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公家社会の消長。
明治2年、華族制度ができたとき、公家137家が華族になっています。 こんなに「お公家さん」がいたのですね。 奈良・平安時代から続いている家だけではないでしょうから、家数の増減(鎌倉時代、室町時代、江戸時代に増えたとか減ったとか)と、その理由を教えてください。 武家政権の時代を巧みに生き抜いて、なかなかどしぶとい、という印象です。 よろしくお願いします。 「華族」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E6%97%8F
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平安末期から鎌倉時代には、分家が進みます。藤原氏、源氏、というのでなく、近衛家、北畠家など家に分かれます。分家で出来たのじゃなくて、親が公家や皇族でないのに公家になった家というのは多分無いと思います。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 平安末期から鎌倉時代には、皇族や貴族から分家して増えたということですね。 分かりました。