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江戸時代の藩士の跡継ぎ

ichikawa2017の回答

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回答No.2

No.1です 補足を頂戴しました。 補足に「親が藩士引退した後の」とありますが説明させて下さい。 制度上藩から脱藩するということはあり得ても藩士を引退するということはあり得ません。 家督を子息など後継者に譲って後継者が藩から支給される俸禄で養ってもらう隠居になることはありました。 「親が藩士引退した後の跡継ぎは」とありますが「跡継ぎ」は事前に藩から正式に認められている必用があります。 勝手に自称跡継ぎなどということは赦されていませんでしたのでご注意下さい。 質問者さんのご先祖は家督の後継者を正式に認められていたと考えられます。 親が家督を譲って隠居になった後で後継者が御広間勤になりその後役職に就任して昇格して行ったものと考えられます。 「家」として代々引継がれてきていた役職ではなく他の役職に無役から就任したということであれば相当優秀なご先祖様だったと考えられます。 尚、藩士と武士は意味が全く違いますのでご注意下さい。

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