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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:英文の邦訳の添削)

PolanyiとVeblenの二重運動についての試訳の悩み

このQ&Aのポイント
  • PolanyiとVeblenの二重運動は異なるアプローチを持っています。
  • Polanyiの二重運動では、市場化に向けた政治的な推進力が制度の圧力で歪みます。
  • 一方、Veblenの二重運動では、市場化に向けた進化的な推進力が社会を守る制度の圧力で歪みます。

質問者が選んだベストアンサー

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  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10021/12543)
回答No.4

再々度の「補足コメント」を拝見しました。 >御指摘の最後の「その制度」というのは「市場制度」と解釈して宜しいでしょうか? ⇒はい、まさにそのとおりです。 >そして,もしそうであれば,国家・制度がその鋳型に市場を押し込む場合でも市場化の推進力は〔抑止されつつも〕止まないという解釈は可能になるでしょうか? ⇒それは(主観的には)何とも断言しにくいように思います。 市場化に向けた推進が人為的・政治的になされる場合、その推進力は短期的で長期継続しにくい、瞬発力はあるが持久力がない、その市場化の動機は、動因であって誘因が伴うとは限らないからです。 したがって、推進を止めないためには、時代の社会的要請、すなわち誘因の存在を読み取って、「機を見て敏に」立案し、実施するのでなければ、社会からの抵抗は強いでしょう。少なくとも、「推進力が自動的に止まずに続くような状況は考えにくい」と思います。 これに対し、社会の変化によって市場化が要請されるような場合は、その推進力は長期的で、瞬発力はないが持久力があって、市場化の推進力は止むことなくジワジワと続くことになるものと推測されます。

jubu
質問者

お礼

有難う存じます。

jubu
質問者

補足

ご丁寧な解説を賜り,どうも有難う御座いました。最後の御指摘を以て解釈致したく存じます。有難う御座いました。

その他の回答 (3)

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10021/12543)
回答No.3

再度の「補足コメント」を拝見しました。 >Veblenの場合,市場化は止められない,歪められない動きで,その動きに応じて国家制度などが変えられる,というのが,その思考の根底にあります。従いまして,訳そのものが,何とか,それに準じた内容に文法的に解釈できないか,という質問になります。 ⇒まず、この範囲の文章から、「Veblenの場合,市場化は止められない,歪められない動きで,その動きに応じて国家制度などが変えられる」ことに結びつけられるような訳文は不可能と思います。(もっと先へ行ってから言及・敷衍されるかも知れませんが。) ただし、救いは、一つには、本文中にそれを否定するような筆法はないということであり、もう一つにはダッシュの後で、抗い難い社会変化の圧力が暗示されていることです。 なお、社会と市場の関係は、後者が前者に含まれるという意味で、いわば全体と部分の関係ですね。したがって、全体(社会)の変化や要請が徐々になりと部分(市場)に波及していってその制度の変更を迫るという(Veblen説の)構図は理解に難くありません。

jubu
質問者

お礼

以上,甚だ恐縮では御座いますが,宜しくお願い申し上げます。

jubu
質問者

補足

貴重な御指摘を頂戴致し、感謝申しあげます。御指摘の最後の「その制度」というのは「市場制度」と解釈して宜しいでしょうか?そして,もしそうであれば,国家・制度がその鋳型に市場を押し込む場合でも市場化の推進力は〔抑止されつつも〕止まないという解釈は可能になるでしょうか?再三御手数をお掛け致し,恐縮ですが,ご指導下さいますよう,お願い致します。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10021/12543)
回答No.2

「補足コメント」を拝見しました。 >圧力を受けて歪むのが「市場化」である点では双方共に同じです。 ⇒そうですね。まあ、こだわって細かく言えば、圧力を受けて歪む(または「曲がる」、あるいは「抑制される」)のは「市場化に向かう推進力」ということになりますか。それはともかく、確かに、この点では双方に共通ですね。 >その場合,Polanyiの場合には,社会が優位に立って,市場化をただす,抑制する、という意味で上手く理解できるのですが,Veblenの場合には,「社会から市場を守る制度」,すなわち守られるべき市場が歪められるという趣旨に違和感を覚えた次第です。この点,どのように理解すればよろしいでしょうか。 ⇒この点をめぐる私の理解はこうです。 (特に、「市場化の推進・抑制をめぐる両者の対照点」に注目します。) *Polanyiの二重運動では,市場化に向けた政治的推進力が,最終的には市場から社会を守る制度の圧力の下で歪む。 →政治的に、すなわち、人為的に市場化を推進しようとしても、社会の制度や慣習によってその変革の受け入れを抑制する力が働いて市場化がスムーズに進まない。 *Veblenの二重運動では,もっぱらDarwin的な市場化に関する進化の推進力が、社会から市場を守る制度の圧力を受けて歪む。 →人間のもろもろの営みを内包する社会は自然淘汰の作用によって漸次変化するが、その進化に対して旧来の市場を温存しようとする力が働いて市場化がスムーズに進まない。 なお、原文の私訳を添付します。 「Polanyiの二重運動では、市場化に向けた政治的推進力が、最終的には市場から社会を守る制度の圧力の下で歪む。対照的に、Veblenの二重運動では、もっぱらDarwin的な市場化に関する進化の推進力が、社会から市場を守る制度の圧力を受けて歪む――その社会は、現実に既存する人間的制約と特異性からなる総体を指すものと広く理解されている」。

jubu
質問者

お礼

以上,ご面倒をお掛け致しますが,宜しくお願い致します。

jubu
質問者

補足

ご教示有難う存じます。ただ,未だ納得がいきません。Veblenの場合,市場化は止められない,歪められない動きで,その動きに応じて国家制度などが変えられる,というのが,その思考の根底にあります。従いまして,訳そのものが,何とか,それに準じた内容に文法的に解釈できないか,という質問になります。尚ご一考賜り,ご指導頂ければ幸いです。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10021/12543)
回答No.1

確かに、一見見落としやすいですが、 *Polanyiの二重運動では,市場化の推進力が, →「市場から社会を守る制度」の圧力で歪む。 *Veblenの二重運動では, →「社会から市場を守る制度」の圧力を受けて歪む。 という点で、つまり、「市場 ⇄ 社会というベクトルが向き違っている」という意味で対照的なのだと思います。

jubu
質問者

お礼

上記の点,宜しくお願い致します。

jubu
質問者

補足

御指摘有難う御座います。実は私も御指摘の点は承知致しておりましたが,圧力を受けて歪むのが「市場化」である点では双方共に同じです。その場合,Polanyiの場合には,社会が優位に立って,市場化をただす,抑制する、という意味で上手く理解できるのですが,Veblenの場合には,「社会から市場を守る制度」,すなわち守られるべき市場が歪められるという趣旨に違和感を覚えた次第です。この点,どのように理解すればよろしいでしょうか。ご意見を披露賜りますよう,尚お願い申し上げます。

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