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平家の落武者の食事
全国には、平家の落武者伝説がありますが、その当時、戦に破れた落武者達は、その伝説が生まれる土地にたどり着くまで、落武者狩りなど、様々な苦難があったと思います。そこでお伺いしたいのですが、その土地にたどり着くまで、食事はどのようにして採ったと推察されるでしょうか?
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各地の平家の落ち武者伝説がある土地の、平家の末裔というのはたぶん大半が作り話なのではないかなと思います。 かつて日本の山間では、サンカと呼ばれる浮遊の民がいたということです。 https://matome.naver.jp/odai/2143731302093026101 このサンカの末裔は今はどこかにひっそりと定住しているはずです。その人たちが今は「平家の末裔」ということにしてあるのではないかなと思いますね。 そしてそういう人々は必ずしもサンカに限った話ではなく、様々な「定住しない人々」がかつては存在したと思います。例えば被差別民であったりね。日本で戸籍制度が行き渡ったのは江戸時代になってからですが、それまでは戸籍制度は制度としてはあったものの実態を把握はしていませんでしたから、むしろ戸籍がきちんとしている人のほうが少なかったと思います。 そして日本でも中国でも、ある時代までは農民といえど割と自由に移動していたのですよ。例えば戦国時代初期の戦国大名である北条早雲は、伊豆を領土としたときに税金を安くしたので、その噂を聞いて多くの人々が伊豆に移り住んできた、と記録に残っているんですね。「あっちのほうが生活が楽らしい」と聞くとみんな移住したのです。逃散とかありましたからね。 だから、鎌倉時代とか室町時代に貧しい身なりの家族がぞろぞろと移動する光景は、たいして珍しいものではなかったのではないかなと思います。 食事などをどうしていたかは分かりませんが、もし畑泥棒などをすれば見つかればおそらく殺されたと思う(遺体を山の中に捨てれば殺人事件そのものが発覚することはなかったでしょう)ので、山の中で採取するか、農作業を手伝う見返りにいくばくか農作物を分けてもらうなどをしたのではないかなと思います。まだ当時は貨幣経済が行き渡っていませんから、お金は地方では何の意味もなかったと思います。
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主に玄米の焼いたものや稗と塩漬けした野菜や魚。 木の実・猪・野生動物。 塩漬けの食品を多くとり、短命だっと言われています。
お礼
それは、おそらく伝説の地に落ち着いてからの食事ですね。なるほど。ありがとうございました。
- twin-dog
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近隣の畑から野菜をかっぱらってきたり、夜盗になって旅人から金品巻き上げたり、近隣の百姓家に押し入って食料や女を調達していたのでしょう。 源平のころに限らず、戦国時代でも落ち武者なんて所詮そんなものです。
お礼
なるほど。そのようにするしかないでしょうね。ありがとうございました。
お礼
そうですか。お金が通用しないとなると、悲惨ですね。サンカについても参考になりました。ありがとうございました。