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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:アメリカの石油全面禁輸を開戦理由とする根拠とは?)

アメリカ石油禁輸:開戦の根拠とは?

D-Gabachoの回答

  • D-Gabacho
  • ベストアンサー率62% (950/1522)
回答No.3

開戦に至った大きな理由が陸軍の面子にあるというのは、たいへんよくわかるのですが、質問者さまのお話から受けた印象では、陸軍だけでなく海軍の面子も同じくらい大きな理由になっているのではないかという気がします。海軍が戦えないというなら妥協しようと陸軍がいってるのに、海軍は「そんなことがいえるか」と対米戦争に賛成してるわけですから。日米開戦となったとき主に矢面に立つのは、どちらかといえば陸軍よりも海軍なわけですから、最終的に海軍の判断に委ねようという陸軍の姿勢は当然で、そこで海軍が開戦不可という判断をしなかったというのは、かなり大きいと思います。

soramimiclub
質問者

お礼

回答ありがとうございました!!

soramimiclub
質問者

補足

仰る通り、海軍の「面子」も当然あります。 例えば海軍が三国同盟に反対だった事(最終的には消極的な賛成)にも現れている様に、対米戦には自信がありませんでした。(勿論、海軍も完全な一枚岩だった訳ではありませんが、開戦の判断に至った時期の海軍トップ層は、という意味です。) それは10月12日の近衛私邸の五相会談での(海軍出身の)豊田外相の「駐兵問題に多少のアヤをつければ日米交渉妥結の可能性あり」(=陸軍に対して妥協を求めたもの)及川海相の「首相一任。もし首相が戦争はやらず外交でやるというのならばそれでも良い。」と言った発言にも現れています。(因みに及川は10月7日の時点で東條と非公式の会話で、戦争への自信があるか問われて「自信は無い」事をアッサリ伝えています。) 永野海軍軍令部総長は、割りと早くから早期開戦論になっていましたが、それは1941年7月30日への天皇への奏上(国立公文書館アジア歴史資料センターレファレンスコードC12120286500)で、 ~~ 上 伏見総長は英米と戦争するを避くる様に言いしも、お前は変わったか 永 主義は変わりませぬが、物が無くなり逐次乏しくなるのでどうせいかぬなら、早い方が良いと思います。 ~~ と『英米戦に賛成ではないが、避けられないのならば早い方が良い』と言っていました。 事実上の開戦決意を固めた11月1~2日の大本営政府連絡会議では、 ・十中八九長期戦になる ・二年間はOK、三年目以降はわからない と言っていました。(レファレンスコードC12120254800) この資料からは「何故わからないか」の理由がわかりませんが11月4日の軍事参議会(レファレンスコードC12120254800)では、簡単に言えば「米国との工業生産力の差から、開戦後時間が経てば経つほど不利になる。だから長期の見通しはわからない」と言っています。 殆ど「勝てない」と言っている様な物ですよね。 つまり、対英米戦の主役の海軍の作戦責任者である軍令部総長は実際には「勝てそうな気はしないが、戦うなら急ぐべし。」と言っていたに過ぎません。 こういう論理で対英米戦を決意した海軍に「戦争の目的は何か?」と問う意味ってありますかね? 対英米戦に踏み切るに当たって、戦争なしで済ます為には米国に対してどこまで妥協すれば良いか、その場合どんな良くない事があるかを考え、その一方で対英米戦の結果を予想して、それを天秤にかけてどちらかを選択したのならば(その結果はともかくも)『何の為に』戦ったかはわかります。 が、対米妥協は陸軍が(少なくとも自分からは)決して認めない以上は、何をどうひねくろうが、日本の要求が通らない限りは戦争する、という結論にしかなり得ません。 おまけに海軍も(勝てる気がしてないのに)「勝てない」と公式には言わなかったのは突詰めると「面子」です。 結果的に日本が対米戦に踏み切ったのは、陸軍の主張が通った為です(より正確には仕組上、陸軍か海軍かどちらかの意向に真っ向から反する政策はとれなかっただけだが。)ので、対英米戦の主役は勿論海軍ですが、結果として陸軍の主張が優先されたと言うのが大きいと思います。

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