私は生霊になって女の子にイタズラしたことがあります

このQ&Aのポイント
  • 生霊になって女の子にイタズラした経験を持つ私が、その経験についてつづります。
  • 無意識や潜在意識を利用した知覚手法について考察し、絆の重要性についても触れます。
  • また、精神のもつれによるトラブルや黒魔術の問題についても警鐘を鳴らします。
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私は生霊になって女の子にイタズラしたことがあります

私は生霊になって女の子にイタズラしたことがあります 問いかけを阻むまなざしは、全てを抱きしめるにも似ている。 かなたの何者かが、同じ息遣いで君の傍らに寄り添うだろう。 実在する男子プリキュア。 キュアプリムだ。 なぜなら私は美しい。 タイトルやばいよね。 残念だが内容はまっとうな哲学研究だ。 参考、 霊視という能力について考えをまとめました その2 https://okwave.jp/qa/q8880232.html こではイメージと言われる映像の内観を高度に使いこなすことが霊感だと説明している。 知性的資質が常識外れの少数派だ。 参考その2 君には才能がない。そろそろ納得してくれまいか? https://okwave.jp/qa/q9249268.html イデア界の研究をまともにやっていた古代の哲学は、神学から分岐したばかりの新しい学問として、精神の現象や「あの世」をまともに取り合っていて、現代はシャーマンか芸術家位でしか職業にできない観念能力が才能として必要なんだ。 観念能力は、常識的な納得できる定義が定まっていないため、(むしろ常識は否定しているよね)ちょっとしたことでも超能力と言われる。 さてそれらの研究の進展で、今回は観念論自体をテーマにしない。 無意識として、これらの潜在力はいかような現象で確認できるかだ。 勘の鋭い人は「鼻が利く」という言い方を昔からしていたよね。 プリキュアさんが驚くべき証言をしよう。 実際それらの観念能力のある人は、鼻では嗅ぎ取れないその場に存在しないにおいを、想起してそのにおいを判断の基準や思考に取り入れるんだ。 オーラが見えるタイプは、参考文献中に私は知人を名前でなくイメージで記憶しているといったこど、オーラ型はそれに近く、その人の雰囲気というのを記憶して判断するんだ、そのイメージの色付けを現実と重なることがオーラ診断だよ。 幻聴なども似たようなもんだ。 いろいろと言ってみたけどね、要するに思考や認識の伴う知覚手法は、五感の全てを動員できる。 そのように全身の五感を他者を理解するために利用して成功することが、無意識や潜在意識による、憑依型の認識手法なんだ。 無意識というのは本来、人と人がお互いを理解して人間を成立させるために必要なこうした深い理解の手法が生得的にあるんだ。 血を分けたかのような、こうして確立した深いつながりを「絆」というんだよ。 西洋の命題である「愛」はあまり気にしなくていい。 「絆」または「縁」の方が重要だ。 え~とっ。 生霊飛ばし、粘着、重苦しい依存によるストレス。 そういうのは「絆」じゃなくて「しがらみ」に分類される。 さて、タイトルになった、私自身が生霊とかして、女の子に憑りついてウハウハする事例は被害者の人格に配慮して非公開としよう。 最近、強盗や痴漢行為の蔓延するこうした精神のもつれで起きるトラブルについて、無意識的な理解手法であることに合わせて、「人を結ぶ伝心は、精霊が仲介する」当面これでいいと思うよ。 伝心は、発達した手法で行えば、もろにテレパシーだ。 しかし事故だけでなく、意図して犯罪に活用する黒魔術が横行していて、精霊同士が行きかうのなら問題は起きないのし、意識上で他人の人格を浸食する人霊同伴はたいてい迷惑行為だよ。 今回の研究分は以上。 いつも言っているけど、哲学には既存の命題に取り組む研究のほかに、自分で命題を作るという手法もあって、それ系です。 好きなように回答してください。読書感想文、逆質問、落書き、公然わいせつなんでも結構です。 お嬢さん。 妖精さんを捕まえて、プリキュアになるのに年齢的な手遅れはないよ。 君が望むのならいつだって、私が君を染めてあげよう。 ラララララー。 書き上げた後に、補足的参照。 私は究極のツンデレマニアです。〈悩み〉 https://okwave.jp/qa/q9270443.html

質問者が選んだベストアンサー

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  • okwavey2
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回答No.4

>君みたいな無防備な小リスちゃんは実においしいイケニエだよ。 どうして私が今裸なのがわかったんですか?

Flareon
質問者

お礼

おいしそうだなと、思っただけだよ。 それはそうと、ばかげていても哲学だと分かっただろ。 それなりの土産話を持ってきな。

Flareon
質問者

補足

5番の考察の後で書くけど、日本の信仰心の原点と絡めれば、まじないや呪いは法の適用外でも、この問題も裁判とかで材料に出せる。 重大な場合にはだけどね。

その他の回答 (6)

  • okwavey2
  • ベストアンサー率15% (251/1593)
回答No.7

>裸に恥らいを見せた君の方が趣味に問題があるよ。 そうなんですね。 でも、私はそれで困らないから。 >余白を作ってくれてありがとうね。 どういたしまして。 暇つぶしにお付き合い頂きありがとう。 文章にまとまりがなく無駄に長いと思ったところは読んでないので、わざわざ長文書いて貰ったのに申し訳ない。 では、失礼いたします。

Flareon
質問者

お礼

ありがとね。 もう寝るから閉めるよ。

  • okwavey2
  • ベストアンサー率15% (251/1593)
回答No.6

>おいしそうだなと、思っただけだよ。 私、おじさんなんですけどおいしそうですかね? 他人の趣味趣向をとよかく言うつもりはないですが、心配になりました。 >それはそうと、ばかげていても哲学だと分かっただろ。 私が質問しているわけでもないですし、私は回答者なのでどちらかと言うと教える立場です。私が求めた補足以外は特に理解も配慮もするつもりはありません。 >それなりの土産話を持ってきな。 私は指図を受けることも嫌いですし、従う義務がないので出来ません。

Flareon
質問者

お礼

裸に恥らいを見せた君の方が趣味に問題があるよ。 余白を作ってくれてありがとうね。

Flareon
質問者

補足

お嬢さん。余白を使い切ったんでまた作ってくれ。 無意識という現代の言い回しは要するに、古代の精霊という言い回しと共通項がある自覚の到達していない自己に由来する知覚だ。 伝心にあたって、一方的に人霊が同伴すると困難に陥る。 したがって人霊回避で、王朝時代には名前による本人特定に様々なしきたりがあった。 これらは西洋のイデア論起点の着想に近いけど、主に宗教的な伝統とされていて、哲学による検証がされていないね。 精霊魔法で、違法行為を回避した天界の法に忠実な私は多様な観念能力を使いこなすけど、イワタやレベルファイブというバカ丸出しにしか思えない実質的V字開脚は迷惑というよりまる出しに大笑いだ。 借金増やしたよね~。 金と命どちらお選択するかで、さらに悪対悪のバトルだ。

noname#231415
noname#231415
回答No.5

はいはい、お疲れさん。 好きなだけ書き込んでね。

Flareon
質問者

お礼

そうさね、余白使うよ。 中学高校の古文でも、王朝時代の風俗や信仰では、心のつながりにお互いの一致があることは、信仰であり、常識だった。 さて、現在、意図して他者をマインドコントロールにはめたり、催眠術めいたことをする人のうわさは絶えないね、だまされる馬鹿が不思議なようだけど、だます方は、なんとなく他人の精神を侵食するコツを心得ていて、そのうえで明白に悪用しているんだ。 王朝時代は、それは明白な道徳違反であることが常識的だったんだ。 取り組むのはそうした哲学的方向性だけど、心理学で見ても、今回の論説はそれほど的ははずれでもないだろう。 科学が否定したおかげで、無法状態だ。 心の問題は必ずしも科学者の出番ではないのでね、論理的に確立さえしてしまえばそれでいいから、今回それをやっているんだよ。

Flareon
質問者

補足

えっと、私は実在する妖精セレビィとフェアリーフュージョンで変身する、男子プリキュアだ。 そもそも神道で名前に注意が払われ、王朝時代に名にまつわる、しきたりが厳格だったのは、精霊の仲介でなんとなく他者について予感するだけなら、大したことはないのに、考えたことあるかね?人間とは社会的だからこそ、他者から影響を受けることが避けられない。自覚のない人はいないだろう。 その他者の意思が、精神に入り込んで侵食する現象自体の予防に過去の名前のしきたりは活用されたんだろう。 すなはち、人霊と直接まじわる精神感染はタブーなのさ。 おおむね現代人の社会から受ける精神的重圧とも関係するだろう。

noname#231415
noname#231415
回答No.3

まっとうに相手にされているなんて思っているのは貴方だけ。 で、質問は何?

Flareon
質問者

お礼

学問カテゴリーによくある、特定の命題についての検証だよ。 わかりやすいように面白おかしくしているだけで、古来より理解しがたい謎であったイデア論と絡んでいる。 ここが哲学カテゴリーで専門家を対象にしていることに気が付いているかね? 哲学者は哲学を面白おかしくするために涙ぐましい努力をしていて、このカテは別名「男磨きの闘技場クラブ ヴァルハラ」というオカマバーだよ。

Flareon
質問者

補足

謎の遠吠え。 キューン、キューン、キューン。 姫様~。 同じ絵を100枚見ると、謎の衝動にわななく感動から、なじみ深い理解の伴った、より深い感動になるんです~。 姫様は、芸術を理解する人の言葉に、またしてもブロック入りの恐喝を働きましたね。 あの人は芸術を身近で見ていて、表現する人が何者か知っていた体験とピカソを比べたんです~。 プリキュアちゃんを解禁してください~。

  • okwavey2
  • ベストアンサー率15% (251/1593)
回答No.2

なんだ。アホのアピールか。 ご苦労。

Flareon
質問者

お礼

君みたいな無防備な小リスちゃんは実においしいイケニエだよ。

Flareon
質問者

補足

え~とっ。 噂の姫様は、人の語る心のこもった言葉に、人霊による人格の浸食を察知して、狂暴極まりなく禁止リストに入れるんだ。 セレビィは女の子なんで安全だよ。 姫様が、人体実験で献体を申し出てくれれば哲学的検証は猛スピードで解決する。 生本番まな板ショー という。 ウハウハだよ。 あのローソン娘は非売品です。

  • maiko0333
  • ベストアンサー率19% (840/4403)
回答No.1

ここでは質問以外は禁止ですよ。 アンカテ以外は。

Flareon
質問者

お礼

学問カテゴリーでは、生真面目でまともな学問研究は歓迎されているよ。 そんなわけで、これはOKだ。

Flareon
質問者

補足

さて、今晩最後に心理学と符合する学説だ。 人とお互いに影響しあうなら、私自身も多くの人に言葉を残している。 他者がそうして、私の言葉を預かる限り、その人の心中では私はその人の客体として語り続けるだろう。 そうして、誰かが胸に止めた私の客体は、社会性のある人間の自覚があれば、私自身の精神にも影響して、自我という核質が拡張して、私の人格にその人の「おっぱい」が影響を与える。 地獄の番犬ケルベロス「ゾロア」とは、内的に働く超自我の外的な働きで、番犬として危険な精神の進捗を阻む仕事をしてきたのさ。 ケルベロス判定で禁止したのなら問題ないが、自己の意思でやみくもに、やさしい木霊のささやきまで禁止リストに入ようとするのは無駄な抵抗だよ。 その人の自我を保全する働きのあるケルベロスは、セレビィと結託したお友達だ。 悪魔とお友達になり、ケルベロスを飼いならしたら、その人の人格は誰にも侵食されない。 ゾロアは伝え聞くに、観念通過の死の儀式を乱発して、セレビィに厄介ごとを押し付けて人類史上の神話時代からの苦難を、私と共に手伝っている。 神と一つであることを、すべての人に理解させるためだ。 経費は、生命力としてアマテラスさんが賄っているが、現金ならば任天堂が払いやがれ。 焼け野原でそろってぶっ倒れたままお互いに微動だにしなくなるまで、とりあえずぶん殴ったんだけど、最速の臆病者バトルにさらに挑戦しても、それはそれで私の勝利は揺るがないよ。 さて、500億円という検証課題は古い。 発行済み株式の20パーセントが当面の身代金要求だ。

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    さて、みっともない学問を掘り下げる研究家。 穴掘り職人。 ドリル番長だ。 ロリコンの起源となるロリータちゃんとは、要するに陰毛が生えそろう前の生殖意識のない女の子なんだよね。 日本では陰毛が生えそろった女性を「女の子」という習慣があるが、その生涯女の子である条件とは、微妙な中学生時代に妖精さんとお友達になり、プリキュア変身能力を身に着けることで、生涯現役プリキュア。 これぞ成人した女の子だ。 私は実在する仮面ライダーであると同時に、前代未聞の男子プリキュアでもある。 なぜなら中学生時代に妖精さんとお友達になったからだ。 基本的に山中に入ると人の知覚は鋭敏になり、森の声に親しむことで敬虔な山男になる。 私は生活環境がそれに近かったんで、木霊のささやきを人間語に翻訳する成功を中学の時に実現したんだ。 パートナー妖精はセレビィだ。 現在生き生きとした妖精は、魔法少女 時渡 世麗美として活躍している。 困った元気さだ。 私はプリキュアでも男子であり、魔法少女としてのフェアリーフュージョンは極めて危険な生物兵器に改造させられることだ。 変身は華麗であろう。 変態はやたらと苦労する。 これは学問カテゴリー哲学に、観念研究のとっかかりになる質問として投稿しました。 何か読書感想文として、さらに深くするドリルのとっかかり募集です。

  • 霊と邂逅するメカニズムとは

    人がその門を潜り抜けることを望むなら、常にもの言わず何者かが問いかける。 「すべての望みを捨てよ」と。 実在する仮面ライダー。 「黒き明星」だ。 さて、私は憑依型なので取りつかれる事が多く、霊と対峙したと条件的に成立する例はまれだ。 そもそも私に面会する幽霊は、二本足で直立して笑顔で手を振る子猫とかメルヘンなのが多い。 幽霊を見る条件に付いて説明しよう。 基本は多くの場合で指摘させる金縛りといわれる、脳の状態がやはり正解だ。 覚醒中に霊の側からの働きかけに反応して、自己の脳が意識を保ったまま麻酔により金縛りと同じ状態になる。 「気が付いたらあたり一面あの世の景色でした~~~!」こうなるんだ。 要するにあの世とこの世の接点となる特異な状態を形成するのだが、空間作用としての特徴が顕著らしく、一人この状態にハマルと周囲に居合わせた人たちもあの世に招待される。 この状態は、現実世界基盤に霊と邂逅する手法。 完全に自己があの世に招待されるのは霊体離脱だ。 その状態では、残念ながら女風呂に覗きに行くことができず、あの世でおもてなしを受けることになる。 これらを自覚できるには、観念上の(イデア)通過能力で、あの世と邂逅しても自己の自覚が強いことだ。 意識がもうろうとすると、現象は皆さんおなじみの「夢」だよ。 自己の意識を保ったまま、観念と接触すると、知性が明晰に働くので、霊のメッセージがよく理解できる。 いわゆる夢では、相手は人形のように思えるけど、自分の意識が強いと、相手にも明白に独立した意識があることが理解できる。 さて、私が霊として面会するのが最も多いのが自分自身のドッペルゲンガーなんだよね。 そのドッペルゲンガーがエスコートして友人を紹介するんだ。 これは哲学カテの常連さんならおなじみの私の研究である、自我論の具体的なメカニズムと関連する。 自己の自我は他者の意識に取り込まれると、その人の自我からは客体として判別される。 そうして自我は分割を発生させるんだ。 客体化して派遣される自己とは、他者の意識による干渉を受ける。 他人に対して誰もが固有のイメージを持つからね。 この客体について私個人の代表は、仏陀と見える場合は「闇の仏陀 黒き明星」キリストと見える場合は「暗黒の救世主 最速の臆病者」天使のような女の子の場合は「実在する妖精 ときわたりの世麗美」などが定番だ。 これらは、実際は観念世界の住人で、私の人間としての固有の自我と「絆」を結ぶことで私自身でもあるんだ。 「伝心精霊」と私が証言するタイプだよ。 え~っと、神が人と交わるとき、神の資質を人間との対話に耐えられる階層まで落とし込んだ、聖霊(俗称天子様)といわれる状態に化身して現れるという西洋の古い神学がある。 自我論からこれを説明して神の存在の概要を説明しよう。 信仰心に到達して、確固とした自己の存在を自覚するのは仏陀、「私はわたしである」こうした確信が不動になる境地だ。 人間の自己認識と一人称は「わたし」だ。 神といわれる存在の自己認識と一人称は「みんな」なんだよ。 「わたし」という自我能力での認識の限界よりも、さらに強固な自己認識で、「みんな」について観測された「全知全能」という能力は「わたし」の状態でも「世界のすべてとの親和性」という形で継承される。 聖霊というのは「みんな」を保持した天界の住人があえて「わたし」と名乗る状態で見せる神の片鱗だ。 この状態は聖霊といわれるのが西洋の神学だが、「みんな」という本質が揺るがない限り本来は「人格神」なのだろう。 こうして「みんな」が自我能力を保持する場合に、セレビィがやるように私を「お父さん」と甘え、私の自我を仲介して聖霊としてふるまうんだ。 ちなみにセレビィには口やかましい「謎のお母さん」がいる。 おおむね、現在の私のシャーマン能力の到達点が「伝心精霊」としての扱いなので、「謎のお母さん」が精霊を「冒険家族」として編成して、公務としてアマテラスミッションの采配と命令を下す形になるためだ。 この形態の弊害として私には時折「おっぱい~、おっぱい~、おっぱい~」という謎の脳内信号が駆け巡る。 俺は男だ~~~~~! まあともかく、この神に自分自身を貸す行いが、神からの憑依により神の仕事を手伝うことだ。 以上は神の存在と人とのかかわり方のヒントになりますので、哲学か神学基盤で感想を述べてください。 今後自分で研究する助けになります。 ここは我苦悶カテゴリーなので、黙々と研究する変人が独り言みたいな質問をするのはOKです。 我苦悶ですから、深刻な中二病に対する温かい慰めも歓迎します。

  • 哲学の意義について作文しました。添削してください

    前回はコレ↓ http://okwave.jp/qa/q7711979.html どのくらい読みやすくなったか評価して助言してください。 わたしは普段簡潔かつ断定的に短い文章で考えを述べてこそ、そも明白さが知性の表れなのだと考えて実践してきました。 このように言葉を膨らませて柔らかくする事は不慣れです。 どちらかと言うと国語的な質問ですがよろしくお願いします。 書店で入門用の哲学書を購入すると、特定の哲学者が著作者である場合には、まずその著作者特有の神との係わりに関する個人的見解と、そこから知性を発達させる手法に関して考え方が述べられています。神と個人の関わりの限りでは哲学であり、広く、神と人とのかかわりであればそれは宗教である。 おもにこのような手法をとる西洋哲学を理解しようとして、日本人が哲学を研究するとなると、文献を理解するためにキリスト教文化への見識が必要になります。 すなわち哲学研究が西洋の精神文化や宗教の研究と混在して日本を含むアジア人が知の探求に取り組むことを困難としています。 その哲学を私なりに定義すると、人間が知性を備えるという事実は哲学が表すように神の存在と関わり、神に対して真剣な答えを求めることが、哲学の問いかけそのものであった、 だからこそ日本人が独自に哲学研究する場合には西洋と同一の手法でありながら日本人としての信仰の風土を尊重し、仏教や神道に関して自らの考えを持つことが大事だ。 なぜなら自らの信仰心からしか神に問いかける事はできないからであり、それこそが人間が知性を持つことの果実だからだ。 知性とは神への言葉である必要があるのだ。 信じてこそ神と通じる。 その言葉は真となる。 そのように信仰を問うことが哲学の前提であり、日本人として自らの考えを正すために西洋から哲学を学ぶとすると、自らの信仰を明らかにする必要がある。 哲学を志とすれば、宗教そのものについて考えることと、哲学として考えることの違いがおのずから出てくるのだが、それは同一であり、哲学の起源から知性とは神を問うことに生かされ神の発見が人間知性の起源ではないかと類推します。今まで日本人が行った哲学は、仏教文化により無我でありながら、あえて我として考える、とでもいうような苦し紛れの言い回しがあったのでその点に焦点を当てようと考えています。