戦争と神風特攻隊

このQ&Aのポイント
  • 戦争に行って戦死した私の父方の先祖の特攻隊員について知りたいです。
  • 特攻隊とは神風特攻隊のことで、戦争中に自爆攻撃を行う部隊です。
  • 特攻隊の存在を知ったことから、戦争体験者や日本兵の話を聞きたいです。
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戦争について(神風特攻隊?)

最近はじめて知ったことがあり、私の父方には戦争に行って戦死した方がいるそうです。 それを知ったのは、私が夜寝ていると夢の中に一人の兵隊さんと大きな鳥居が目の前にあり、兵隊さんが神社に進んで入っていくのを見送ってから夢が覚めて、それがあまりにも鮮明でリアルだったことから気になって両親に聞いたら、父方に兵隊さんがいると教えられ特攻隊だったとの話でした。 ただそのことは、父(父は70歳です)のお母さんでさえ話したがらなかったそうで、戦後生まれの父も詳しいことは聞けなかったそうです(特攻隊だったとの話は聞いたそうです) 祖母は既に他界しているので聞くこともできませんが、私の先祖に本当に特攻隊がいたなら、今のわたしでも何かできることないでしょうか?また、現在において戦争を体験した人の話を聞けたり、戦地にいた日本兵の話を聞けるところはありませんか? 些細なことでも構いませんので、批判などはなく宜しくお願い致します。

noname#248992
noname#248992
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質問者が選んだベストアンサー

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回答No.12

ぜひぜひ、靖国は大きな鳥居があります。私はそこがパッと浮かびました。あとお爺さんがロシア~シベリアから帰還されたそうで補足しますこちらも神風特攻隊以上に辛い部隊です。ガリガリになるまで拘束されて、有名な手記があります。ほぼ捕虜収容所で暮らして強制労働ロ公から いたぶられ、戦後命辛々逃げ帰った人達の部隊です。大叔父さんもお爺さんも凄い場所に派兵されていたことと思います。神風特攻隊や回天は片道の燃料しか積んでおらず、出兵は死を意味しました。なので、麻薬を売ってハイになり、躁状態で自分が爆弾となって、敵対を攻撃します。神風特攻隊はかなり優秀だったのと戦時の鉄不足でなかなか飛ぶ機体が少なくて無事に攻撃し戻ってこれた機体は数機だけです。回天は、それこそ、負けいくさで当たったのは数機だけです。生き延びてもハッチから出れないので、そのまま死にました。航空部隊もアメリカ軍のがB29圧倒的で雷雲の中を上手く操縦しながら敵機に爆撃を食らわせることが任務で最期は突っ込んで死ねが任命です。 うちは、陸軍、海軍でしたので空軍の事は分かりませんが、昨年、カミカゼに出陣式をしたかたのボイスレコーダーを聞きました。すごく優等生でハッキリ話されていて、覚悟を聞いたようでした。 うちの祖父も90代です。皆辛い思い出したくないとまたは突飛な話も出ますが、そんなのはほんの1部で皆が皆そうではありません。むしろ人間を試されることで、強烈な思い出として語られる方はたくさんいらっしゃいます。話せないのは、何かしら後ろめたいことをしたのでは無いかと思います。よく終戦日に特集がありますから、存命の方の話をきけます。

noname#248992
質問者

お礼

二度も回答していただきありがとうございます。 今日、靖国神社に行ってきました。 はじめて行ったのに夢で見たままの鳥居で、はじめて来たような感覚ではなかったのと、鳥居を潜ってすぐ自然に涙が溢れてきました…

その他の回答 (11)

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (811/3029)
回答No.11

戦没者遺族に対する支援は、戦後の軍解体時に厚生省に引き継がれ現厚労省の担当です。 先祖の足跡が知りたいとのことであれば、まず厚労省に問い合わせれば、所属部隊や戦死地がわかるかと思われます。 そこから先はWar Birds等戦史研究家の集うサイトに質問をすれば何かわかるかもしれません。

noname#248992
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10466/32908)
回答No.10

戦争、とりわけ戦場を経験している人にその話をしてくれというのは、3.11で津波を経験している人にその話をしてくれというのと同じ行為で、あのような悲劇が二度とないようにと話したがる人もいれば、思い出すのも嫌だという人もいるでしょう。 戦争の体験に、昔も今も特攻隊もそうじゃないものも関係ありません。いくつかの戦場体験記を読めば、戦争というのは人間の尊厳を奪う恐ろしい行為であるということが分かってきます。 手に入りやすい本として「ペリリュー・沖縄戦記」という本をお勧めします。 https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%BB%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6%E8%A8%98-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8/dp/4061598856 この本は、太平洋戦争の戦場の体験を、アメリカ海兵隊員の目から描いたものです。この本には凄まじい話しがいくつも出てきます。日本兵は、アメリカ兵の遺体のペニスを銃剣で切り落とし、それを本人の口に突っ込みました。それを見たアメリカ兵は復讐のため、日本兵に容赦はしませんでした。まだ息のある日本兵の口に銃剣をねじ込んで金歯をむしり取るアメリカ兵もいました。 近所にツタヤがあれば、そこに「レストレポ」というノンフィクション映画が置いてあるかもしれません。これもお勧めですよ。 https://www.uplink.co.jp/restrepo/ これはアフガニスタンに派遣されていたアメリカ兵に密着した映画ですが、まだ少年のようにあどけない表情を残す若者が、戦場のストレスで帰国後も不眠症になったとインタビューに答える場面があります。彼はまだ幼さが残る表情で笑いながらいうのです、「眠れないんだ。どんな薬を飲んでも眠れない。でも、眠ると戦場の悪夢を見るから、眠れなくていいんだ」と。 「永遠のゼロ」は国威発揚のために自称愛国者の作家が書いた作品なので、純粋に創作物と思ったほうがいいです。あれを見るなら「火垂るの墓」を見たほうがずっといいですよ。

noname#248992
質問者

お礼

3.11の津波を経験した人に聞くのと同じくらい…たしかにそうかもしれないし、それ以上のものかもしれませんよね。本は好きで読むので手に取りたいと思います。ありがとうございました。

  • Postizos
  • ベストアンサー率52% (1786/3423)
回答No.9

画家の池田龍雄という人が特攻隊の要員でしたが幸い出撃前に敗戦降伏となったので一生を得たそうです。今90歳です。 存命で展覧会などやってますし、会場にいるときに話を聴きたいと言えば話してくれると思います。 特攻隊なんで出撃してる人はだいたい死んでますから厳密に言えば特攻隊で生きてる人はいないってことになります。 池田龍雄も1928年生まれなんで敗戦当時はなんと17歳ですから高校生くらいの子に操縦を教えて攻撃をする予定だったのですね。間に合うわけもない計画です。 私の母は中島飛行機の工場に防空壕を掘りに行かされていたそうでわざわざ爆弾を落とされそうな所に生かされて自分が入るわけでもない穴を掘らされて思い出したくもないと言ってましたがまあ話はそういう風に聴いてもいます。 父は当時の国営企業で会社員をしていましたが、経済論文の内容がけしからんと軍に呼ばれ糾弾されたそうでずっと怒っていました。自民党員で天皇大好きだったんですけど。 父も母も既に鬼籍に入っております。

noname#248992
質問者

お礼

貴重な情報ありがとうございます! さっそく調べてみます!

  • r3350
  • ベストアンサー率50% (531/1061)
回答No.8

今年、終戦時16才であった方でも90才、主力であった方々は95才になります。そのため、現在お話を聞くことは困難になっています。 こちらに元隊員のお話や特攻隊に関する記事が掲載されています。 http://www.tokkotai.or.jp/transactions.html

noname#248992
質問者

お礼

90歳以上の方に戦争のことを聞くのは、それを思うだけでも酷な気もしますよね…。 貼り付けまでありがとうございました。

回答No.7

靖国に行かれては。 神風特攻隊は優秀な兵士でないと乗れないのです たぶん何かが共鳴したのかと思います。 鳥居:大きな鳥居の夢は、希望の大きさを示唆しています。鳥居の大きさが途方もなく大きい物であれば、あなたが神様にすがりたいほど切羽詰まっていて助けを求めているのか、願い事が大きいのかのどちらかです。 しっかりと状況を分析して進むことが大事です。 兵隊さん:兵士の夢は、あなたに生活習慣や食生活を改善するようにという警告夢です。 ここ最近、睡眠時間が足りなかったり、食生活が偏っていたりはしませんか?無理をしていたり、体によくないことをしてしまっているのかも。今のままでは体調を崩してしまいますよ、と警告しています。特に夢の中で兵士に怒られていた場合は、その意味合いがより強くなります。 一度、生活習慣や食生活の見直しを検討してみてもいいかもしれませんね。また、あなたが男性の場合は、もっとデキる男になりたいという願望が兵士の夢という形になった可能性もあります。 あなたは男性ですね。何かしらあるのかな。ウチの母方の祖父は、戦争の話めっちゃしましたよ。え?聞きたいかなら明日まで、話してやるか、ぐらい笑 銃弾を頭にかすめ受けて無事帰還したから、興奮気味に話します。 戦死された方のお墓はすごいですよ立派で馬に乗って鎧カブトを付けたお侍さんが墓標になってます。村のですが。戦死は名誉であったから、扱いも国葬です靖国に奉られています。何かしら、伝えたいメッセージがあるの、かな。

noname#248992
質問者

お礼

ありがとうございます。 戦死した方とは別に、私の祖父は中国~ロシア~シベリアを渡って帰ってきたそうです。 いずれにしても靖国…そうですね、行ってみます。

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6201/18498)
回答No.6

語り部の育成 https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2017/05/0526.html 博物館のようなものはいろいろとあります。 東京には靖国神社に併設の修悠館 ゼロ戦も展示されています。 江東区北砂 東京大空襲・戦災資料センター 広島 平和記念資料館 長崎 原爆資料館 鹿児島 知覧特攻平和会館 呉 大和ミュージアム。  江田島 旧海軍兵学校 教育参考館 特攻隊兵士の遺書 軍艦利根資料館      回天  

noname#248992
質問者

お礼

ありがとうございます。 広島原爆ドームなどは修学旅行で行って、涙なしでは見れませんでした。 語り部の育成というのがあるんですね、ありがとうございました。

回答No.5

私の祖父は陸軍軍人でガダルカナル島の生き残り その弟が特攻隊で戦死しています 特攻隊の事は知覧に行けばよく分かりますが 経験者はあまり語りたがらないので周りに元特攻隊の人が居て 話を聞こうとしても中々難しいかもですね 自分なりに調べて知識を蓄えておくだけでも無知よりは全然良いと思います

noname#248992
質問者

お礼

ありがとうございます。 因みに祖父は中国~ロシア~シベリアを渡って帰ってきたそうなんですけど、この戦争から帰ってこれたのはすごいことなんでしょうか?

  • hondaok
  • ベストアンサー率14% (1/7)
回答No.4

ん~~批判じゃないけどあんまり話を聞かん方がええぞ ウチの死んだ爺さんも特攻隊じゃないけど人が居ないから行けって命令で無理矢理任命されて飛ぶ直前で戦争が終わったって言ってたけど他所から嫁に来たウチの母さんや爺さんの子である父さんはそれを知らなかった この話も孫の俺が小学生の宿題で聞いてこいって言われたから話ただけでそれ以降は1度も自分から戦争に関して話さなかったので多分言いたくなかった事だと思うよ~それを無理に聞くのはちょっと如何な物か? 俺の武勇伝でなぁ~って意気揚々に語る様な老人なら良いかもしれんけど他人の嫌な記憶を掘り起こすのは正直お勧めしません ウチは墓参りの時に自分の家系の墓と一緒によくわからん人の墓にも花を捧げています 聞くところによると戦争関係で無くなった遠い親戚らしいですが墓がボロボロすぎて名前すら読み取れませんが私の家の住人はそのお墓にも毎年墓参りに行ってます(当然私も) そういう事をしてみてはいかがでしょうか? あと私の家には仏壇があります、私が子供の頃は白黒写真の謎の若い軍人?さんのややデカイ写真があってそれも一緒仏壇の所に置いてました 今でも正体は不明ですがひょっとしたらウチの家系の人間で戦争に行った人だったのかもしれません 何処かに写真とか残ってるならそうやって祈ってあげるのも良いと思います

noname#248992
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうですよね…テレビで観てても当時のことを話したがらない経験者はたくさんいますもんね。 自力でもできることはやってみようと思います。

  • okvaio
  • ベストアンサー率26% (1772/6776)
回答No.3

特攻隊の出撃の地であります、九州、鹿児島の知覧。 「知覧特攻平和館」には、零戦や、出撃前の親、兄弟への手紙など が展示されています。 これを見ると胸が苦しくなりますが、行ってみる価値はあるかと思います。 http://www.chiran-tokkou.jp/about/heiwakaikan/index.html https://www.youtube.com/watch?v=S_oNrbmS32w 1/4~4/4まであります。

noname#248992
質問者

お礼

関東に住んでるので知覧はかなり遠いですが、神風特攻隊とまで聞いたので知覧にいたんですよね…。 行き方など調べて行きたいと思います。 ありがとうございます。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.2

 その方は、陸軍だったのでしょうか海軍だったのでしょうか。一口に特攻隊と言っても、下記のように個別のもの、航空機によるもの、艦船全体など多種あります。  http://kamikaze.wiki.fc2.com/  また戦争最後の年、特攻隊の最年少だった方は現在90歳前後ですから、戦地で戦争を経験した方は、90歳以上ということになります。  日本の男性の寿命が80代半ばとされているので、かなり話の聞ける人の数は減っているでしょう。お近くの老人ホームを当たってご覧になるのも一案です。  その場合記憶の不確かで、事が事だけに、思い出せても話したくない、という方もおいでになるでしょうから十分なお気遣いが必要かと思います。

noname#248992
質問者

お礼

ありがとうございます。 体験してても話したがらない人…ましてや赤の他人に対して嫌がる方もいるでしょうね。 でも探してみます。

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