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地球環境と人類
人類というのは、野生の中で生きていくには、あまりにも弱かった。だから、「種」として、生き延びるために「脳」を発達させたという側面があったのではないかと……そのような解説をおぼろげながら読んだ記憶があります。 生き延びるために、「生き延びるための機能」を発達させるのは当然のことだと思いますが、今の人類は他の生きものの棲み家であるばかりでなく、人類自らの棲み家である地球をぶちこわしています。 人類は愚かな生き物だと思う人にお伺いします。人類の「愚かさ」の根源は何でしょうか??? 反論でも構いません。
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人類が地球を壊さす…この考え方こそ奢りだと感じます。 地球は温暖化しようが寒冷化しようが関係ないのです。 そんな程度の変動は何度も繰り返してる…。 その度に生物は淘汰されて進化して来たわけです。 人が守りたい環境と言うのは単に人間に取って快適な環境に過ぎない。 確かに変化が人為的かつ急激であると言うのはあるのでそれを抑える努力は当然必要とはなりますが…それとて人間の為なのです。 人間の力で地球環境が変えられるって事自体が奢りだと感じます。 人為的であれ自然であれ環境の変化に対応できない物は絶滅するだけです。 そうやって淘汰が働く訳です。 イナゴだって大量に発生すると群れをなして植物という植物を全て食い尽くす…。 これも環境破壊です。 これが要因で砂漠化してしまった場所もあります。 やがて食うものが尽きてしまえば個体数を減らす。 これが自然のバランスです。 人類も増えすぎて自分たちが生きる環境を破壊してしまえば個体数を減らし調整が取られる。 当然人が生きていけない環境までに変化すれば絶滅してしまうでしょう。 しかしその環境下でも生き延びる種はいます。 彼らが人類無き後の生態系を築き上げるのです。
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- koncha108
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今の人類の繁栄は単に脳を働かせただけでなく、ほぼ同じ能力を持ちながら絶滅してしまったネアンデルタール人と違って部族を越えた大きな集団を作れる特性があって、結果的に大きな支配力を持つとともにそれまでに発見し作り上げてきた技や知識をひろく継承発展させていくことができたからだと大ヒットした「サピエンス全史」には書いてありますね。 人類が愚かどうかと言うには何かと比べないといけないのですが、客観的に比べるものがない以上賢いとも愚かとも言えないと思います。今の人類と比べてもっと賢くなれるはずだと言う議論はあったとしても。 現在地球規模の問題が環境、資源、人口爆発などたくさん起こっています。人類が地球を限られた生息の場として感じられるほど拡大・発展した結果だと思います。地球規模で環境、資源を消費することはできても再生させることも消費をやめることもできる能力が備わっていないと言うことじゃないでしょうか。人類の個人個人の能力と言うよりは人類の特性として出来上がった巨大組織として。 長い地球の歴史からすればここ100年くらいで急激に発生した問題で、ほんの一瞬の出来事に過ぎないですが、地球の資源が限られている以上今の人口と生活水準を維持したまま問題を解決できると考えるのは楽観的かも知れないですね。
お礼
ありがとうございました。 今の人類の繁栄は単に脳を働かせただけでなく、~~には書いてありますね。……そうですか。 人類が愚かどうかと言うには何かと比べないといけないのですが、客観的に比べるものがない以上賢いとも愚かとも言えないと思います。今の人類と比べてもっと賢くなれるはずだと言う議論はあったとしても。……質問の趣旨をはぐらかされたようです。しかし、あえて印象を述べると、賢いか愚かかというのは「何かと比べないといけない」のですか???私は、一例として、「地球環境と人類」を挙げましたが、「将来の人類は賢いはずだ」からとか、「客観的に比べるものがない」からとか、単純に何かと比較しないと「自分や自分の置かれている立場」というものが見いだせないとすれば、それこそ、「人類の愚かさ」というものじゃないでしょうか???それと、「比較するものがない」ということに胡座をかいている、そのことが、「愚かさの根源」になっているのではないかと。そのくせ、人間同士では、「比較」が根本になっている、そしてそのことが、「愚かさ」を増幅させている、という気が、ご回答を読ませていただいているうちに感じてきました。 私は、「人類というのは、何かと比較しなければ自分を見いだせないほど、そんなに愚かではない。」と考えています。むしろ、「分かってはいるけど」ということのほうが大きいのではないかと。それじゃ他に何があるの???そのことについて、いろいろな人のお考えを知りたかったのです。 人類の「愚かさ」の根源は何でしょうか???それを質問しました。ご回答は、その答を少し示唆してくれたように思います。
- stmim
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すごく思考の枠が単純化されていると思います。 「賢いか愚かしか二択しかない」ということはないですよね。 賢さのレベルがいろいろな段階がありますよね。 メダカより犬の方が賢いですよね。犬より人間の方が賢い。 ある一つの基準「環境を配慮せずに活動してしまう」を満たせないと、それは「愚か」になってしまうというのは変だと思います。 生物は環境なんか考えていません。山の鹿は増えすぎて山の植物を食べ過ぎて集団で餓死してしまうことが起きます。鹿は自ら「増えすぎないようにしよう」とか「食料を食べ過ぎないようにしよう」とかは考えません。その基準で考えると人間以外の生物もみな愚かです。 人間は地球環境を変えるほどのパワーがあります。でも他の生物にはそれほどのパワーはありません。だから、他の生物は環境破壊ができないのです。 それから環境破壊の定義をどう考えるかという問題があります。都市をつくったら、それは環境破壊なのか?しかし、都市は便利です。森や林のままでは不便です。地球全体の環境が人間の生存に適さないものに変わらない限り、都市の存在自体は問題ないと自分は思います。 地球全体の環境破壊について考えると、個人の利益と全体の利益という問題がでてきます。個人のレベルで、自己の利益を追求するなら環境破壊の方向に進みます。全体の利益を考えて自己の利益を抑制するというのは難しい。自国の工業を盛んにして豊かになりたい。でも同時にそれは地球全体としては環境悪化の方に進むことでもある。個人、あるいは単独の国としては賢い選択でも、全体でみたら愚かな選択ということになる。 それから、また、人間は全体のことも考えるという賢さもあります。日常的にはエコ商品が高くても環境にいいならということで買いますよね。大きなレベルでも環境サミットを開いて、地球全体のことを考えようとする動きはある。そこに注目すれば、十分に賢いとは言えます。ただ、個人、自国の利益と、全体の利益のバランスの問題があって、なかなか環境のために自国の経済活動を抑制できないということだと思います。
お礼
ありがとうございました。 すごく思考の枠が単純化されていると思います。……単純化した方が、私の意図が伝わりやすいと考えました。 「賢いか愚かしか二択しかない」ということはないですよね。……メダカやイヌを人間と比較してどうのこうという質問ではありません。ましてや、「メダカより犬の方が賢い」なんて問題でもありません。 ある一つの基準「環境を配慮せずに活動してしまう」を満たせないと、それは「愚か」になってしまうというのは変だと思います。……私の質問の意図を理解していないと思います。おっしゃるとおりいろいろな基準があると思いますが、私は、「環境」に目を当てただけです。そのことを理解してもらわないと、議論が散漫になってしまいます。何で「哲学」カテで質問したのかを考えながら回答して欲しかったです。 人類の「愚かさ」の根源は何でしょうか???ということです。 生物は環境なんか考えていません。……そうでしょうか???確かに、人間以外の生き物は、「考えることよりも本能で」という側面が大きく作用するとは思いますが、それでも、自分の棲んでいる環境を良くしよう考えていない、と言い切れますか???分からないことの方が多いと思います。それとそもそも「考える」ということはどういうことでしょうか???、それが出来るのが「人間だ」ということがあるからこその質問だということです。質問は他の生き物との比較ではありません。 その基準で考えると人間以外の生物もみな愚かです。……私の質問の趣旨を全く理解していません。あえて「哲学」カテで質問した意味を考えて下さい。
お礼
ありがとうございました。 地球は温暖化しようが寒冷化しようが関係ないのです。……???何に関係ないのでしょうか???むしろ質問とは全く関係しません。 そんな程度の変動は何度も繰り返してる…。……トランプ大統領の言うように、「地球温暖化なんてデッチあげだ。」というわけですね。「地球史的スパン」からすれば、大きな変動というか、それこそ、全球凍結だとか、全生物の90%以上が絶滅するように変動があったことは承知しています。常識です。しかも、そのことが、科学者も含めて地球環境問題の「言い訳」として利用されています。それに、現在の環境問題を、「地球史的スパン」の変動を持ち出して、しかも「運命論」にすり替えるなんていうのは、それこそ「奢り」を通り越して「傲慢」の域に到達しているように感じます。しかし、質問はこんなことではなくて、子の「奢り」や「傲慢」の根源は何でしょうか???ということなのです。 人が守りたい環境と言うのは~~それとて人間の為なのです。……もう一度読み返して下さい。この一文にこそ、人類の「奢り」があるのではないでしょうか??? 人が守りたい環境と言うのは単に人間に取って快適な環境に過ぎない。……これこそか「奢り」じゃないでしょうか。逆に考えて欲しいのですが、それじゃ、「生物多様性」ということが何故問題になるのでしょうか???ということです。寧ろ、私は、「地球温暖化」や「核や原子力」、そして身近な「ゴミなどの廃棄物」などなどすべての環境問題が、「生物多様性」に収斂されるということを理解しないと、「環境問題」の真の姿は見えてこないのではないか???と素人ながらに考えています。 それに「運命論」を持ち出すのであれば、50億年後には、地球は太陽に包まれてしまうし、確か、17億年後には、地球上のすべての生物は死滅してしまいます。だから「どうでもいいじゃねえか」といっているように聞こえるのです。もしそうだとすれば、それこそ「愚か」というものじゃないでしょうか??? 確かに変化が人為的かつ急激であると言うのはあるので……最後に一言。「急激である」のではなくて、「急激すぎる」という認識を持たないと、「環境問題」は理解できないのではないかと、約70年、人間として暮らしてきた中で、最近の気象現象などから、そういう印象を持つようになりました。