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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:戦国時代の街道の様子と兵士の脚力・体力)

戦国時代の街道と兵士の脚力・体力

RikugunEiseiheiの回答

回答No.6

(1)kamotokogamoさんが利用されている添付写真の道よりは開けていました。 現在でも、律令時代から戦国時代まで使われていた官道のなごりが、ごく一部の地域に残っていますが、そうした道を歩いてみると幅員はおよそ4mくらいの感じです。もちろん書いていらっしゃるように周囲の景色は場所によって変わります。山裾であったり田園地帯の中であったり海に面した地域であったり峠道であったり様々です。 今日では、国道一号線といえば東京から大阪・神戸までと誰でも短絡的にお考えですが、歴史を遡って考えていただけば、天平時代以来、我が国で最も重要かつ交通量が多かったのは、シルクロードの終着点として北九州から近畿までを結んでいた今日の国道二号線のルートであり、秀吉の「中国大返し」もこのルートを利用したものと言えます。 家康が江戸に幕府を開いてから、日本の道路網が大きく変化したことを忘れてはなりません。 (2)戦国時代に限らず、鉄道やバス路線などが無かった時代の人々は、馬や輿を利用できるごく限られた身分の人を除いてみんなテクテク歩いて旅をしました。普通の人で一日8時間くらい歩いて約30km程度は旅をしていましたし、年輩者や女性でも一日20kmくらいは歩いていました。 訓練を積んだ兵士であれば、武装して30kmくらいの行軍は、大東亜戦争時でも普通でした。もちろん6日間連続というのは極めて厳しい条件ですから、四番の方が書かれているように兵站に関してきめ細かい配慮があって成功したと言えると思います。 (3)トイレに関しては書いていらっしゃる通りであると私も思います。道沿いの草の葉っぱがトイレットペーパーのかわりでした。

noname#238475
質問者

お礼

私の添付した写真にふれていただき、ありがとうございました。 普通の人で一日8時間くらい歩いて約30km程度は旅をしていましたし、年輩者や女性でも一日20kmくらいは歩いていました。……江戸時代の人々は歩くのが速かったということを何かで読んだ記憶があります。やはり、相当の脚力ですよね。 トイレに関しては書いていらっしゃる通りであると私も思います。道沿いの草の葉っぱがトイレットペーパーのかわりでした。…… 「中国大返し」のときは、街道筋は相当臭かったのではないかと。(*^_^*)「道の駅」があったわけでもないだろうから。(*^_^*) 道沿いの草の葉っぱがトイレットペーパーのかわりでした。 ……私も経験があります。(*^_^*)(*^_^*)(*^_^*)あれから、ティシュだけは必ず持つようにしています。

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