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お城についての疑問
城が好きで、旅行などに行った時はよくお城を見学します。 単純な疑問なのですが、お城で過ごしていた武士たちは、トイレや食事はどうしていたのでしょうか。どこの城にもトイレも台所もありません。食事や厠をどうしていたのか不思議に思います。 またお客が来た時にお茶も出さなかったのかとも思います。 その辺の生活史について詳しい方教えてください。
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現在観光で見ることができるのは櫓や城壁、門などですが城が現役であった時代にはごく一部の建物です。 現在公園や空き地になっている場所には木造の建物が密集していました。 明治維新の後で現在残っている建物以外は取り壊されました。 日常はこの木造の建物内で過ごしていました。 櫓などは夜間警護の家臣が詰めているだけでした。 天守閣などと呼ばれる建物は戦の時にだけ使われる建物でした。 江戸城の天守閣は明暦の大火(1657年)で焼け落ちましたが無駄ということで再建されませんでした。 それ以降江戸時代を通じて江戸城には天守閣はありませんでした。 現在も石垣だけが残っています。 参考 江戸城,江戸城本丸図 - Hi-HO http://www.max.hi-ho.ne.jp/khori/Edo_castle_plan.htm 木造の建物の間取り図が掲載されています。 調理場や厠までは記載されてはいませんが厠も食事を作る調理場もありました。 江戸城表・大広間・控之間・松之廊下 : 大江戸歴史散歩を楽しむ会 http://wako226.exblog.jp/16483689/ 木造の建物の部屋の内部を再現した絵が掲載されています。 >またお客が来た時にお茶も出さなかったのかとも思います。 必要に応じて出していました。 茶坊主と呼ばれる役職者がいました。 参考 茶坊主 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/茶坊主 抜粋 将軍や大名の周囲で、茶の湯の手配や給仕、来訪者の案内接待をはじめ、城中のあらゆる雑用に従事した。 >その辺の生活史について詳しい方教えてください。 城内の生活でしょうか。 城というのは戦の際には城郭として使われますが平常時には役所として使われていました。 現在で言えば県庁の建物と同じように使われていました。 城内で日常的に生活していたのは当主である大名とその家族だけでした。 役所用の部屋とは別に私邸に相当する専用の部屋が設けられていました。 家臣は全て城下町にある自宅から通っていました。 つまり城内では働くだけで生活はしていませんでした。 江戸では大名も登城すれば幕府の組織の一員つまり役人としてセッセと働いていました。 家臣を連れて城内へ入ることができませんでした。 身の回りの世話をする家臣が数名登城できるだけでした。 組織の下役は下級旗本などの幕臣が務めていました。
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- pri_tama
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姫路城大天守には、ちゃんと厠や流し台が残ってますから無いと言い切るのは早計だと思います。 https://www.shirofan.com/shiro/kinki/himeji/tenshu_underground.html 他の例だと松江城天守にも箱便所と呼ばれる場所(おそらくトイレ)がありますし、姫路城や大洲城の様に天守に台所櫓と呼ばれる建物が付随するケースもあります。 あと、日本のお城にトイレがない理由ですが観光客が誤って使ってしまうというのを防ぐという理由の他に日本の遺跡研究におけるトイレの研究が不十分というのがあります。 なんせ、1980年に一乗谷朝倉氏遺跡で金隠しが発見された事が研究の始まり(これが、日本における最初の確実なトイレ遺構)だったりするくらいですから…。 昨今の城址の復元には、確実な資料の裏付けが必要なため、トイレの様な詳細な情報が残りにくいものに関しては復元する事が難しい(国の許可が下りない。)という事情もあります。
- nagata2017
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お城を天守閣のことを指しているのであれば あれは住んだり生活したりするところではないので 普段は人はいません。だから 厠も台所もありません。 本丸 二の丸と呼ばれる 平屋建ての部分に人がいます。厠も台所もあり お茶も出します。
- okvaio
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>お城で過ごしていた武士たちは、トイレや食事はどうしていたのでしょうか。 お城(本丸御殿)の周辺に家を建てて住んでいたと思いますが。 殿様は「本丸御殿」のようです。 https://icotto.jp/presses/9989 お城の中に井戸があるのは、「松江城」で、籠城用生活物資の貯蔵庫が、 地階にあります。見る価値があると思います。 http://鳥取遊戯.com/archives/16542 で、検索して下さい。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11128/34636)
厠はちゃんとあるのですが、うっかり観光客が使ってしまうといけないので扉を閉めていたり目につかないようにしてあります。櫓のお堀の上の部分に作られていたりして、そのままお堀にドボンと落ちるようにしてあるとかね。 観光用に再建されたものならば、最初から省略されて再建されているケースもあると思います。 台所も同じです。観光客用に作る必要がないなら、再建されないだけです。全体からいえば、ごく一部のお城を除いてほとんどのお城は明治以降あるいは戦後に再建されたものです。ひどい場合は元々天守閣がなかったのに「それじゃあ観光客が来ねえっぺよ」とコンクリートで天守閣をでっちあげてしまっている場合もあります。ここ20年くらいは「元の姿に忠実に再現する」傾向にありますね。 熊本地震で熊本城が大きな損害を受けたので熊本市民&お城好きにショックが走りましたが、こと天守閣についていえば、天守閣は西南戦争のときに焼失しているのです。こんな感じで、ほとんどのお城は明治維新の廃藩置県で主がいなくなり廃屋になったのでボロボロになり、その後再建されているものが多いのです。
- stss08n
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現代、投稿者様が観光目的で”ご見学されてます”お城:観光目的建物でしょう。 あっちこっちに、”地下・井戸を掘っていましたから、空になれば埋める事。 便所も、出来るだけ深く掘る事、並びに”地震・雷被害・台風等・自然災害に崩れない事で、とてつもない”専門的な、土木と建築に関し技術者集団でしょう。 単純な話が、現代で生活に出来れば必要な”自動車が、馬(うま)・木工台車等々でしょうから、常在戦場必要なものは”自主調達と工夫で、成り立っています。 便所は、当然”自然的堆肥(しぜんてきたいひ)に、現代で言えば”再生飼料・肥料へ使い切るものでしょう、何より大事な武器蔵(弓・鉄砲・鎧・兜・刀剣類等) ※戦いを忘れている武士等は、何処にも居りませんでしょう。・・・ 戦国武士の慣いなど凄まじいもの全ては、歴史古文書開けば、書いてあります 城(しろ)とは、城塞(じょうさい)でして、まず”近隣の郷士・戦国侍の”休息所が、必要でアリ”当然ながら武者処(むしゃどころ)と、ご領主(りょうしゅ)、食料の 蓄え処(たくわえどころ)、便所(領主、部下、応援者、女中、その他)、賄い処 (まかないどころ)等々・総てが”領主様智慧と機略が”そこで生き抜く謀略です。 ●戦う自衛魂(じえいたましい)として秘密・機密な事で非公開が原則でしょう。 何より、それは、”土木と建築と地下への洞穴作り(ほらあなつくり)等々は、常日頃入念な準備と逃げ出す場合の非常訓練が出来て居なければ、あぁっと言う間に 一人残らず、攻め込まれてオシマイなる憂き目に合うでしょう。・・・
お礼
詳しい説明をありがとうございます。参考になりました。 またよろしくお願いします。