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禅で言う不立言語の本当の意味はなにですか
言葉は危ないものという意味でしょうか。
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質問者が選んだベストアンサー
禅宗である臨済宗では「教典や教えに依存せず相手の心に直接働きかけ、その本質を悟らせる。」とあります。私は信者ではありませんが、一般の人が「不立文字」を行動の例えれば、ゴミが落ちていたら「頭で考える」より先に「体が動き」ゴミを拾っている。でしょうか。
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- kazamidori360
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意味がわかったけれど、 タイミングがずれたからといって、 問題を起こさないで欲しいのだけれど。
お礼
ちょっと、ご教示の意味がわかりませんでした。よろしかったらもう少し詳しくお願いいたします。
- koosaka
- ベストアンサー率43% (78/179)
私は昔、若いときに鎌倉の禅宗寺院、浄妙寺で故・安谷白雲老師に師事して禅の修行をしたことがあります。 で、禅は「不立文字・教外別伝・直指人心・見性成仏」をモットーとする宗派です。 意味は、禅はいっさい文字を用いず、喋ることもなく、経典を用いることもなく、本を読むことなく、人の心と心で直接伝え、しかる後自性を空と知り、悟る、というものです。 言葉は危ないという意味ではありません。 言葉をいっさい使うな、読むな、喋るな、という意味です。 そして何も想うことなく、「無念無想」「無心」であれ!ということ。 禅は「瞑想」を否定します。
お礼
自分をとり囲んでいる世界を解釈するなということでしょうか。
- 雪中庵(@psytex)
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言葉を知っているという事は、その物を知っている事ではない、という事。 その言葉が関わる、広く世界との相関を知っていてこそ、言葉の真の意味を知っているといえる。(知→考→認)
お礼
いわゆる耳学問とは違うのでしょうね。世界との相関というのは世界の解釈とも違うのでしょうか。
「文字(で書かれたもの)は解釈いかんではどのようにも変わってしまうので、そこに真実の仏法はない」と言う意味。言葉は危ないと言う解釈でいいと思います。 すなわち、禅の体験によって伝えるものこそ真髄であるということ。
お礼
言葉を介した理解は架空のものなのかも知れませんね。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
言葉は危ないものという意味でしょうか。 いいえ。表現(正しくは「不立文字」)も、意味も違います。 不立文字は、下記のように禅の真髄は、書いた文字によるものではなく、禅のような体験で得られるものだという意味です。達磨さんが言った言葉とも http://bravocoaching.jp/08/2016/05/21/%E4%B8%8D%E7%AB%8B%E6%96%87%E5%AD%97%EF%BC%88%E3%81%B5%E3%82%8A%E3%82%85%E3%81%86%E3%82%82%E3%82%93%E3%81%98%EF%BC%89/
お礼
不立文字もまた言葉ですね。難しいと思います。
お礼
言葉ではなく行動のほうが本質であるということでしょうか。