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昔の教師は偏った考えの者が多く居た?
- 昔の教師は偏った考えの者が多く居たのか?昭和30年代~50年代の教師の中には、俺は~を目指す人を評価し、それ以外は見向きもしない考え方の者が結構いたようです。
- バブル崩壊頃から日本も成熟社会になり、少子化とグローバル化が進みました。このような時代にノスタルジーを感じているのは保守派の人々であり、経済成長という時代だったことや縦社会が形成されたことが要因の一つと言えるでしょう。
- 昔の教師たちは一部の人を評価し、それ以外は見向きもしない考え方を持っている人が多かったようです。しかし、バブル崩壊後の成熟社会では、物事を多角的に見る必要があります。保守派の人々がノスタルジーを感じているのは、経済成長の時代や縦社会が形成されていたことなどが要因となっています。
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私が小学生だったS40年代の時のある担任は今にして思えばかなり社会主義的考えを持っていた様です。結構影響を受けて(と言っても小学生ですから興味本位の浅いもの)、まだ国交樹立前の中国の北京放送を聴いたり手紙のやり取りもしていました。さらに北朝鮮の放送局にも手紙を出そうかと思ったくらいなのですが(当時は韓国は軍事政権でKCIAが暗躍する危ない国な一方北朝鮮は今にようなテロ国家の印象は無く共産主義を実践する謎の国)幸いなことに北朝鮮の放送の受信感度が悪く熱心には聞きませんでした。もし手紙など出していたら、拉致の対象にされていたかもしれないと思うと恐ろしい。読書を生徒に強く奨励していて競争もさせていたので、図書館の本を片っ端から読みました。クラスの平均でも年に100冊くらいは読んだと思います。 別の先生は陸上競技に力を入れていて、クラスの全員朝練、夕練を強制的にしいられていました。 どっちも親やPTAから文句が出ていたと親から聞いていましたが、私の住んでいた東京の衛星都市ではまだ中学受験をする人はクラスに1人か2人くらいで塾に行く子は学校の授業についていけない子だったので子供達が運動と読書に忙殺されていても真剣に怒る親は少なかったと思います。同じことを今やったら大問題になったでしょうね。 その時代は学生運動が盛んな時代で、戦後日本の保守、金権政治から民主、平等、公正に変えようと言う反体制の機運も強く、日教組も大きな力を持っていました。一方で学校や社会では軍隊の名残の規律や全体行動も重んじられていたと思います。先生にもいろんな考えが混在して許されていたのはまだ受験や親の教育が熱心で無く、先生が今よりもずっと高い地位にいたと言う事でしょう。また今より個人を重んじて個性を伸ばそうと言う考えは希薄だったので、先生の方針にも全体で正しいか間違っているかだけで、一人一人の子や親の事情を考えなくてよかったんだと思います。私は小学校時代の上の極端な教育方針が良い記憶として残っていますが、多分クラスでも嫌だったりついていけない子もいたんだろうなと思います。 少なくとも今よりは先生も突っ走りやすい環境だったのは間違いないです。
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- staratras
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>昔の教師は偏った考えの者が多く居た? これは一概に「その通り」とも「そうではない」とも言えない難問です。昔も今も教員には様々な人がいるというような一般的な当然の理由に加えて、昭和30~40年代と現在とでは「偏っているかどうかの基準」が変わってしまったからです。 たとえば、回答者が昭和40年代前半に学んだ中学校(九州の某県庁所在地にあった普通の公立です)には、熱血漢の校長先生がいて、定期試験の前には校舎の屋上にZ旗(日本海海戦のとき連合艦隊の戦艦「三笠」に掲げられたあれです)が掲揚されていました。もちろん当時でもそのようなことをする校長は珍しく「変わり者」と見られていたかもしれませんが、「偏っている」などと特別に問題視されたりはしませんでした。 この事例だけから「昔は右傾化していたのでは」と思われるのは事実とは違います。この時期にはまだ年配の先生の中には兵役経験者がおり、またそれ以下の年齢でも空襲などの戦争体験者も多く、先生ひとりひとりの思想的隔たりは大きかったにもかかわらず、「右」の先生も「左」の先生も「二度と戦争をしてはならない」という「不戦の意志」と「戦争で犠牲になった国内外の人々には敬意を払うべきだ」という点では共通していたからです。Z旗を掲げた校長先生の心の中でも不戦の意志と日露戦争で日本のために戦った将兵への敬意が共存していたということになります。この戦争に関連する「不戦」と「戦没者への敬意」については「偏った考えの先生」はほとんどいませんでした。 もちろん共通点だけではなく、昭和30年代から40年代にかけての教育現場は、学力テストや教員の勤務評定などをめぐって、左右の政治的・思想的対立(組合対文部省)が激化した時代でもありました。「偏っている」という評価が「対立する相手方へのレッテル張り」に使われた一面もあり、慎重な検討が必要です。 中学時代の定期試験の結果は1学年500人余りのうち上位半分くらいまでは合計点と氏名が職員室の前の廊下に張り出されていました。こうした点だけを見れば、昔の方が競争が激しかったように感じられるかもしれません。もちろん正規の授業以外の始業時前に「補充授業」が行われるなど、「受験競争」の面もありましたが、逆に競争が制限されていた部分もあります。たとえば現在は広く行なわれている中学生の全国規模のスポーツの大会の開催には制限があり、「放送陸上」などという大会さえありました。 現在の物差しで見れば、普通の公立中学校で成績順の名簿を張りだすことや、中学生のスポーツの全国大会をやらせないことは「偏った考え方」のように見えるかもしれませんが、当時は逆にそれが普通で当然のことと受け止められていたのです。 逆に、昭和30年代や40年代に、「職員室は全面的に禁煙にすべきだ」と主張したり、「家庭科が女子だけ必修であるのはおかしい」と主張したりすれば、「偏っている」と批判されたでしょうけれど、現在では逆に「学校の全面禁煙」や「家庭科の男女必修化」は当然のこととして受け入れられています。 何が「偏った考え方」なのか、時代を超えた普遍的な基準と、その時々の歴史的制約により変化する基準の両方があり、それがこの問題の難しさだと考えます。
お礼
ご回答ありがとうございました。 先生ひとりひとりの思想的隔たりは大きかったにもかかわらず、「右」の先生も「左」の先生も「二度と戦争をしてはならない」という「不戦の意志」と「戦争で犠牲になった国内外の人々には敬意を払うべきだ」という点では共通していたからです。Z旗を掲げた校長先生の心の中でも不戦の意志と日露戦争で日本のために戦った将兵への敬意が共存していたということになります。この戦争に関連する「不戦」と「戦没者への敬意」については「偏った考えの先生」はほとんどいませんでした。 この様な戦争という事実を経験された方が「不戦」と「戦没者への敬意」と いうものを持ち次世代へと伝えていく事は貴重な事かとおもいますが、 現在戦争を知らない世代が増え、薄っぺらな考えで軍事を語ろうとする事より説得力はあると思います。 逆に競争が制限されていた部分もあります。たとえば現在は広く行なわれている中学生の全国規模のスポーツの大会の開催には制限があり その様な事もあったという事も見ていかないといけないと思います。 時代を超えた普遍的な基準と、その時々の歴史的制約により変化する基準の両方があり、それがこの問題の難しさだと考えます その通りかと思います、その兼ね合いが難しいのですが?
- nagata2017
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どちらに偏っているかは問わないのであれば 時代に関係なく ずれている人は同じ程度はいると思います。 官僚や公務員が人気になるのは不景気な時代。つぶれない親方日の丸と揶揄 景気が良くなれば給料袋が縦に立つと言われる民間企業が人気になる。
お礼
ご回答ありがとうございました。 官僚や公務員が人気になるのは不景気な時代。つぶれない親方日の丸と揶揄 景気が良くなれば給料袋が縦に立つと言われる民間企業が人気になる。 これは頷ける話です。
- dragon-man
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>昔の教師は偏った考えの者が多く居た? 1989年以前の東京大学経済学部の教授は全員マルキストだった。大学ではマルキシズム経済学しか教えなかった。ほかの国立大学もすべてそう。だから日本人のノーベル経済学賞受賞者は皆無です。
お礼
ご回答ありがとうございました。 大学ではマルキシズム経済学しか教えなかった。ほかの国立大学もすべてそう。だから日本人のノーベル経済学賞受賞者は皆無です。 大学でもこれが正しい 多数派となると 他の経済学は認めないという風潮がある事を象徴していると思います。 纏まり 戦後の高度成長~バブル崩壊までは良かったが、そこから頭打ちに成り、現在は「グローバル化」がいわれておりますが、そこに又格差という問題が出ている様に思えます。
- alterd
- ベストアンサー率23% (137/595)
高度成長期は、「モーレツ社員」という言葉によく表されていたように感じます。 教師といえども多かれ少なかれ影響されていたのではないでしょうか。 そして、戦前の権威主義的な考えもまだまだ色濃く残っていたように思います。 そこでは、個性の多様性は往々にして抑圧されるでしょう。 今では、経済成長の鈍化、非正規雇用の拡大、親の収入による教育格差、過重労働、過労死等が顕在化しています。 ですので、余程の野心家でない限り、自分の個性を殺してまで権威的組織内で遮二無二頑張ろうとする人は減っていくのではないかと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 高度成長期は、「モーレツ社員」という言葉によく表されていたように感じます。 教師といえども多かれ少なかれ影響されていたのではないでしょうか。 そして、戦前の権威主義的な考えもまだまだ色濃く残っていたように思います。 その様な時代の象徴だという事かと思います。 今では、経済成長の鈍化、非正規雇用の拡大、親の収入による教育格差、過重労働、過労死等が顕在化しています。 今は見直す時期に来ているという事かと思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。 一方で学校や社会では軍隊の名残の規律や全体行動も重んじられていたと思います。先生にもいろんな考えが混在して許されていたのはまだ受験や親の教育が熱心で無く、先生が今よりもずっと高い地位にいたと言う事でしょう。 頷ける話です。 先生の方針にも全体で正しいか間違っているかだけで、一人一人の子や親の事情を考えなくてよかったんだと思います。私は小学校時代の上の極端な教育方針が良い記憶として残っていますが、多分クラスでも嫌だったりついていけない子もいたんだろうなと思います。 少なくとも今よりは先生も突っ走りやすい環境だったのは間違いないです。 多分 全体で成績が上がる等すれば、嫌な思いをした生徒もいたが、その様な事には構わず放置する、それで生徒も保護者も文句は云わないという事だったと思います。