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学校では落ちこぼれだったDQNが社会で通用する理由は?
- なぜ学校で落ちこぼれだったDQNが社会ではそこそこ通用するのでしょうか?一方、真面目な非リアっぽい人は社会に適応できずに悩んでいるようです。
- 就職したDQNたちはプライベートでも充実している一方、真面目な非リアっぽい人は職を転々としたりうつ病になったりしている傾向にあります。
- DQNたちは教養がなく粗暴な言動をし、女の穴ばかり追い回す一方、真面目な非リアっぽい人は交友関係に乏しく童貞か素人童貞という傾向にあります。なぜなのでしょうか?
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こんばんは。 それは逆ですよ。 真面目にやってた人達の方が就職して私生活、仕事共に充実してる人多いですよ。 学生時代に不真面目だった人が社会にでて うまくいってるのは、早いうちに将来の目標を見つけて、それを目指して頑張ってるからですよ。 学生時代に真面目だった人が社会に出て上手く行かないのは、将来の目標に向かって頑張ってても 何か途中でつまずいた時にすぐ挫折して、気持ちの切り替えが出来ない人が多いんですよ。 だから鬱になったりニートになったりするんですよ。 貴方も、もうちょっと前向きに将来の事を考えた方がいいと思いますよ。 貴方の頭の中は童貞を卒業することでいっぱいみたいですけど、何か行動に移して早く頭の中を切り替えないと、仕事で歳下に追い越されて30、40代になった時に地獄見ますよ。 これは嫌味でも誹謗中傷でもなく、私がみてきた現実です。 私も一回り歳上の後輩がいますけど、歳下に顎で使われるほど惨めなもんはないですよ。
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- inuusagi_8
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決められた学校内でのルールを従順に守ることだけに専念した子供と、 自分の頭で考えたことを計画し実行に移し、失敗を経験に変えてきた子供とで社会という無数のルールが存在する場所での適応能力に差が出てしまったのかもしれません。 チャラチャラしているようでそれなりの高校大学に入れる子供というのは適応力と状況判断力に長けていて、最も効率的な努力で最大値の結果を残せば良いという思考です。 サボることが悪で、規則を守ることや良い成績を残すことが善という考えから逃れることができないまま大人になると、 子供の頃にすり込まれた常識をアップデートできずアイデンティティが維持できない環境ではギャップに苦しみます。 他の子供達も徐々に壁にぶつかりながらも初めての不安を乗り越えて社会に適応していきますが、一歩目が踏み出せなかったり、つまずきを克服できないまま成長した子供は、一般的な社会に身を置きながらどことも繋がれない疎外感や閉塞感を持つかもしれません。 失敗を経験することで、この場面ではどのような対応ならOKなのか、どうすれば自分の希望が叶うのかと考えながらその場で素早く対応する能力が育ちます。 現場では頭と身体を同時に動かせなくては対応が追いつきません。 新しいことに素早くチャンネルを合わせることができるということは、失敗も多いですが先取特権も得やすい傾向があります。 沢山の失敗や壁にぶつかって乗り越えた人は、多くの問題に対して互換性のある端子を持っているような印象です。 いくら高性能でも単一端子しかない機器で、アップデートも不可ではすぐに通用しなくなります。 互換性が高くカスタマイズもでき、バージョンアップも可能、壊れにくいという実績のある商品が選ばれ続けるでしょう。 いかに現実の消費者ニーズを満たせるかで需要が変わります。 >どう見ても無能な社会不適合 現実社会では皆が皆、真面目で優秀な優等生ばかりではありません。 スクールカーストからドロップアウトして引きこもるようなことと同じ現象が大人の社会でも起きているということではないでしょうか。
- potatorooms
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〉どう見ても無能な社会不適合 このサイトで、有能な人以外が子孫を残すことが気に入らないようで、発言を繰り返している人がいましたが、ヒトの社会にとって、最低限のレベルで無能でない、有能であることの証明は、その、子孫を残しているかどうかです。 ヒトって生き物ですよね。生き物の唯一の使命は種としての生存です。そしてヒトは社会系動物ですから、各々で役割を負いますけど、社会として生存するための最低限の戦略は子孫を作ることです。 その後で、その子孫をいかに有利に生き残らせるかの戦略が生きるわけで、教養やテストの成績はこの時点から役立ってきます。 子を成している時点で、その人たちは無能でも社会不適合者でもありません。 学校には二つの役割があります。 ひとつめは、社会で生き残るための知識、作法を授けること。 ふたつめは、社会を導くためのエリートを育成、選抜すること。 ひとつめを、学校で教わらなくても我流でできているなら、それはそれで問題ないんです。 我流でとはいいませんが学校で習ったヒトとのつながり方を社会にでて活かすこともできず、学校の枠の中で選抜で浮き上がっていくこともできない人たちが、どちらかというと社会不適合者というにふさわしいかと。 人とつながらないくらいに学業に専念すると、学力が上がって、それだけで上位1割くらいに入れば社会的エリートになれるような仕掛けに日本ってできています。 受験を繰り返す教育体制や海外にはない新卒採用制度って、勉強でしか成果を示せない人たちに有利になっています。 その競争に加わらない人たちと、加われずに何気なく社会に出た人たちとで、どっちがどういう状態になるかは、わりとわかりやすいのではないでしょうか?
- eroero4649
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大真面目に回答しますが、それは「社会にうまく適応できたかどうか」の違いだと思いますよ。 質問者さんがDQNと呼ぶ人たちは、彼らのコミュニティを持っていますよね。ヤンキー同士の上下関係とか、ありますでしょ?確かに学校のお勉強というのには適応できていませんが、ヤンキーコミュニティの中では居場所を持っているわけです。 それが社会に出ると上下関係だったり人間関係の中で揉まれてそこで生きていけるように社会性を身につけるわけです。元々そういう社会に自ら所属していたわけですから、社会性を身につける能力そのものはあったのです。 一方、質問者さんのいう「真面目だけが取り柄」という人は、別に学校社会の中でも上手く適応している訳ではありません。ぼっちでもなんでも、そこに座ってさえいればいじめっ子に目を付けられない限りは生きていけます。でもそれは学校の中で友達を作ったりとか居場所を見つけたりというように適応しているわけではないのです。 だから、社会に出ると今度は置かれた場所に自分を上手に適応させないといけないのでその能力がなくて社会不適合を起こすのです。 「真面目だけが取り柄」というけれど、実際は真面目でもないのだと思います。だって真面目だったら少なくとも勉強はそこそこ以上の成績のはずです。そこそこの成績も残せないということは、真面目でもないのです。 真面目なんじゃなくて、なにも取り柄がなくて何も目立つところがないから真面目っぽく見えているだけなのだと思います。それを本人は「僕は真面目が取り柄だ」と勝手に思い込んでいるだけなんじゃないかな。「その場に上手に合わせる能力」がないのですよ。それはDQN君のほうがあるのでしょう。 ハンディキャップ理論というのを、質問者さんもご存知でしょう?あえて目立ってハンデになるようなことを背負うことで「こんなに悪目立ちしても生き残っている俺は優秀だ」とアピールする戦略です。クジャクのオスが有名ですが、いわゆるDQNがやたらとイキがるのもこの一種だといわれていますよね。 DQN君たちがこの戦略をとっているかどうかはさておき、しかしながら「真面目だけが取り柄」君は決してこの戦略はとれないと思います。目立ってしまうと自分の弱さがバレてしまいますから。もしかしたら真面目だけが取り柄君は自分の劣っている部分を見せないために「あえて何もしないことで何もできないことをバレさせない戦略」なのかもしれません。バットを持ってベンチでずっと真面目な顔をしていたら、なんだか代打の切り札なんじゃないかって気がしますからね・笑。 生物学者によると「強いから生き残っているわけではない。強くても絶滅した種はいくらでもいる。うまく適応できた種が生き残っているのだ」ということです。 女の尻を追いかけ回すのは悪いことではないですよ。少なくとも女を巡る闘いの土俵に立っているのですから。「あんなものは、バカバカしい」といって土俵に立たないのは闘いから逃げているのと同じですからね。
- bekky1
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【なぜなのでしょうか?】 他の方がすでにご指摘ですが、要領がいいというのは、 自分の頭で考えた結果として行動しているから、或る意味、あらゆる場面で 自己判断して行動できるからです。 そして、常に、行動モデルは修正され続ける。 経験が経験値として蓄積される。 ただひたすらに真面目に・・・は、過去の教育規範?教育内容を逸脱しないことを心情・信条として、励むだけで、点数取るからです。 それが役立つなら、運転免許は満点で取れるというような話です。 はみ出さないように教育され、はみ出さないように生活するならそれでok。 女の穴を追いかけること、 飲酒、喫煙などはある年齢までははみ出さないようにですから、 至極まっとうなことなのです。 平均寿命以上まではみ出さないのが褒められることかどうかは別です。 昔から、「酒もタバコも女もやらず、百まで生きたバカがいた」と。 ベビーの、褒められることが、そのまま大人になっても通用すると勘違いしているという指摘? 【こういう人は、どう見ても無能な社会不適合なのに、就職したら何だかんだ上手くやっている人が多いです。 プライベートでも、彼女と友達がいて充実している傾向にあります。】 あなたの勘違いが根本にあるから。 学生はサービスされる方、お金を払う。 就職したら・・・は、サービス提供する方で、お金をもらう。 お金を払いつつ、サービスを受け、サービスのあり方、なされ方を 学べば、自ずと、お金をもらう方の心得を得ている人との差異ができる。 シツケも、常識も、破って、ああそうか、何故にそのように「集団飼育」されるのかの真髄がわかってはじめて、自分の知恵と、技術と身に備わるものとして蓄積される。 ノーベル賞級の仕事にしてしかりです。 失敗してみて、何故に、今まで・・・・と、違いがわかるから。 逸脱することの意味を知るから、「逸脱するな」とたがをはめる。 ・・・が、しかし・・・と、後は自頭で考える。 自頭で考えるべきことをせずに、規範を守る価値観はそれはそれで立派ですが、 イコール限界設定(初期設定)されていることを忘れてます。 殻を破る・・・とは、文字通り。 卵の色・形は問われない、中身だから。 学校環境の卵のままでいいなら、そのままです。
大学時代の知り合いがそうなんですかね? そうであれば、DQNなお友達はそんな生活なのにその大学に受かったわけですから頭は良いのです 真面目系のお友達は苦労してその大学に入ったのですから頭は悪いのです 卒業後は学校の勉強ではなくて要領が試されますので、そのような結果になったのでしょう
補足
大学時代の知り合いの話などしていませんよ。 ちなみに私の場合はMARCHレベルの大学を出ており、チャラ男やマイルドヤンキーはFラン大に行っても勉強がついていけずやめてしまったみたいですが。 わかりますか?Fラン大ですら勉強ができないんですよ?
- kaitara1
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社会が生み出している利益をうまく利用できるかどうかということでしょう。個人の問題で、非社会的あるいは反社会的な人でも条件によっては生きていることもあります。しかし大多数の、ふつうの人は社会的に生きています。
- tzd78886
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世の中には学校の勉強など関係なくできる仕事も結構あり、そういう人は分相応の仕事を選ぶからです。一方、高学歴の人というものはプライドが高く、単純作業のような仕事をしたがりません。だからと言って、日本の大学というところはすぐ仕事の役に立つようなことを教えていないことが大半で、理想と現実のあまりの差に愕然とするのです。
補足
動作性IQと言語性IQという言葉をあなたは知らなさそうですね。要領のいい人、つまり動作性IQの高い人は、その能力に傲るため、教養力に欠ける傾向が見受けられます。 もちろん努力の結果、要領がよくなった人もいるでしょうが、物事を深く考えず自分中心の根性論で片付けようとするあなたのようなタイプは、それこそ私からすれば努力が足りないように見えます。 あともう一つ言っておきますが、教育はサービスでもなんでもありませんよ。 また、ルールから逸脱して反社会的行動をとることと型にはまった研究から脱皮して新しい研究成果を生み出すことの好意を履き違えてはいけませんね。