山神社の周りだけが  福島県喜多方の土地とされたのでしょう。  その道幅の境界杭さえも設置されたかどうか。 会津が恨む長州の安倍首相が、長期に政権を牛耳っていて  福島の復興が進まない会津の人々は、ご不満でしょう。 会津県(圏)で独立できませんかね。

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