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戦国時代の街道の様子と兵士の脚力・体力

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お礼率 99% (506/510)

 本能寺の変の後、明智光秀を討つべく、毛利家と和睦した秀吉は、備中の高松から光秀との合戦場山崎まで、約180Kmを6日間で走り抜けた(中国大返し)とのことですが、これは単純計算しても1日に30Km進行するという驚異的なスピードだと思います。何万、何千の兵士が乱れることなく進行するとなると奇跡に近いようにも思われるのですが、3点ほど教えて欲しいことがあります。

(1)当時の山陽道というのは、どんな道路だったのか想像がつきません。道路幅とか、路面や周囲の状態がどんな様子だったのか???どんなことでも構いません。当時の街道をイメージできるような解説をお願いいたします。山陽道に限定せず、当時の街道一般でも構いません。
 添付の写真は、私がよく利用している森林公園内の歩道ですが、こんな感じでしょうか???
もちろん、周囲の景色は場所によって変わると思いますが。

(2)戦国時代の兵士というのは、現代の成人男性よりも体格的には、相当小さかったと思うのですが、粗食にも関わらず、脚力や体力は現代の成人男性よりも相当高かったと理解して良いのでしょうか???舗装された道路をジョギング姿で移動するのならば別ですが、具足を付けて、少なくとも槍、刀を持っての移動ですよね。それとも、武器などはまとめて運搬移動させることができるだけの道路幅や荷駄のような運搬手段を利用したのでしょうか???

(3)「中国大返し」の途中での兵士のトイレというのは、街道沿いで、表現は悪いのですが、「垂れ流し」ということだったのでしょうか???

回答 (全6件)

  • 回答No.6

ベストアンサー率 30% (6/20)

(1)kamotokogamoさんが利用されている添付写真の道よりは開けていました。

現在でも、律令時代から戦国時代まで使われていた官道のなごりが、ごく一部の地域に残っていますが、そうした道を歩いてみると幅員はおよそ4mくらいの感じです。もちろん書いていらっしゃるように周囲の景色は場所によって変わります。山裾であったり田園地帯の中であったり海に面した地域であったり峠道であったり様々です。

今日では、国道一号線といえば東京から大阪・神戸までと誰でも短絡的にお考えですが、歴史を遡って考えていただけば、天平時代以来、我が国で最も重要かつ交通量が多かったのは、シルクロードの終着点として北九州から近畿までを結んでいた今日の国道二号線のルートであり、秀吉の「中国大返し」もこのルートを利用したものと言えます。

家康が江戸に幕府を開いてから、日本の道路網が大きく変化したことを忘れてはなりません。

(2)戦国時代に限らず、鉄道やバス路線などが無かった時代の人々は、馬や輿を利用できるごく限られた身分の人を除いてみんなテクテク歩いて旅をしました。普通の人で一日8時間くらい歩いて約30km程度は旅をしていましたし、年輩者や女性でも一日20kmくらいは歩いていました。

訓練を積んだ兵士であれば、武装して30kmくらいの行軍は、大東亜戦争時でも普通でした。もちろん6日間連続というのは極めて厳しい条件ですから、四番の方が書かれているように兵站に関してきめ細かい配慮があって成功したと言えると思います。

(3)トイレに関しては書いていらっしゃる通りであると私も思います。道沿いの草の葉っぱがトイレットペーパーのかわりでした。
  • 回答No.5

ベストアンサー率 55% (399/722)

歴史 カテゴリマスター
(1)参考
鎌倉時代に発展した海の道や街道の話 - 玉川大学
http://www.tamagawa.ac.jp/SISETU/kyouken/kamakura/michi/index.html

概要と写真があります、

(2)
>脚力や体力は現代の成人男性よりも相当高かったと理解して良いのでしょうか???
脚力や体力は変わりませんが歩き慣れていました。
現在の陸上自衛隊でも歩行行軍訓練で10kgを超える装備を身に着けて40km程度歩きます。

>具足を付けて、少なくとも槍、刀を持っての移動ですよね
戦場では駆け回っていましたので移動するだけであれば特に負担というものでもありませんでした。

>武器などはまとめて運搬移動させることができるだけの道路幅や荷駄のような運搬手段を利用したのでしょうか???
武装していない兵など役に立ちませんので全て個人装備です。
荷駄として別行動していたのは米などの食料品の類を運んでいました。
何処で野宿するか分かりませんので焼き米など最低の量は個人別に装備していました。
生米はそのままでは消化不良を起こしますので乾煎りしたものを携帯していました。
現在も良く知られている八丁味噌も元は具足の帯に巻き付けていた携帯食料でした。

(3)垂れ流しでした。

蛇足
秀吉が高松城から引き揚げた軍勢が揃って山崎を目指していた訳ではありませんでした。
秀吉自身も騎馬で移動していたとされています。
当時姫路城が秀吉軍の本拠地でした。
三々五々高松から引き揚げて一旦姫路城に終結してから山崎へ順次出陣しました。
軍勢として陣容を整えて移動していたのは姫路以降です。
  • 回答No.4

ベストアンサー率 16% (1936/11530)

当時の交通事情を考察するに加えて
中国大返し当時の天候も考慮する必要があります
当時は梅雨時期で 実際秀吉が備中を退却して姫路に着くまで雨でした

ただでさえ時間の掛かる時代 雨だと土の道はぬかるみまともに歩く事すら
不可能です

実は秀吉は中国大返しの時に船で移動したと言う説が
最近になって有力視されています
船なら1度に大量の物資と人員を運べて歩くより遙かに早い


石田三成の記録に
「武具や荷駄を船で姫路に送り、兵士は着の身着のままで掛けた」
とあるのでもし船での移動がなかったとしても
荷物ぐらいは船での輸送を行っていたのでは?と言う事です

実は備中高松攻めの最中に小西行長が秀吉の味方になっています
これによって秀吉は大返しを成功させることができたとも言われています
  • 回答No.3

ベストアンサー率 29% (5186/17658)

歴史 カテゴリマスター
戦国時代の道路で有名なのは、武田信玄が整備したと伝わる「棒道」と織田信長の道路整備です。今回は織田領でのお話ですので、信長の道路整備について説明しましょう。

http://www.sengokunet.com/category2/entry36.html

要約すれば、こういうことです。織田信長は、当時としては異例というか非常識ともいうべき大規模な街道の整備を行っております。なぜ道路整備が非常識なのかというと、上記HPでも述べられているように、自分が侵略される側になると迅速なる敵軍の展開を許してしまうからです。ですので信玄の棒道の跡には、ウネウネと曲がりくねっているものも残っています。これはおそらく敵に使われた場合に混乱させる「ダミーハイウェイ」だったのでしょう。
しかし信長は、敵に利用されるリスク以上に、自軍の展開が迅速になるメリットと、流通が迅速になり商業が盛んになるメリットのほうをとったのでしょう。そしてそれが信長の(そして後に秀吉に続く)莫大な経済力に結び付きました。

なお、信長の街道整備で街路樹が植えられていたのは必ずしも通る人たちだけのことではなく、道路を削られないためのガードレールの意味合いもありました。
なにしろ当時の農民の労働意欲は旺盛で、道路があるとどんどん両側から道路を削って田んぼにしてしまうほどだったのです。だから街路樹を植えて道路を削られないようにしたのです・笑。

秀吉の中国大返しのときは、おそらく秀吉も信長のやり方に従って道路整備をしていたはずなので、それなりの街道が整備されていたと思います。
また大返しのときは、武器等の装備は別途船で輸送したという説もあったり、ルート沿いに炊き出しを用意して通りがかった軍勢がすぐに食事をとれるようにしていたという話もあります。
このときのこういった兵站業務、つまり「ロジスティクス」を仕切ったのがあの石田三成だといわれています。

阪神淡路大震災や東日本大震災のとき、被災地から必要なものを聞いて供給すると時間がかかってしまうという問題点が発生しました。そこで熊本地震のときに現地に必要なものかどうかを聞かずに先にリストアップしたものを送り付ける「プッシュ型支援」が行われました。
しかし、受け入れる側の自治体の規模が小さかったせいもあって被災地は受け入れ態勢が整わず、なのにじゃんじゃん物資が送りつけられて現地はパニック状態になり届かない支援物資が山積みになったという課題が残りました。

かように、不測の事態に必要な場所に必要な物資を滞りなく届けるというのが、通信手段がこれだけ発達している現代でもどれだけ難しいかというのがお分かりいただけるかと思います。
中国大返しは事前に綿密に計算・手配する時間などなく、走りながら手配しなければならない大仕事です。いくつもの仕事を同時に行い、しかも不測のトラブルが発生してもパニックにならずに迅速に収束させないといけません。そうしないとそのボトルネックから渋滞が発生してしまうからです。
そう思うと、この中国大返しを裏方として支えて成功させた石田三成は官僚としてどれだけ優秀だったかという話ですね。九州征伐、小田原征伐、朝鮮出兵と秀吉の事業はどれもこれもスケールが常識外れです。それをロジスティクスから支えるのはどれだけ大変だったのかを考えると、秀吉の三成に対する信頼があれだけ高かったのも納得です。会長の大風呂敷を、いつもきちんと広げてしかもちゃんと畳むんですからね。そして三成を佐和山十九万石という大きくない領主にした秀吉の慧眼も分かります。自社の規模が大きくなりすぎるとそちらのほうに時間をとられて豊臣ホールディングスの調整ができなくなりますし、北国街道と中仙道と、水上交通路である琵琶湖のすぐ近くの佐和山に彼を配置したのです。まんま北国街道と中仙道の交差点に置かないところが憎い。どんなに信頼しても、妄信はしない。
  • 回答No.2

ベストアンサー率 25% (667/2641)

歴史 カテゴリマスター
(1)中国攻めの最中の山陽道なので、荷駄隊の荷車が概ね通れる程度と解釈して良いかと思います、軍事用に一時的に整備された状態ですので、現代人が思うほど道路状態は悪くないのでは?
(2)粗食ではありません、時代によりますが確か秀吉がこの時代1日に用意した米は12合だったかと思います(記憶があやふやで正確ではないです)、しかも大返しのときは士気を盛り上げるために米蔵を派手に解き放った逸話がありますから、食べられるだけ食べさせたかもしれません。
米しかありませんがカロリーという意味では現代人よりはるかに摂取してます。
>具足を付けて、少なくとも槍、刀を持っての移動ですよね。
その辺は謎ですが、おそらく何か工夫をしたのかと思われます。
少なくとも姫路に帰れば一定の武器はあるので、先行部隊は手ぶらで姫路に帰り姫路で武装した可能性があります。また当時神戸信孝・丹羽長秀軍が四国攻めの準備をしていたので、信孝軍の武器を回収した、そもそも堺には莫大な武器が流通していたはずですのでそれを集めたという可能性はあります。
現地に武器があることは確かなので、とにかく人を先行させたかもしれません。まあ鉄砲は当然運ばないといけないのですが槍甲冑のたぐいはよくわかりません。
(3)そりゃあ垂れ流しとなるでしょう。近隣の農村に炊き出しを命じたという話ですから、村近くの広場で食べてそばのちょっとはいった茂みで出したのではないでしょうか?
お礼コメント
kamotokogamo

お礼率 99% (506/510)

私の質問項目に沿ってご回答いただきありがとうございました。

「こうだったのではないか???」と推測するところにも「歴史」の魅力というのがあるような気がします。

しかも大返しのときは士気を盛り上げるために米蔵を派手に解き放った逸話がありますから、食べられるだけ食べさせたかもしれません。……秀吉というのは、「勝負どころ」で、はったりも含めて「何をすれば良いのか」ということを心得ていたように感じます。
投稿日時 - 2019-04-18 04:26:36
  • 回答No.1

ベストアンサー率 14% (1615/10988)

分かる点だけ説明します。

当時の日本人は現代人と比べて、極端に低かったわけではありません。低くなったのはむしろ江戸時代になってからで、「天下泰平」になって人口が増加し、農作物を主に食べるようになったからです。人口が増えれば一人当たりの食べられる量が減るのは当然で、戦国時代みたいに戦で荒らされることも無くなり、農業が安定して行われるようになれば、必然的にそうなります。

当時の人がどれくらいの身長だったかについては豊臣秀頼の195cmというのは極端な例にしても、大伯父の織田信長も165くらいだったと言われており、50年前の日本人男性と遜色ありません。むろん豊臣秀吉のような小男もいましたが、今でも爆笑問題田中裕二みたいな人もいますしね。

昔の人というのは男女問わず道端などで用を足すのは珍しくありませんでした。無論、歩きながら垂れ流していたわけではなく、一定時間ごとに休憩をとっていたはずです。
お礼コメント
kamotokogamo

お礼率 99% (506/510)

ありがとうございました。

当時の日本人は現代人と比べて、極端に低かったわけではありません。……そうですか。認識を改めます。

低くなったのはむしろ江戸時代になってからで、……知りませんでした。ちょっと驚きです。

「天下泰平」になって人口が増加し、農作物を主に食べるようになったからです。人口が増えれば一人当たりの食べられる量が減るのは当然で、……???農業に限らず、例えば「魚の採り方」についての技術が発達するとか、「食糧生産が安定してくれば人口も増える」というふうに考えていました。
投稿日時 - 2019-04-18 04:35:16
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