• 締切済み

日本人の大半に天皇家の血が流れている?

nagata2017の回答

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6175/18422)
回答No.12

人数の計算式は 比率計算ではなく ねずみ算のほうが合っています。 子の数は男女問わずです。子がそれぞれ異性の伴侶を得て子を成せば遺伝子を引き継いでいきます。 佐藤 加藤 斎藤・・・という名前は 佐賀に移り住んだ藤原の子孫 加賀に移り住んだ藤原 などで 全国に散らばっていったことを表しています。 天皇と直接 生殖行為をして生まれた子だけを天皇の子孫だというと思われているのでしょうか。 血が流れているというのは先祖をたどっていけばそこに行きつくという意味です。 そう言う意味で言うと世界の人類は アフリカで誕生した一人の祖先につながることになります。

noname#235676
質問者

お礼

再度の回答をありがとうございました。 >人数の計算式は 比率計算ではなく ねずみ算のほうが合っています。 天皇家・・・1人~3人~9人~27人~ 平民・・・・10000人~30000人~90000人~27000人~ ↑ これはネズミ算ではありませんか? もしちがうなら、ネズミ算で実際に計算するとどうなるでしょうか? >子の数は男女問わずです。 私が男性のみの例をしめしたのは、 子供ひとりの誕生につき、男女ひとりづつが必要で、それだと計算がややこしくなってしまうので、単に単純化して考えようとしたにすぎません。 1組のカップルが3人の子を持つと仮定してもいいです。 その場合でもねずみ産式に子供が増えます。 そしてその比率は平民も天皇家もだいたい同じくらいになるのではと仮定したわけです。 天皇家のほうが子供が増える割合が多いということになると また結果は違ってくるでしょう。 > 天皇と直接 生殖行為をして生まれた子だけを天皇の子孫だというと思われているのでしょうか。 いいえ、そのようなことは考えておりません。 先祖をたどっていくと天皇家にたどり着く人の割合を考えています。 ねずみ産式に天皇家の子孫は増えていきますが それと同時に平民の子孫もねずみ産式に増えていきます。 そして臣籍降下した人は現代では平民の扱いですが、古には貴族・華族などといわれる高い身分の人であり おいそれと平民との間に関係を結ばなかったのではないか、と私は仮定しています。 ただし、これはまちがいかもしれません。 平家の子孫でも時代がくだれば平民同様低い地位のものがでてくるでしょうか? 私の友人などは「高貴な人が身分の低い人と関係を結ぶことはあったのではないか」と言っています。 これは正しいか。またそういうことがあったとしたら、その頻度は? 頻度が高ければ、天皇家の血筋は一般平民にも伝えられている可能性があると結果が変わってきます。 >そう言う意味で言うと世界の人類は アフリカで誕生した一人の祖先につながることになります ↑これは同意します。 > 血が流れているというのは先祖をたどっていけばそこに行きつくという意味です。 日本人の平民の多くは天皇家から派生したのではありません。 (奈良時代、犯罪を犯した天皇家の血をひくものが非人や一般人の地位に貶められたという例はありますね。) アフリカの祖先があり、日本人の祖先があり、その中から天皇家や他の氏族、平民が生まれたと考えられます。 つまり、日本人の祖先は一人である可能性はあり 天皇家も平民も同じ祖先をもっている可能性はあります。 しかし、日本人の祖先は天皇家ではないということです。 記紀神話を読むと、アメノミナカヌシ~イザナギ・イザナミ~天照大神~ニニギ~略~神武とつながっていますが これは事実ではないでしょう。 日本人の祖先≠天皇家 ということです。 ですがいろいろ考える参考になりました。ありがとうございます。

noname#235676
質問者

補足

確かに藤原氏のなかで 佐藤、加藤、伊藤を名乗った家系も存在しますが 藤原氏とは無関係にこられの姓を名乗った家系も多数存在します。 特に明治以降、これらの姓を名乗った家系が。 ですから、「藤」の字がつくから藤原氏の子孫 だとは単純に決めつけることはできないと思いますよ。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1025178480?__ysp=6Jek5Y6f5rCP5Lul5aSWIOS9kOiXpA%3D%3Dより引用

関連するQ&A

  • 【天皇家は朝鮮人の血が濃いという嘘】

    【1】天皇家は百済系朝鮮人の血が濃いという話を聞きました。 具体的にどう濃いのかを調べてみたら、全然濃くなかったのです。逆に薄いくらいでした。 天皇家に入っている百済系の血は、たった一人だけです。 桓武天皇の母親が200年前に来た百済王族の末裔の帰化人(国籍は日本人)の「高野新笠」だけです。 200年前に帰化して、日本人と混血を繰り返した人物は朝鮮人でしょうか?日本人でしょうか? 例えば、自分の友人に江戸時代の1800年に日本に来た朝鮮人がいたと仮定します。 その朝鮮人の末裔は200年間も日本人と混血を繰り返しました。 そして、その末裔と職場・学校で知り合います。 その人は朝鮮人ですか?日本人ですか? 天皇家に血を分けた百済系帰化人は200年前に日本に来て混血を繰り返した「高野新笠」一人だけです。 それなのに、どうして世間では「天皇家は百済系の血が濃い」と言う俗説を言う人がいるのでしょうか? 【2】百済王族の末裔の帰化人の「高野新笠」は生きている間は皇后として認められていませんでした。(死後、皇后となる。) 200年前に帰化して混血を繰り返したのに、生きている間に皇后と認められなかったのは異例です。 これは、当時の帰化人の扱いの低さを物語っています。(実際、大和朝廷内での帰化人の扱いは低かった。) 当時の人々が「百済系帰化人の末裔などは国籍は日本人でも、皇后として認められない」という行動をとった証拠でしょう。 「高野新笠」の夫と息子は天皇です。 「高野新笠」が皇后と認められない理由は他に何かありますか? 【3】桓武天皇の父であり、「高野新笠」の夫である、白壁“王”(のちの光仁天皇)は、天皇を継ぐ立場ではありませんでした。 当時、天皇を継ぐ可能性がある者は“親王”を名乗ります。 “王”は一応、皇族ですが、天皇を継ぐ可能性は低いです。 白壁“王”はまさか天皇になるとは、夢にも思っておらず、また周囲も白壁“王”が天皇になるとは思っていなかったので、百済系帰化人の「高野新笠」との結婚を認めたのではないでしょうか? そして、天武系皇族が度重なる粛清で途絶えたために、天智系の白壁王が62歳という高齢で天皇になった。 仕方なく、(血の問題で)天智系の白壁王を天皇になったとしても、百済系帰化人の「高野新笠」を皇后として認めるわけにはいかない。 当時の人々はそう考えて、「高野新笠」を皇后として認めなかったのではないでしょうか? 【4】「百済が滅亡した時に、大和朝廷は多数の百済系王族を帰化人として受け入れたから、天皇家は百済系の血が濃いのだ」と言う人がいます。 果たしてそうでしょうか? 百済系帰化人は最初は一応、それなりの地位(貴族など)を与えられましたが、百済系帰化人はすぐに人民に降下しました。 大和朝廷が百済系帰化人に関東に土地を与えて移民させた話などが残っています。 当時の大和朝廷には、資金的な余裕もなく、例え貴族でも天皇から血が離れていけば臣籍降下します。 具体的には、在原業平などがそうです。 在原業平の父は平城天皇第一皇子の阿保親王。母の伊都内親王は桓武天皇の皇女です。 在原業平は平城・桓武天皇の孫にあたります。 祖父が天皇でも臣籍降下するのに、百済系帰化人がいつまでも貴族でいたというのは間違いです。 従って、「百済が滅亡した時に、大和朝廷は多数の百済系王族を帰化人として受け入れたから、天皇家は百済系の血が濃いのだ」というのは間違いでしょう。 具体的に天皇家に血を分けたのは「高野新笠」一人だけですので。 いかがでしょうか? 【5】天皇家がどこから来たのかは諸説あり謎です。 元々、大和に住んでいた者なのか?九州から来たのか?中国から来たのか?朝鮮半島から来たのか? (私は九州から来たと思っています。) 中国歴史書に書いてあるのは、「百済は支配層と民衆の言語が違う」、「百済の住民の多くが漢人や倭人」、「倭人が頗る多い」 (百済王族は最初は扶余姓を名乗り、しばらくしてから“余”と1文字に略した。余豊璋など。) 従って、天皇家は朝鮮半島から来たと断定するのは不可能です。

  • 「天皇家は百済系の血が濃い」という俗説・「高野新笠」が皇后として認められなかった理由

    1、天皇家は百済系の血が濃いという話を聞いたことがあります。 具体的にどう濃いのかを調べてみたら、全然濃くなかったのです。逆に薄いくらいでした。 天皇家に入っている百済系の血は、たった一人だけです。 桓武天皇の母親が百済王族の末裔の帰化人(国籍は日本人)の「高野新笠」だけです。 具体的に人物を調べてみると、天皇家に血を分けた百済系帰化人は「高野新笠」一人だけでした。 それなのに、どうして世間では「天皇家は百済系の血が濃い」と言う俗説を言う人がいるのでしょうか? 2、百済王族の末裔の帰化人の「高野新笠」は生きている間は皇后として認められていませんでした。(死後、皇后となる。) 生きている間に皇后と認められなかったのは異例です。 これは、当時の帰化人の扱いの低さを物語っています。(実際、大和朝廷内での帰化人の扱いは低かった。) 当時の人々が「百済系帰化人の末裔などは国籍は日本人でも、皇后として認められない」という行動をとった証拠でしょう。 「高野新笠」の夫と息子は天皇です。 「高野新笠」が皇后と認められない理由は他に何かありますか? 3、桓武天皇の父であり、「高野新笠」の夫である、白壁“王”(のちの光仁天皇)は、天皇を継ぐ立場ではありませんでした。 当時、天皇を継ぐ可能性がある者は“親王”を名乗ります。 “王”は一応、皇族ですが、天皇を継ぐ可能性は低いです。 白壁“王”はまさか天皇になるとは、夢にも思っておらず、また周囲も白壁“王”が天皇になるとは思っていなかったので、百済系帰化人の「高野新笠」との結婚を認めたのではないでしょうか? そして、天武系皇族が度重なる粛清で途絶えたために、天智系の白壁王が62歳という高齢で天皇になった。 仕方なく、(血の問題で)天智系の白壁王を天皇になったとしても、百済系帰化人の「高野新笠」を皇后として認めるわけにはいかない。 当時の人々はそう考えて、「高野新笠」を皇后として認めなかったのではないでしょうか? 4、「百済が滅亡した時に、大和朝廷は多数の百済系王族を帰化人として受け入れたから、天皇家は百済系の血が濃いのだ」と言う人がいます。 果たしてそうでしょうか? 百済系帰化人は最初は一応、それなりの地位(貴族など)を与えられましたが、百済系帰化人はすぐに人民に降下しました。 大和朝廷が百済系帰化人に関東に土地を与えて移民させた話などが残っています。 当時の大和朝廷には、資金的な余裕もなく、例え貴族でも天皇から血が離れていけば臣籍降下します。 具体的には、在原業平などがそうです。 在原業平の父は平城天皇第一皇子の阿保親王。母の伊都内親王は桓武天皇の皇女です。 在原業平は平城・桓武天皇の孫にあたります。 祖父が天皇でも臣籍降下するのに、百済系帰化人がいつまでも貴族でいたというのは間違いです。 従って、「百済が滅亡した時に、大和朝廷は多数の百済系王族を帰化人として受け入れたから、天皇家は百済系の血が濃いのだ」というのは間違いでしょう。 具体的に天皇家に血を分けたのは「高野新笠」一人だけですので。 いかがでしょうか? 5、天皇家がどこから来たのかは諸説あり謎です。 元々、大和に住んでいた者なのか?九州から来たのか?中国から来たのか?朝鮮半島から来たのか? (私は九州から来たと思っています。) 中国歴史書に書いてあるのは、「百済は支配層と民衆の言語が違う」、「百済の住民の多くが漢人や倭人」、「倭人が頗る多い」 (百済王族は最初は扶余姓を名乗り、しばらくしてから“余”と1文字に略した。余豊璋など。) 例えば、朝鮮半島の百済の王族(扶余族=騎馬民族)が日本を支配したとしたら、それは騎馬民族征服説になります。 (扶余族は、中国三国時代に満州に住んでいた民族で、万里の長城より北、南は高句麗に、東は挹婁に、西は鮮卑接する範囲に住んでいた。) 私は騎馬民族征服説などと言うトンデモ説は信じていません。 ここで天皇家は朝鮮半島から来た=騎馬民族征服説を論ずるのはやめておきましょう。 ※「騎馬民族征服説は正しいから天皇家は百済系の血が濃いのだ」という理由なら、申し訳ないですが回答はご遠慮して下さい。

  • 近親婚について

    噂で聞いた事があるんですけど・・・ 日本の天皇家は、兄弟、従姉妹などと近親婚していったと言うのは本当なのでしょうか? 血が濃いと遺伝子疾患が多いはず。皇族には多いのでしょうか?

  • 日本の近親婚、その問題

    日本の近親婚及び、そのことが心身ともにどのような問題が起きるのでしょうか。 日本の地方では身内婚、近親婚が未だに存在しますか? 実際、地方出身者のそうした方々の話を耳にしました。 私自身、ある島に住んだ経験があるのですが 人生の大半を都内の中心地で過ごしてきた私にとっては驚く経験が多々ありました。 その田舎の人々は人様の悪口、噂、自慢話の程度の低さ、男女間の不倫等も多く 他にはいろいろな意味で非常識な出来事は沢山ありました。 ここの人々は知能が低いのでは。。 本当にそう思いました。 その狭い島の中で、結婚相手を見つけ子供を作り、また結婚するのだから かなり似た人々が何世代にもわたり、子孫を残しているのだと理解しました。 はじめはそのようなことを考えてもいなかったのですが 長く住むことにより、おかしいと気が付くことが増えていきました。 表向きはにこやかであっても、外面重視の人々なので他の地域から来た人には中々 分からないと思いますが、私は長くそこへいたので気が付いてしまいました。 その話を知人としていたところ、親同士が従妹で結婚や身内で結婚等 している家庭の子供に知的障害が出ていることや、メンタルの問題もあることを知りました。 海外の近親相姦家族の事件がありますが英語の記事の中には 非常に多くの記載があり、肉体的に目に見えての障害や知的障害について詳細に書かれていました。 日本は従妹婚が可能であるとのことですが、そうした結婚の結果 どういうことが起きるのかは、あまり聞くことがなかったように思います。 そのような結婚において、具体的にどのような問題が出るのか書かれている研究結果はありますか、またそのような地域は未だ存在するのでしょうか? また身体的な障害と精神的な障害と、どちらが明らかに出てくるものなのか 知りたいです。

  • (日本、インド、西欧)階級制度を維持した方法は?

    ――日本とインドには西欧に匹敵した階級制度があった。―― こういう記述に出合いました。これで見ると、三つの地域の身分制度は甲乙付けがたく厳格だったようです。身分の階級付けといっても、市民が自然発生的に崇敬の念や差別意識をもつだけで権力の裏づけのない場合と、権力の名の下に格付けするのとでは大きな違いがあります。この観点でお聞きします。 知りたいことを列記しますが、ご回答の形式は項目別であろうとなかろうとお任せします。この方面に特別な関心が有る訳ではありません。誰でも知っておいて悪くない程度の知識で十分です。 1 江戸時代には士、農、工、商などの6つの身分は町村役場と寺院で二重に記録し管理していたと思います。言わば階級の国家権力による維持です。それでよいですか。 2 明治になっても華族、士族、平民の言葉があったと思います。これは役所が戸籍簿の上で公的に記録していたのですか、それとも文書としての記録はなかったのですか。 3 インドのカースト制度が除々に崩れていかない、あるいは崩れつつあるにしても緩慢過ぎるのが不思議です。今日では職業の世襲など社会の根強い因習のみによって維持されているのだと想像しますが、いけませんか。そうではなく、ヒンドゥー教徒の場合、寺院が戸籍に記載し管理しているなど何らかの強制力が作用しているのですか。 この制度を嫌う者は改宗出来ることと、この制度を憲法が全面否定しているのは承知しています。また、階級制度が一度完成すると被差別階級であっても一定の自治や互助の仕組み、既得権などが発生して、今日明日の短期で言えば暮らし易くなる面があるらしいことも薄々承知しています。 4 イギリスを例にとります。今日でも貴族へ取り立てられる人が時々現れるそうです。これを発議、審議、議決、承認する仕組みはどのようなものですか。国家が法律として定めた手順があるのですか。それとも貴族達の任意団体みたいなものが私的機関として取り仕切っているのですか。 よろしくお願いします。

  • 止めるべきでしょうか…

    真剣に悩んでいます。 私自身は当事者ではないのですが、ご意見頂ければ幸いです。 知人にいとこ同士での結婚を考えている方がいます。 父方なのか母方なのか、詳しい事情は今のところ(私が)分かっていないのですが、止めるべきなのか悩んでいます。 何故、他人の私が悩む必要があるのか、それは私の親戚にいとこ同士で結婚をして、生まれた子供全員(二人)が耳が聴こえないという事実があるからです。 本人たち(その子供たちの両親)は、認めていないようなのです。(血が濃くて障害が出来てしまったことを) 私も、『血が濃いから』などと勝手に決め付けるのは良くないと思いますし、干渉もしていません。 しかしこのようなケースをしっている限り、何も言わずに祝福することは私自身、困難だと感じました。何より、本人たちは良くても子供を望む以上、伴うリスクがあります。 日本では『いとこ婚』が許可されていますが、世界では禁止の国が多々あると調べて知りました。禁止されている国がある以上、あまり良いものではないのですよね? 「天皇家は近親婚」なんて言葉も聞きますが、美智子妃を迎えた理由が「血の濃さ」を止める為でしょうし… また、いとこ婚で生まれた私の親戚(上記の耳が聴こえない方です)は、「どんなに愛し合っていようが被害者は子供だから…」と仰ります。 人を愛する気持ちに他人が干渉していい筈がありません。 しかし、真剣に悩んでいます。一言でも、知人に「このようなケース」があると伝えた方が良いのでしょうか? 勿論、お互い話し合った結果だとは思いますが…。知人の親戚には障害を持つ方がいるようです。 気ばかりが焦ってしまい、何だかおかしな文体になってしまい、申し訳ありません。ご意見お聞かせ下さい。

  • 邪馬台国近畿説での疑問

    近畿説の方は以下の疑問に対しどのような回答を出されているのでしょうか? 魏志倭人伝ベースの話です。 1;帯方軍から一支国まで一万二百里、邪馬台(一)国まで、一万二千里となっています。 2;対馬・壱岐・北九州に代官置いていたとありますが、近畿から安全に行き来出来たのか? 3;日本でしか発掘されない?銅鐸に関して記載ない。 4;出雲/吉備の記載がない。 5;記紀に記載がない。 6;大小(大人/子供or偉いさん・平平?)顔身体に入墨している。他漁労民の風習が書かれている。 7;古事記では顔に入れ墨した人に虐められ、天皇になってから仕返ししたとあり、顔の入れ墨が通常でなかったと思われる。 8;魏志倭人伝ではいずれの版本でも邪馬一国となっているはずなのに、近畿・九州説の大半の本では台国に代えてあります。非常に作為的と思われます。

  • 庶民の血を引く天皇

    記録上庶民の血を引く天皇って今上天皇が初めてでしょうか? 他に居たら教えて下さい

  • 日本に天皇制は

    この質問、不快に感じた方 回答はご遠慮ください 日本に 天皇制は どうでしょうか? 私は必要 いると思います

  • 近親相姦は何故駄目か

    近親相姦は何故心の内で嫌悪されるばかりか「そんなことあっては駄目」と存在自体拒絶、否定される傾向が強いのでしょうか? (地域限定するならば日本と欧米などでしょうか) 例えば同じ少数派として同性愛なるものがありますが。 こちらは嫌悪する人がいるにしても否定的な声をあげようものなら「本人たちが幸せなら良いじゃないか」と批判されます。海外では同性婚を認めていたり。 愛し合うのに性別が関係ないなら年齢も立場も関係無いと思うのですが。実際問題は困難があるにしても、それを乗り越えるかどうかとかは本人たちの自由なのでは。その本人たちの意見を否定し「正しいのは血の繋がりの無い(異性)愛なんだ」と説明、教育、されたらどうなんだろうという。 「道徳的にちょっと…」という話もありますが、何が善で何が悪なのでしょうか。 同性愛は子供が作れません。 近親相姦も奇形児などの危険性があるので作れないのでしょうが。 人間にとって性行為=子作りってわけではないので。 しかし、 子作り目的でなくとも避妊していても、続けてればいつか…な危険性があるから。だから危険な可能性は排除するべき…ってことでしょうか? でも血の繋がりの無い異性愛でだって正常な子供が絶対産まれるとは限らないし。特に女性の年齢が上がれば危険性がグンと上がってくるわけですから。危険な可能性は排除、ということなら年齢が上がるにつれどんな関係でも異性間の性行為は排除するべきなのでしょうか。 それとも、血縁者同士と非血縁者同士の子供についての危険性はそれぞれ質や内容が違うのでしょうか。 年齢関係無い確率の多さってことでしょうか? と色々疑問があります。 ただ、自身の勉強不足からこんな考えになったのかなということもありますので、近親相姦が何故駄目なのか否定されるのか道徳的に駄目なのかなど、理由お願いします。 「正常な子供が産まれないから」という意見については性行為=子作りではないという点と、血縁者同士非血縁者同士のそれぞれの子供の危険性の差?確率?について説明してくださると幸いです。 はてなが多くてすみません。 自分の考え等もあれば宜しくお願いします。