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フグは縄文時代から食べられていたようですが・・・

フグは縄文時代から食べられていたみたいですが、毒を取り除く技術はすでにあったのでしょうか。それとも食べるたびに死者が出ていたのでしょうか。

みんなの回答

  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2800/7250)
回答No.4

食べるたびに死者が出るなら、それは明確に毒物だということになりますから誰も食べなくなります。毒キノコ類なんかは「必ず死ぬ」から伝えられ、手を出さないようにする学習をするのです。 たいがい、そういう試行錯誤を繰り返して、これは食べられないもの、手を出してはいけないもの、のリストが追加されて歴史ができてきたのです。 それにも拘わらず、ふぐは必ず死ぬという食べ物ではありません。 ふぐは、死なないものがいるから、うまいものだということになるわけです。 何十尾もあるうちそのうち何尾で死んだら、それは毒物だと思われると思いますか。まあ20分の1ぐらいだと思いませんか。 それよりも死者が少なければ、原則安全なもの、ただしどこかに地雷が埋まっているものと言うことになります。 おそらく20分の1よりもっと少なかったと思われます。 魚を買ってきて、はらわたの部分をすべて捨てて食べる人は多かったと思いますので。秋刀魚でもはらわたを食べない人がいますから、ふぐの内臓を食べるに及ばないごみの部分だと考えたとしてもおかしくありません。 はらわたを全部捨てて、あとは腹の中を洗って、包丁やまな板もきれいに洗い清 めれば、毒のかけらも残りません。 そうしたら、まず絶対にふぐには当たりません。 だから、言われるほどではなく結構皆ふぐは楽しんで食べたんじゃないかと思いますね。 ただ、食通と自負するような連中が、苦い系統の部分のうまみを知っていますから、ふぐでも食べてみたいと思うわけです。 分量によっては、少々ぴりぴりと感覚が途切れるような感覚があるだけで済む場合もあります。全然毒と言うことにはなりません。 卵巣だけ酢をかけてむさぼりたいと考える食通がいて、これは100%死にますから、びっくりして、ああ怖い食い物だという噂になったわけです。 これが、必ず死ぬというのでもなく、何十年食べても大事ないという人もいるから、富くじのようなものだな、ととらえたため、「当たる」という言葉で形容するようになったと思えます。 問題は部位にあるのではないか、と発想した人はいたでしょうけど、化学分析技術が発達していないころは、実際に食べてみないと実証はできませんから、それを知るのは命がけだったわけです。あ、ここを食べると死ぬんだ、と気づいたときには研究者当人が死んでいるというなら、研究は完成しません。 さすがにこれは文化になりえません。 歴史的には、秀吉が朝鮮に出兵したときに大量の兵士がふぐで死んだ。おそらく戦場だから食い物に乏しく、魚ははらわたまで全部食べてやろうとした結果です。ここで秀吉によりふぐ禁止令が発令されたのです。 徳川以後も、ふぐで命を落としたら家名断絶一家離散という処罰になったもので、それは「食らい意地が張ったせいで己の名誉を捨てた」と見たせいです。 ようやく科学的に解明されたのは1909年、東京帝国大学の薬学教授田原良純がテトロドトキシンという名前の化学物質として論文に書きました。これは明治42年です。 田原薬学博士は、このテトロドトキシンが神経に働き鎮痛作用を持つことを突き止め薬剤への応用を示唆しました。 ここで分かったわけではありません。似たような毒が他の生き物からも検出されて、真犯人はこいつやーというような状態にならないまま時代は進みます。 そして、なんと、なんと、1970年、昭和45年にX線構造解析により、テトロドトキシンのワルサをする分子の場所と働きが解明されたのです。 おどろくような長い経緯です。 8代目坂東三津五郎がふぐで当たって死んだというニュースが駆け巡ったのは1975年(昭和50年)でしたから、毒のしっぽをつかんでわずか5年でした。

noname#232800
noname#232800
回答No.3

知ったかぶりではなく_ 縄文時代と弥生時代の境目が、縄文時代にずれたとか。そうなると、ふぐを食ってたのは弥生時代かもしれません。

noname#233747
noname#233747
回答No.2

わりと、中読者をだしていたと思われます 江戸幕府では、フグを食べることを禁止していたとの事です 理由は、中毒症状を起こし、死ぬものが耐えなかったからとかなんとか 余談ですが、私の地元の石川県では、昔からフグの卵巣を食しています フグの卵巣は、言うまでもなく猛毒で、食べると確実に死に至ります それをどうして食べているのかと言うと河豚の卵巣を2年以上、塩漬けと糠漬けにする事により 毒を消しています 河豚の卵巣の糠漬けと言う珍味なんですが、何故、毒が消えるのかは、現代科学をもっていても その理由は判明していません なのに、何故、塩漬けと糠漬けにして毒が消えることを考え付いたのか それ以前に、何故、猛毒の卵巣を食べようとしたのか 郷土のご先祖様は、チャレンジャーですね・・・

  • bardfish
  • ベストアンサー率28% (5029/17765)
回答No.1

フグ毒が特定部位のみ存在するとわかったのは割と最近になってからだと思います。 江戸時代ではふぐ料理を「鉄砲」と呼んでいて鉄砲の弾に例えられていたと記憶しています。 当時の鉄砲はなかなか当たらないことから例えられたんでしょうね。 フグ毒に当たったら首まで地面に埋めるという方法も取られていたと記憶しています。 効果はなかったようですが、軽度の中毒なら助かったのでしょう。 つまり、部位が特定されるまでは中毒者はいたということになると思います。 そして、毒を持っている部位を切り刻んで毒のない部位に触れるとそれだけで毒を含むようになるらしいですから、日本のフグを捌く人はそういうところに注意するそうです。 海外ではフグは毒を持つ魚として食べること自体禁止している国もあるそうですね。 ということで、縄文時代のように情報の共有がほぼできない時代では口にしてはじめて食べられるものか否かを知ることができた。 発酵食品もそうですが「初めて食べたやつスゲー」って感じですよねw そういうモノを含めて食文化として定着するまでに犠牲になった人というのは決して少なくないと思います。

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