明治元年頃の日本から欧州への連絡方法。

Wiki「渋沢栄一」によれば、 徳川昭武は、パリ万博とヨーロッパ各国訪問を終えた後、パリに留学するものの、大政奉還に伴い...

tak7171 さんからの 回答

  • 2018-04-09 13:57:01
  • 回答No.4
tak7171

ベストアンサー率 39% (75/190)

1865年にはロンドンからインド国内まで2つのルートで電信線が繋がれていました。ひとつはサンクトペテルブルクとテヘランを経由してカラチまでを繋ぐロシア線。もうひとつはコンスタンティノープルからバグダッドを経由してインドまでを繋ぐトルコ線です。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjasas/2013/25/2013_128/_pdf
http://www.glocom.ac.jp/publications/glocom_review_lib/gr199803.pdf
おそらくはインドのカルカッタやボンベイまでは海路なり陸路で郵便を、そこからは電信を使って連絡がとれたのではと思います。明治維新以降はNo.3の回答者様のおっしゃるとおりかと。
お礼コメント
kouki-koureisya

お礼率 94% (1295/1369)

ご回答ありがとうございます。
ご提示の資料は大変参考になりました。
英印間の郵便・通信事情がよく分かりました。
徳川昭武への連絡は、インド以西は地上通信を利用した可能性があるということですね。
徳川昭武は、パリを拠点に欧州各国を訪問していますから、追いかけて、郵便物(書状)を届けるのは大変です。
郵便物とは別に、郵便の内容を簡潔に知らせるための速報として、通信を利用する手もありますね。
投稿日時 - 2018-04-09 21:07:50
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