真言の唱え方について

このQ&Aのポイント
  • 浄土真宗の檀家として生活しているが、真言という文化を知った
  • 自分で愛染明王の真言を唱えた結果、めまいや気分が悪くなった
  • 宗派のかけもちやこだわりについて教えてほしい
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真言の唱え方について

真言の唱え方について質問です。我が家は代々浄土真宗の檀家として生活しています。私も小さいころから念仏を称名しながら生活してきました。そういう中でスマホを見ていて真言という文化があることを知りました。試みに書籍に書いてあったように自分で印を組んで愛染明王の真言を唱えてみたのですが3日目、4日目あたりからめまいがするなど気分が悪くてどうしようもなくなりました。これは、僕のやっていることは宗派のかけもちで、あるべきありようではないということでしょうか?宗派へのこだわりは特に気にする必要はないと仰る僧籍の方もいらっしゃいますが、何が間違っているんでしょうか?個人的には僕自身のこだわりの強さが原因だと思ってるんですが、あるべきありようを教えてください。よろしくお願いいたします。

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  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2800/7250)
回答No.6

空海弘法大師というのは、コトバに力があるという教え方をしたのです。 面倒な経典をいちいち読んで意味を教わり自分の中で消化し、すべて自分の教養であり哲学であるという吸収ができれば問題はありません。 しかし、さほど基本教養もなく、文字も読めない人たちがいるし、そもそも経典は梵語ですから外国語でありわかるわけがない。 だったらどうするか。 どんな外国語もある種の伝えようという意図をもって話されたら、なんとなく意思が伝わってくるということがあるわけです。 英語でもない何かわからない外国語で一生懸命に何かを言おうとしている外国人を街で発見したら、何を言おうとしているのか、おおむね検討がつきませんか。 それは発音の迫力だったりするわけで、その意味で「おんあぼきゃーべーろしゃもーまかぼたらばにはんどまじんばらはらばりたや」と強い調子で語り掛けられたら何かがつたわるんじゃないか。 そう発想したのです。 で、これを、意味がわからないままに復唱したら、なんとなくありがたさが共有でき、意味はともかく、救われた気にならないか。 そう思ってやってみたら、本当に救われる人がでてきたわけです。 これは理屈じゃなくて、一種のオーラであり、念力なんです。催眠作用といってもいい。 それを彼は「真言」と呼んだのです。 真言は、子供にとりついているムシ(泣きわめいたりいうことを聞かなくなる性質)を封じることがわかりました。 理屈に合った小言をいわれるのと意味不明の「はらばりたや」、と言われるのとどちらが怖いですか。仮にキツネがついていても逃げるでしょう。 当然安産にも助けになる、病気が治る、というような方向に信仰が拡大していったのです。 この方向性はある意味で全うです。 ただおまじないのコトバ、みたいな扱いになると、だんだんインチキ臭くなりますので、真言の坊さんはそれなりに注意していままでやられてきていると思います。 空海みたいな哲学的に偉大な人でなく仏教の布教をしている人はいろいろいるわけで、そうなると、「おまじない」「お守り」というような発想が拡大します。 完全に迷信みたいなことになっていくのと、世の中が波乱するのが平行しました。 で、ふたりあらたな潮流が出てきたんです。親鸞と日蓮です。 その前に法然というのがいて、むつかしいことを考えたり悩んだりする前にただ一言南無阿弥陀仏といえば救われる、という教えを説きました。 くだらない哲学的なことに悩む前に自分の生活があり悩みがある。それを解消するのが第一じゃないかと思ったわけです。 次に親鸞がでて来ました。 親鸞は、偶像崇拝をやめようと主張したのです。 ありがたい仏像なんかをなでて病気を治してもらおうとか、そもそも坊さんを特別な存在として意味なく崇拝するのをやめたほうがいいと考えたのです。 これは師匠の法然の一部否定にもつながりかねませんが、まずカタチをやめよう、として、聖職者が頭を丸めることを廃止した。妻帯も認めた。 そして、だれでも自分が助かったと思ったら人も助けようじゃないかという思想を説きました。 これが浄土真宗で、戦国時代には一向宗と言ってたものです。 これは信長と対立しましたが、それは信長が自分をカリスマとして天下国家を統一し人民を救済しようとしているのに、だれでも救われるということを信者全員が言っていたからです。 法然のときはまだしもナムアミダブツと発音していましたが、このあたりからナンマイダというような言いやすい言い方に変わっていきました。 日蓮はもっと激しい前時代否定をしました。 来世に平安を求めるとか、そのために現世で徳を積むなんて言う考え方は目的としておかしいじゃないか。なぜ今幸せにならないんだ、というのが彼の思想の骨子です。 そのために、茫漠とした経典ではなく、問題解決法を説いている経典である、法華経を読み、今の自分の問題解決をしていかないと人生は切り開けないだろうという考え方です。 そのためのどやしつけをする指導者としての坊主は必要であるが、偶像はいらない。 そういう風に、平安時代から鎌倉時代にかけて、宗教が変貌したというか進化したというか動きがあったわけです。 こういう宗教の変遷があります。 あなたはこの辺りを理解していますか、というか知っていますか。 それぞれの哲学的思想が違います。宗派にこだわることがない、というのは、特定の思想に染まった場合の危機を警告するもので、それはまっとうな話です。 しかし、十分な理解もなしに、特定の宗派に帰依して救われたいと思うのは、方向違いじゃないかと思いますよ。 そんなことは「こだわり」でもなんでもない、単なる「無思考」だと思います。

aba0716
質問者

お礼

回答ありがとうございます。確かに歴史的な背景も知らず日々の習慣だけで念仏してました。本を読むことでその宗旨の心が掴めるかもしれませんね。感謝します。丁寧な回答ありがとうございました。

その他の回答 (6)

  • Nouble
  • ベストアンサー率18% (330/1783)
回答No.7

其の、印の 効果対象、効果範囲、効果実態、 等、 解って、実施しました? 例えば、孔雀明王印、 対象を、認知も せず、 無闇に、振るえば 誰に、当たるでしょう?

aba0716
質問者

お礼

回答ありがとうございます。参考にさせていただきます。

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6168/18408)
回答No.5

仏教の「〇〇経」という経文は 本来はお釈迦さまの教えを説いた文章です。 それの意味を分かって読むことが本当にやるべきことなのですが 長い歴史の中でいつの間にか意味も分からずただ声に出して唱えるだけになってしまいました。 「形骸化した過去の遺物」です。 図書館などに行けば しっかりと意味を解説された本もあります。 それを読んだほうがいいでしょう。

aba0716
質問者

お礼

回答ありがとうございます。まず一冊何かを読んで経典の意味をしっかり理解しようと思います。その結果として本質を掴めたらと思います。ありがとうございました。

  • seble
  • ベストアンサー率27% (4041/14682)
回答No.4

念仏をリキ入れて唱えすぎるから過呼吸症候群でしょう。 もっとゆっくりやれば大丈夫です。

aba0716
質問者

お礼

回答ありがとうございます。参考にします。

  • nekosuke16
  • ベストアンサー率24% (903/3667)
回答No.3

どのような宗教を信じるも個人の自由。 浄土真宗から真言になろうが、キリスト教になろうが、イスラムに入信しようが、一切関係ないと思いますよ。 とくに、仏教については、あくまでも禅の世界ではありますが、「大道無門」という言葉があります。 同じ仏道という中で、その道に入るも出るも全くの自由であり、進むも退くも個人の意思の問題であると説く。 印を結び愛染明王の真言を唱えることにより体調が変化することはないと思いますよ。 信心の問題ではなく、単に体調が悪くなるタイミングだっただけのことです。 仏教の思想は、この程度のことで人間に仕打ちを与えるほど、矮小な思想ではないと思いますよ。 ただ、信心というよりも、霊感ではないですが、個人的な資質として、こうした事に対して繊細で敏感すぎるのかもしれませんね。

aba0716
質問者

お礼

回答ありがとうございます。まず一冊しっかりと経典の意味を掴むために読んでみようと思います。その結果、もっと自由な心で仏教に接することができるようになれたらいいなあと思います。丁寧な回答ありがとうございました。

  • 177019
  • ベストアンサー率30% (1039/3443)
回答No.2

「我が家は代々の浄土真宗」「念仏を称名しながら生活?」この生活で貴方の人生を変えた事?救われた事?ありましたか?無かったでしょう。御存じの通り、浄土真宗は「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」に拠るもので、阿弥陀仏の本願に基づき、観仏や念仏によって穢土であるこの世界を去って、阿弥陀仏の極楽浄土の往生しようと願う教えです。お釈迦様は「無量寿経」に「四十余年には未だ真実を顕さず」と説き、「法華経」には「正直に方便を捨てて但無上道を説く」と説いて、四十余年の経教はすべて法華経に導くための方便の教えであり、法華経のみが真実の教えであると明かしています。又この「真言」ですが、「密教で真実を表わす秘密の言葉」とも言われていますが、弘法大師空海による真言秘密の教えを説く「真言宗」から来ているものと思われます。この宗派は「大日経」「金剛頂経」「蘇悉地経」を所依の経典としていますが、「大日経」にも法華経に説かれる一念三千の義が存するので、法華経と大日経は「理道」と主張とし、「大日経」に印と真言が詳しく説かれているから、法華経よりも勝れている「事勝」と主張しますが、法華経に「為に実相の印を説く」「我がこの法印は世間を利益せん」と説かれており、「大日経」だけの独説ではありません。例え手に印を結び、口に真言を唱え、即身成仏を説こうとも十界互具・一念三千の実義もない「大日経」は、空理空論の邪説であります。ですから浄土真宗の教えも真言もすべて邪義邪宗で真実の教えは「法華経」のみであるという事です。私の宗派は「法華経」を根本の教えとしています。

aba0716
質問者

お礼

回答ありがとうございます。参考にさせていただきます。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.1

1。これは、僕のやっていることは宗派のかけもちで、あるべきありようではないということでしょうか?  いいえ、お医者さんに行け、と言うことでしょう。 2。宗派へのこだわりは特に気にする必要はないと仰る僧籍の方もいらっしゃいますが、何が間違っているんでしょうか?  そう言う方が間違っていなす。 3。個人的には僕自身のこだわりの強さが原因だと思ってるんですが、あるべきありようを教えてください。  目的に向かって進めば、いいいので、それ以外は無駄です。人間にできないことはいくら愛染さんが力んでも知れています。  真言と言うのはサンスクリットの呪文で、効き目があると思えば、その人には効き目があるが、半信半疑の門外漢にはいくら唱え方を変えても薬の方が早いです。

aba0716
質問者

お礼

回答ありがとうございます。参考にさせていただきます。

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