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日本の建築が長く残らないのを悔しがること

koncha108の回答

  • koncha108
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回答No.7

私は元々は日本の歴史的建造物のほとんどが消失したり崩壊したる知って作り直されて来たことを残念に思っていましたが今では全くそうは思わなくなりました。それを残念に思っていたら伊勢神宮の式年遷宮などあり得ないですね。20年に一度壊しては引っ越しちゃうのですから。むしろそう言うことを1300年もやり続けて来た人々の営みと思い、記録こそ価値があるんじゃないかと思います。建造物や歴史を古さ、大きさ、壮大さで比べたら日本は4大文明には到底かないません。奈良時代の建造物がそのまま手付かずで残っていたとしても年数ではピラミッド、パルテノン神殿、ローマのコロッセオなどに逆立ちしても太刀打ちできません。そもそも張り合うものでも無いと思います。一方日本の歴史の特殊性は千数百年もの間、天皇を頂点とした連続性のある民族による歴史が紡がれて来て国体と記録が残っていることと思います。こんな国は世界のどこを見渡しても他にはありません。エジプトは現在のエジプト人はピラミッドを作った古代エジプト人とは違う民族が占めています。自分たちと関係のない民族が作った廃墟を眺めているとも言えます。中国は異民族も含めた侵略と破壊、帝国の滅亡、勃興の歴史です。仕上げと言うわけじゃ無いですが中国共産党の文化大革命によって、歴史的な産物が片っ端から否定、破壊されました。 日本は大昔からの歴史が繋がっていて、だからこそ建造物が大事に修繕、補修されいまだに使われているものも大いのだと思います。 そう考えると。そう考えると、歴史と魂を残していくのに、維持しやすい木造でむしろ良かったと言うことも言えると思います。

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