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湯川秀樹の言葉についての疑問

湯川秀樹は1968頃に、以下の言葉を述べたとされていますが、ひとつ理解出来ないところがありますので、ご教授下さい。 『もしも人が絶望から逃れようとしたならば、未来とは過去の単なる延長ではなく、過去と現在の間には、いまだ顕在化していない全く新しい可能性が実現される場があるという信念を、再び取り戻さねばならない。』 「過去と現在の間には、いまだ顕在化していない全く新しい可能性」 という部分ですが、本当は … 「現在と未来の間には、いまだ顕在化していない全く新しい可能性」 と、言いたかったのではないか?ということです。 よろしくお願い申し上げます。

質問者が選んだベストアンサー

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  • SPROCKETER
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回答No.5

 温故知新と言われるように、過去の情報から現在や未来に起こる事がわかるように、過去と現在の間に起こった真実の中には、隠蔽されたり、忘れられたり、誤解されている事が数多くあり、それを発掘する事から未来を知る事が出来るという意味が含まれているようですね。  要するに、情報操作に騙されずに、過去と現在の間で起こった事件の真相を見極める必要があるという意味だと思います。  たとえば、粒子加速器で長年に渡っておこなわれた実験記録の中に、新粒子を発見するヒントが隠れているかもしれませんし、コンピュータを使って過去の実験データを調べているうちに、新粒子が何度も発見されていたのがわかる可能性もあります。これは天文学でも、新しい星が過去の写真記録に何度も写っていたのに未発見だった例があります。  情報量が多い方に新発見が隠されているという意味では、過去と現在の方が現在と未来よりも可能性が高いというわけでしょう。コンピュータシミュレーションで気象や宇宙の予測結果を出す事がありますが、過去の膨大な記録を使ったものであり、過去の記録が無ければ、未来はわからないのです。

yu_OKWave
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます! 大変勉強になりました。 科学者の立場に立って見ると分かる様な気がします。他人の論文(既に過去)を発掘する作業は、たしかに科学者にとって非常に重要な仕事ですね。具体的に書かれていて説得力がありましたので、ベストアンサーにさせて頂きます。

その他の回答 (5)

  • doraneko66
  • ベストアンサー率11% (535/4742)
回答No.6

ここからだと思います。 >未来とは過去の単なる延長ではなく、過去と >現在の間には、いまだ顕在化していない >全く新しい可能性が実現される場がある信念を >再び取り戻さねばならない よは、今現在進めているものにも可能性があるが、過去の産物の中にも未来への可能性がある んじゃないですかね。 過去の失敗や定説とされているところにも実は、未来への可能性があると言う事ではないでしょうか。 過去の論文を読み直したら、ちょっとしたところを調べ直すと新しい発見がある。とか

yu_OKWave
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます! 大変勉強になりました。

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.4

「現在と未来の間には、(過去と現在の間に潜在化したまま)いまだ顕在化していない全く新しい可能性」 顕在化していない≒潜在化している

yu_OKWave
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます! 大変勉強になりました。

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.3

未来に繋がる可能性を秘めた重要な事実が、 当時はその重要性に気付かれずに見逃され、 未だに潜在化したまま実現されずにいる可能性は高い。 …それ故、現代においてこそ検証可能な過去の事実について再検証を怠らずに、 その可能性の再発見を試みながら未来に向けて表面化させる努力は常に有って然るべき。 …過去の全てを過ぎた事として単純に切り捨てることは未来にとっての損失であり、 常に見直すことにこそ未来に向けて絶望から逃れる鍵が潜んでいる。

yu_OKWave
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます! 大変勉強になりました。

  • koncha108
  • ベストアンサー率49% (1313/2666)
回答No.2

「いまだ顕在化していない」と言うこれまでの事柄について言っているので、そこに「過去と未来の間」と未来を含めるのは文としておかしいと思います。素直に「過去と現在の間」ととらえるべきなのでしょう。 この文章は、世界の著名な科学者が国際的な諸問題、特に核兵器の問題を話し合うパグウォッシュ会議に絡んで発言されたもののようで、当時のムード(今でもそうかも知れませんが)、核兵器が開発されていずれ世界は核戦争で滅んでしまうと言う絶望感があったと思います。それが絶望であって未来なのだと思います。最近のニュースで世界終末時計の針が一歩進んで残り2分30なったと言うことが報道されていましたが、第2次大戦で広島長崎に原爆が投下され、戦後東西冷戦に突入すと同時に核兵器の開発競争が米ソで行われた時代的な背景から産まれた世界終末時計と、その後始まったパグウォッシュ会議は同じ危機感を持っていたと思います。 この言葉の解説が無いので上の背景から想像すると、過去に顕在化していること、つまり核兵器の開発と投下、軍拡競争が過去で、それが誰に求められない現実が顕在化していてそうすると当然の帰結として絶望的な未来、つまり世界の破滅が待っている。でも過去から現代までの間にもまだ目立ってはいないけれど(パグウォッシュ会議のように)その破滅を止められるかもしれない、活動、動きが起こっているに違いない。それを信じて信念を持ってやっていこうよ、と言うことなのかなと思います。

yu_OKWave
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます! 大変勉強になりました。

noname#232424
noname#232424
回答No.1

あなたの引用が正しいと仮定したうえでの回答です。(ちゃんと出典を示してください) 過去の行為,たとえば一所懸命に英語を勉強した成果は,今日の期末試験ではたまたま問われずに現れなかったかもしれない。しかしいつか,おぼえた英単語や文法をもとに,文献が読めたり外国人と議論できたりする成果が現れるだろう。英語の実力は,期末試験の段階では顕在化していなかったのですね。

yu_OKWave
質問者

補足

早速のご回答ありがとうございます!大変失礼致しました。出典ですが、下名は元日本物理学会会長の小沼通二博士のセミナーで知り、ノートに書き留めていた言葉です。ネットを検索すれば、例えば以下のサイトに掲載されています。よろしくお願い致します。 (参考URL) http://www.asyura2.com/0403/genpatu2/msg/250.html

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