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古代の帆船航海で日本にたどり着く方法。
昔は、望遠鏡もコンパスも羅針盤もありませんでした。 もっぱら島伝いに裸眼目視で日本を目指したと思いますが、 この頃、島から島へ確実に行けたのでしょうか。 つまり、今いる島から出航する時に次の島が見えていたのでしょうか。 例えば、インドネシア方面から日本を目指せばどうでしょうか。 島と島との距離、山の高さなど、条件がいろいろありますが、どうでしょうか。 例えば、フィリピンから台湾までは遠すぎて航路を見失うと思いますが、どうでしょうか。 また、沖縄から本土まではどうでしょうか。 船旅などで、実際に経験した話などいただければうれしいです。 また、小笠原諸島からの航路はどうでしょうか。 さらに、朝鮮半島。壱岐対馬はどうでしょうか。 昔の人は視力がよかったと聞きます。 関連する話は何でもいいです。よろしくお願いします。
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- jkpawapuro
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NHKスペシャルの人類誕生をご覧下さい。 丸木舟で台湾から与那国島に渡る様子が実験されています。 おそらくNO1さんのプロジェクトと同じかと思いますが。 人類が日本本土に移住した流れは、台湾与那国島間は丸木船で移住、与那国島から沖縄、沖縄から本土は潮流に流された難破民かなと思います。 古代といわれると丸木舟はおそろしく歴史が古いですが帆船はあったのでしょうかね? 基本的に奈良時代でも沿岸航法ですので、帆船といえど有視界を航行するしか技術がありません。東南アジアからならベトナム沿岸中国沿岸朝鮮半島、対馬、日本のルートです。スールーを越えバシーを越えは航海技術としても無理でしょうし黒潮に乗るので台湾にたどりつくこともないでしょう。人類伝播の歴史はそういうルートではないですし果たしてそんな航海をした変わり者がいたかどうかはわかりませんが、もしそういった移動があったとしたら沿岸沿いです。
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1962/11743)
まぁ縄文人が南米まで渡った痕跡があるので 可能と言えば可能ですが ただ 当時はそこを目指して行ったというより偶然辿り着いたと考える方が良いかも なので日本を目指したのではなく 偶然日本に辿り着いた と考えるべきです まぁ朝鮮や中国などは明確に日本を目指せたでしょうが
- nananotanu
- ベストアンサー率31% (714/2263)
実際に外洋を航海するとわかりますが、島の上には雲が出来るんです。 勿論、全体の天気自体が悪い時は使えませんが。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11128/34636)
なんとも驚くべきことに、八丈島には縄文時代の遺跡が発見されています。縄文時代は帆船どころか丸木舟しかなかった時代です。 丸木舟はその構造から河川もしくは内海だけの利用に限定されていて、外洋への航海には向かないとされていましたが、八丈島から遺跡が出てきてしまっているので、何がしかの工夫をした外洋型丸木舟というのがあったのではないかといわれています。 アフリカのマダガスカル島の住民のDNAを調べてみたら、なんと驚くことにインドネシア人のDNAがかなり古い段階で混ざっていることが分かりました。その中間の地域、例えばインドや中東、東アフリカにインドネシア人のDNAは見られないので、マダガスカル島にやってきたインドネシア人はインドネシアからマダガスカル島にインド洋を渡って直接やってきたと思われます。 確かにインド洋には南インド洋海流というインドネシアからマダガスカル島に向かって流れる海流があります。とはいえ、先史時代にどうやってインドネシアからマダガスカル島に渡ったのか。 はっきりと分かることは、昔から無謀なことにチャレンジする冒険野郎とその男の夢についてくる乙女がいて、彼らの無謀な挑戦はしばしば人類の道を切り拓いていったってことですね。 確実に行けるから行ったんじゃないんですよ。「俺はこの海の向こうが見たい。だから行く」っていうやつがいて、「ステキ・・・私も連れてって」って女がいたんです。
- ichikawa2017
- ベストアンサー率54% (452/836)
>この頃、島から島へ確実に行けたのでしょうか。 この頃を何時頃と想定されているのかわかりませんが、確実に往来していたと考えられています。 参考 黒曜石分析から解明された新・海上の道 http://ac.jpn.org/kuroshio/oda201505.htm 抜粋 筆者は70年代に武蔵野台地の発掘調査で出土した黒曜石石器を、東京大学の鈴木正男氏に依頼して理化学的分析を行った。 その結果、太平洋上の伊豆諸島「神津島」から海を渡って本州島に多数の黒曜石が搬入されていた事実が判明し、日本の先史時代人が世界最強級の「黒潮」激流を乗り越えるほどの「海上航行」技術を持っていたことが証明された 尚八丈島や小笠原諸島には弥生時代の遺跡があります。 つまり古くから人が往来していたということです。 参考 八丈島の先史文化 http://ac.jpn.org/kuroshio/hachijo2005/index.htm 抜粋 八丈島最古の住人は、7,000~ 6,500年前の湯浜人(出自系統不明)で、彼らは噴火が続き西山(八丈富士)がまだ形成途上にあった東山(三原山)地域に上陸し、樫立地区の「湯の浜」海岸高台に生活の拠点を設けた。 二番目の渡島民は、5,000年前の倉輪人(縄文人)で、同じ湯の浜海岸に上陸し湯浜遺跡の西側海岸高台に集落を構えた。 石野遺跡 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/石野遺跡 北硫黄島の遺跡です。 >インドネシア方面から日本を目指せばどうでしょうか。 直接北上する必要性はありません。 中国の沿岸を足がかりにすればいいだけのことです。 フィリピンや沖縄も同じことです。 尚、沖縄には3万年以上前から人が住んでいたことが確認されています。 同様に台湾にも古くから人が住んでいました、 これ等の人達が周辺海域へ漁労に出ていただろうと思われます。 当然双方が接触していただろうと思われます。 つまり南シナ海の島嶼の人達は情報を持っていたということです。 闇雲に北上していたわけではありません。 参考 沖縄の歴史INDEX - 琉球文化アーカイブ http;//rca.open.ed.jp/history/story/hisindex1.html 抜粋 沖縄の島々にいつごろから人類が住みつくようになったのかは定かではありませんが、那覇市で出土した化石人骨(山下洞人)は今から約3万2000年前、具志頭村(ぐしかみそん)の港川(みなとがわ)で出土した化石人骨(港川人)は約1万7000年前のものであることが確認されています。 これら旧石器人は、中国大陸から陸橋を渡って琉球列島にやってきたと思われますが、詳しいことは不明です。 1世紀頃の東シナ海の航路が推定されています。 参考 古代の船と航海ルート - 邪馬台国大研究 http://inoues.net/science/war.html 船の構造や航海ルートなど詳しく紹介しています。 この航路で使われていたであろう船も推定されて復元しています。 参考 古代の船と航海ルート - 邪馬台国大研究 http;//inoues.net/science/war.html 五世紀頃の船は埴輪などから推定されています。 参考 宝塚1号墳から出土した日本最大の船形埴輪 - 松阪市ホームページ http://www.city.matsusaka.mie.jp/site/bunkazai-center/takarazuka-it... 埴輪 船 - e国宝 http;//www.emuseum.jp/detail/100579/000/000?d_lang=ja&s_lang=ja&wor... 古代船は帆船だった | 日本の歴史と日本人のルーツ - アメーバブログ http;//ameblo.jp/shimonose9m/entry-12037881471.html 抜粋 3艘の船が描かれていて、中央の船は82本のオールを持つ大型船で、船の船首と船尾は反り上がって扇形に広がっている。 中央と船尾には2本ずつ旗がなびいている。 もしかするとこれは畳んだ帆かも知れない。 この船の前後に小形の帆船が各1艘伴走しているように描かれている(参考)。前後の小型船の上に逆三角の帆の様な物が見えるが、もし三角帆なら風上にも進める江戸時代の打瀬船の様な船が弥生時代から既にあったことになる
- teppou
- ベストアンサー率46% (356/766)
wikipediaで「ウェイファインディング」を検索してみてください。(サイトのURLがうまく添付できませんので。) 南太平洋諸島の古代の航海術が出ています。 古代の真実はわかりませんが、航海以外でも現代人の感覚で思うよりは、ずっと優れた技術があったのではないか思われる状況証拠的なものはいろいろあるようです。
- tzd78886
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直接「目指していた」とは到底思えません。遠いところに行く場合は様々な土地に寄港して風向きや潮の流れを見計らって出航したのでしょう。当時の技術であっても近いところであれば何とか辿り着ける可能性があったからですが、それでも難破したりして極めて危険な旅であったのは間違いないところです。 島流しですらせいぜい八丈島くらいまでですから、小笠原なんて漂流民が流れ着くくらいで、目指して行った人はいないでしょうね。欧米系の血筋の人が多いのは、大航海時代からそういう人が流れ着くことによって形成されていったところだからです。
- fujiyama32
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6月末ごろに台湾から与那国島(日本の最西端の島)まで手漕ぎの丸木船で 航海に出るプロジェクトがあります。 数年前からいろいろな船(草や竹製)でチャレンジしていますが失敗して います。今回は丸太をくり抜いた丸木船です。 詳しくは下のURLをクリックして参考にしてください。 「19年に台湾から与那国へ 3万年前の航海徹底再現計画/八重山毎日新聞」 http://www.y-mainichi.co.jp/news/31262/ 「"3万年前の航海"日本人のルーツをたどる/2016年7月」 http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/249320.html 「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト ~与那国島から西表島までの実験航海に迫る~/2016年1月」 http://www.bayfm.co.jp/flint/f20161001.html